264:てへぺろ

264:てへぺろ


「クソッタレあのジジイ。俺の身体が人間じゃないからって、連日朝から晩まで散々にシゴきやがって」

「あ、ああ。おかえりチャス」


 あてがわれた天幕へ帰ってきた元人間の元冒険者に対し、ぎこちない言葉で迎えるイグリス王国特務騎士ビクトリア=ギナ。


「れ、連日大変だな」

「おうよ。ったくこの身体じゃなかったら、一日三回くらいは過労死してるぜ」


 暑苦しそうに頭巾や外套を脱ぐと、包帯をぐるぐる巻かれた上半身と顔が顕となる。兵士を少しでも驚かさぬように、というチャス自身の配慮だが……幸か不幸か一般将兵は得体の知れぬ特務傭兵などと関わりを持ちたいと考えぬため、この申し訳程度の偽装でも十分となっていた。

 どうも大方の兵にとってはトロルやオーガの血を引く者か、何らかの魔法か神秘で身を犠牲に力を得た西方諸国群の傭兵とでも思われているという話だ。まあとりあえずこの手の不審や異常は、「他の地方諸国群から特別に呼んだ」と付けておけばもっともらしく響くものである。


「そ、そうなのか」

「でも悔しいが、あの爺さん大したもんだな。五年戦争時の鉄鎖騎士団長ってのは伊達じゃねえや。俺自身が気付かない動きの無駄や力の逃がし具合を、実に的確に指摘してきやがる。道場でもやりゃ、門下生にゃあ困らんぞ」

「子爵位持ちの貴族だぞ」

「ああ、貴族にしとくにゃ勿体ねえ」


 差し出された水を一息に飲み干し、ぷはぁと息を吐く。

 姿は異形でも仕草が以前と変わらないのが、逆に奇妙でもあった。


「……それにしてもまったく、タンク女史は考えが浅いぜ。剣士の肉体が強くなればそのまま剣が鋭くなるって訳じゃあねえのによ。ましてやこんなに身体が変形すれば、調子も狂うってもんさ。まぁあんな研究所に籠もりっきりの学者先生にゃあ、分かる訳ねえ話だが」


 技巧派の彼だからこそ、なおさら影響は強かったのだろう。ガイウスによる「その身体に慣れていない」という指摘は、実に的を射ている。

 しかし剣豪フノズールによる矯正で、その狂いは急激に正されつつあった。勿論これも、チャスの才幹あっての話なのだが。


「しかしフノズール爺さんは強えわ。たまに手合わせしてみても、今のところまったく歯が立たねえ。一人で【イグリスの黒薔薇】を討ち取れるって言い張るのも、満更年寄りの強がりでもねえな、ありゃあ」

「それなら貴様が無理に戦う必要も、出番も、な、なさそうだな」


 二杯目を差し出しつつ、ビクトリアが引き攣る顔で言う。


「ははは、大丈夫大丈夫。フノズール爺さんはあくまで万全を期すために俺を鍛えてるんだからよ、俺をほっぽって【イグリスの黒薔薇】を斬ったりしねえよ。爺さんだってはっきりそう言ってたしな」

「そう……い、いや。でなくとも、フノズール卿の出番自体が無いかもしれんぞ? ほ、ほら、明日には第三陣二千名が到着する。その戦力をもって明後日にはいよいよ本番、【緑の城】への攻略開始だ」


 現在は十三日目。

 予定よりずっと早くコボルド軍を【緑の城】まで追い込む手腕を見せた【若禿】だが、彼はそのまま攻略を始めず戦線を半包囲のまま敢えて停滞させていた。到底慣れぬ【大森林】の戦いに将兵が想定以上に疲弊したのに加え、拡大した自軍領域の確保に戦力を割く必要があったことや、連絡網補強や各陣地の整備を行っていたためである。

 言わば停滞期間は、【緑の城】攻城包囲戦の段取りか。そしてその本番が、いよいよ始まろうとしているのだ。


「へっ。【イグリスの黒薔薇】もコボルドどもも、都から来たてのポッと出連中に潰されるほど可愛げがあるもんかよ。絶対、俺やフノズール爺さんが必要な局面が出てくるさ」


 その言葉に、小さく唸って視線を落とす女騎士。

 ぐぐっと巨躯を曲げた元冒険者は彼女の肩を軽く叩くと、微笑みつつ親指を立てる。


「俺が【イグリスの黒薔薇】を斬れば、そいつぁ当然、在野から俺を引き立てたお前さんの功績だ。となりゃこれまでに押しつけられた失態も帳消し、いやお釣りが十分にくるか。お前さんの鬱陶しい親戚連中や軍の奴らにだって、顔向けできるってモンだろ?」

「あ、ああ……」

「何ならそこで退役したって、もう面目は潰れねえよ。ま、もしお前さんがこの後に来る内戦にも従軍するってんなら、俺はもう少し手伝ってもいいけどさ」


 何せ無職だしな! と明るい自嘲。


「なぁに。俺がブーたれてお前さんの言うことしか聞かないって体にしておけば、いくらでも……おいどうした」


 俯いたまま顔を上げぬビクトリア。

 チャスがその顔を覗き込もうとするも、彼女は両手で押し退けるのだった。


「何故だ!」

「おおお? おい、どうしたんだよ」


 あたふたと掌で宙を掻く、天使化冒険者。


「何故私を責めない!」

「へ?」

「私は貴様を……タンクに売り渡したんだぞ!」

「いやだってお前さん、タンク女史が何するか知らなかったんだろ? 仕方ねえよ」

「違う!」


 そっぽを向いたまま、ビクトリアが叫ぶ。


「私は見たんだ、見せられたんだ、あの研究所を! 第四十四分室を! そうして知った上でまた問われても、貴様を、貴様を……生け贄に差し出したんだ……自分の保身のために……」


 残酷かつ悪辣な告知だが、アール=タンクなりの友人への誠意であったらしい。もっともあの求道者にとっては、「君のペンを僕にちょうだい」程度の認識なのだろうが。


「あー……まぁ……」


 気まずげに顎を掻くチャス。


「……お前さんあんだけ追い詰められてたんだ、そういうこともあるって。ワハハ」


 その言葉を受けて、ビクトリアは椅子に掛けたまま膝へ顔を埋めてしまう。


「いいんだよビクトリア」

「うう……」

「実はさ、この身体になって肩こりと水虫とイボ痔と蓄膿症が治ったんだぜ俺?」

「ぐすっ……うぐぅ……」

「な! だから俺は別に気にしてねえんだよ。な!」

「ぎざまはなぜぞんなに……」


 嗚咽混じりに女騎士が問うた瞬間である。


「うごっ、うごぇぇぇぇええ」


 天使化冒険者が突如膝から崩れ、嘔吐し始めたのは。


「チャス!? チャスしっかりしろ貴様! チャス!」

「うげ、げっ、げええええ」

「チャス!」


 ぽん。


 額を付き合わせるように呼びかけたビクトリアの肩に置かれる、異形の手。


「あー……大丈夫、大丈夫だ」


 もう片方の手で口を拭いながら、苦笑い。


「やれやれ、爺さんのシゴキがキツ過ぎんのかな……今日はもう、身体拭いて寝るわ」

「そ、そうか分かった。後は私がやっておくから、貴様は早く休め」

「何だよ気色悪い。急に仁徳に目覚めたのか? へへへ、らしくねえなあ」

「い、いいから! 口をゆすいで、もう横になれ」


 チャスはへいへいと相槌を打つと、歯磨きを済ませて床につく。そうしてその後幾らもしないうちに、眠ってしまった。

 見届けた後、蒼白な顔のまま掃除を始めるビクトリア。敷物の上の吐瀉物を、拭き取りながら集めていく。


「ううぅ……」


 ……失敗しちゃった。


 彼女の頭の中に響く、タンクの声。


 ……前の成功例が適合性高すぎたせいかなぁ、同じ要領でやったら駄目だったんだ。


 この遠征が始まって以降、何度も何度もビクトリアを苛み続けた声だ。


 ……多分チャスン、そのうち神経が焼き切れると思うよ。


「私は、私は……」


 敷物の上に点々と、吐瀉物とは違う染みがついていた。


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