265:イグリス軍第三陣の攻勢

265:イグリス軍第三陣の攻勢


 十四日目に到着したイグリス軍第三陣約二千名は、予定より遅れて十六日目から【緑の城】攻略へと投入された。厳しい【大森林】環境下でここまで戦線を押し上げ維持し疲弊した者たちとは違い、未だ無傷かつ士気の高い戦力だ。


「前進!」

「「「おおぅ!」」」


 朝を迎えてもなお暗い森の中、鳴り響くラッパを合図に各所で赤服の兵士たち……イグリス軍が動き出す。【緑の城】半包囲状態からの、多数部隊による同時攻勢だ。

 内部では一カ所に大軍を展開し難いという事前知識があるため、一カ所の質ではなく手数でコボルド側を圧迫するのが【若禿】の方針だった。彼は昨年ノースプレイン軍のギャルヴィン老が「点」ではなく「面」でコボルド軍を圧迫した手法を評価しており、開戦時からそれに倣っている。


『迎撃せよ! 雛を守る母鶏の如き勇敢さで!』

『『『はーい』』』


 これに対し妖精犬らも盛んに応戦するが、やはり寡兵であることは否めない。

 スープへ浸された硬いパンのように、やがて「じわり」と【緑の城】最外縁の各所陣地が陥落していく。コボルド軍は人的損失を陣地や距離で代替するのが基本戦術であるため損害は軽微だが、城壁を打ち破る印象を得たイグリス軍前線部隊の士気は大いに上がった。


「ここからが【緑の城】内部か。森がより一層、鬱蒼としてきたな。ほら、向こうなんか妖樹が生い茂って壁のようだ」

「犬どもが後退していった先、二手に分かれているわね。事前情報通りなら、きっとこの先も要所要所にまた今みたいな陣地があるのよ」

「なるほど昨年敗れたノースプレイン軍も、【緑の城】とはよく呼んだものだ。防御陣地が部屋なら、それを繋ぐ廊下が木々の薄いところという訳だな」

「城というより迷宮の気がするわね……ま、取りあえずアンタの隊は残って陣地と連絡を確保しておいて。アタシの隊はこっちの奥ヘ進むわ。後続が来たら、残った道へ進ませて」

「そうだな、分かった。狭い場所になまじ複数部隊を同時投入すれば、逆に身動きが取れなくなる。連中、そういう所を選んで待ち構えているらしいしな」


 城内へと侵入した各部隊は、後方との連絡を確保しながら奥ヘ進んでいく。油断すれば前後すら覚束なくなりそうな樹海の中、罠で損害を出しつつも確実に。

 そうして彼らはまたしばし先で防御陣地と遭遇するのだが……これからは先程打ち破った【緑の城】最外縁とは違うのだ、と思い知らされることとなる。


「かかれーッ!」

「「「おおーっ!」」」

『白霧隊、迎撃開始!』

『『『はい、お姉様!』』』


 陣地群二百五十強を四百近くまで拡張し、改修も済んだ【緑の城】。

 各陣地への進路は防壁や堡塁からの射線が通りやすいように調整され、かつ攻撃側が大人数を同時展開できぬよう巧みに狭められてもいた。そんな中イグリス兵は不利な射撃戦でコボルド兵を牽制しつつ、罠や茨条網を取り除いて接近せねばならないのだ。

 本来であれば防盾などで身を守りながら作業を行えるだろうが、妖精犬は適時ゴーレム馬を突入させてはそれを妨害していく。時には樹上足場のコボルド射手が、一方的に魔弾を浴びせもしたという。そのため攻撃側は、不利な射撃戦と地道な作業の継続が求められることになった。

 それは陣地一つ一つが、城郭攻めを彷彿とさせる戦いだ。根気と犠牲と時間が必要な、「攻城戦」である。


 こうなれば枯れ川が最も突破しやすいのでは、と考えるのが普通だろう。だが【緑の城】領域において枯れ川こそが、最も防御力を強化された地点であった。

【緑の城】以降の枯れ川上流域はクロイバラなどの妖樹で埋め尽くす護岸工事や障壁帯構築が行われており、コボルドにしか分からぬ通用路を除けば、両脇へ回り込むことも許されぬトンネルへと作り替えられていた。つまりは枯れ川防衛隊だけが他の戦線から突出して取り残されるようになっても、左右後背の憂い無く戦い続けられるのだ。

 身を隠す木もない砂の上で、【動く壁】に立て籠もるコボルド部隊と正面対峙するイグリス軍だが……肉薄するための戦争馬車(ウォーワゴン)や移動式防楯(マントレット)は落とし穴や茨条網、そしてゴーレムの妨害に阻まれ十分な働きを得られない。かつコボルド側も川幅で展開できる最大兵力を配しているため、撃ち合いとなれば魔杖性能の上回る妖精犬に大きく分がある。

 結果として枯れ川イグリス部隊はこの日終盤に総崩れを起こし、【動く壁】の逆進で【緑の城】領域から追い払われるということとなった。


 ……しかしそれでも、兵力差は如何ともしがたい。


 既に稼働三百を切っているコボルド軍は、陣地によってはたった三名で五十近いイグリス兵と戦うことすら強いられたのだ。霊話戦術のおかげで敵の来ない陣地を空にできてもこれなのだから、状況の厳しさが窺えるだろう。

 手薄な陣地は押し切られての放棄となり、僅かずつではあるがやはり確実に、【緑の城】はイグリス軍に浸食されていく。


 こうして十六日目は終わり、十七、十八、十九、二十日、二十一日、二十二日、二十三日……とかけてじわじわと、イグリス軍第三陣は戦術地図を塗り替え続けるのだった。



 だがそれは第三陣イグリス将兵の心身に、負荷を強いる戦いの連続でもある。

 強固な陣地へ連日挑み続けることは兵の精神を疲弊させ、その士気と勢いは鈍化つつあった。司令部からは着実に進んでいると分かっても、現場の兵卒は無限に防塞が現れ続けるような錯覚すらあったのだ。しかも相手は取り付く寸前で撤収してしまうため、イグリス軍は射撃戦以外でコボルドらに損害を与えることが叶わない。


「神話や伝説でほら、よくあるだろ? 英雄が群がる怪物をばったばたと打ち倒すヤツ。でも今回どうしてか、俺たちニンゲンサマがその怪物役なんだぜ。やってられるかよ」


 というのは二十一日目で戦死したイグリス兵の言葉だが、似た感想を抱いたのは彼だけではなかっただろう。

 ミスリル鉱床の存在を知るのはごく一握りであり、これが国家の命運を左右する戦いだと教えられていないのだから、なおさらだ。破壊した木馬の魔法核やコボルド兵の装備から想像以上の近代軍集団と感じてもなお、ミスリル鉱脈というものは妄想の領域なのである。


「よせよ、隊長に叱られるぞ」

「構わねえさ。隊長だってビビっちまってるんだ。騎士様がみっともねえ」

「はは、確かに。肩章襟章もとっぱらって、俺たちと同じ軍服にしてるんだからな」


 コボルド軍猟兵隊は【緑の城】内の抜け道抜け穴を活用し、樹上や茂みから度々敵軍前線指揮官を狙撃した。このため士官である騎士の戦死や負傷後送が続出し、イグリス軍前線は兵がいても指揮官不在で隊を満足に動かせなくなる、という事態まで度々発生したのだ。騎士や軍曹が続けて倒れてしまえば、引き継いだ一般兵で積極的に前進を指揮することは難しい。

 魔杖装備で近代化された昨今、イグリス軍は騎士も兵士もよく似た赤いコート、通称【赤服】を軍服として着装している。だが騎士服は当然一目で分かるように肩襟章や装飾が施されており、これが狙撃手にとって格好の判別材料となってしまっていた。

 被害を知った司令部の【若禿】は騎士服の飾りを取り払わせ、指揮官が矢面に立つのを禁じて対応させたが……これは一部兵士の目に怯懦と映り、やはり士気の低下を招くこととなる。

 なお装飾除去に効果があったかというと、これに対しコボルド猟兵隊員は『偉そうにしてる奴はなんとなく分かるよ』と語っており、あまり意味が無かったらしい。


 ……こうしてイグリス第三陣は、損耗と疲労から明らかな鈍化を見せ始める。

 そこで【若禿】は、再編と休息を済ませた後方の第一陣第二陣との交替を始めようとしたが……その直前に生まれた僅かな隙を、サーシャリアは見逃さなかった。


 二十四日目。

 コボルド軍は一転して、【緑の城】領域内での攻勢へと移ったのである。

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