258:第六次コボルド王国防衛戦
258:第六次コボルド王国防衛戦
イグリス中央軍による遠征は長期を前提にしているとはいうものの、それでも時間を稼ぐことがコボルド側の目標であった。
今迄は人界に戦乱を引き起こさぬため、孤立無援であり続けていたコボルド王国だが……イグリス内戦自体が既に避けられぬ状況となった現在、ルーカツヒル辺境伯領との連携が選択肢に加わっているからだ。
「私が今回得た情報を持ち帰れば、我が主はフルリール王国を撃退した後、速やかにコボルド村の救援へと移るでしょう。関係の深いゴルドチェスター辺境伯もグランツ王国を退ければ、我が家の動きに同調する可能性は高いと思います」
それはラフシア家情報部のジェドーが立ち去る前に語った予測だが、十分な現実味を帯びた予言でもあった。宰相側が対立意思をあらわにした以上、二つの辺境伯領はミスリルの力を得てミッドランドに対抗せざるを得ないのだから。
加えてナスタナーラの安全を確保するために追放した配慮も、父親たるルーカツヒル辺境伯カローン=ラフシアの背を押す掌の一つとなるはずだ。
……辺境伯軍が討伐軍の後背を衝けば、包囲を崩せる可能性はある。二辺境伯連合軍になれば、なおさらだ。
「ですからベルダラス卿とコボルド村には、その時まで何としても持ちこたえていただきたい」
もしルーカツヒル辺境伯軍が、外敵を早期に撃退できれば。
もしゴルドチェスター辺境伯軍が、同じく戦況を立て直せれば。
もしゴルドチェスター辺境伯が、ルーカツヒル辺境伯と同調すれば。
もし二辺境伯が、コボルド村への援軍を差し向ければ。
もし、もし、もし、さらにもし。
仮定に次ぐ仮定の上に描かれた未来絵図である。だがジェドーが求めたように、それもすべてコボルド王国がミスリル鉱床を有したまま健在であってこその話だ。
だからガイウスたちは、コボルド村でミッドランドを迎え撃たねばならないのである。
そしてそのためには当面冬まで、コボルド王国の森林城塞【緑の城】を陥落させないことが焦点となるだろう。
いくら中央軍が越冬を前提としていても、それはあくまで補給面の話だ。冬の【大森林】における実戦では、やはりコボルド側に大きな分がある。だから雪が降るまで持ちこたえれば、ヒューマンの軍勢相手に戦線を維持することも決して不可能ではない。そうなれば、春までの猶予を得られる見込みがあるのだ。
勿論これも皆、仮定の話だが。
……そんなコボルド側の意を汲んだ訳ではないが、イグリス軍の進軍は随分ゆっくりとしていた。
彼らはこれまでの侵略者同様、まず都市ライボローを兵站の重要中継拠点と定めたが……そのままコボルド村へ直行はせず、複数の野営地を築きつつ前進し始めたのである。
目的は、戦場とライボロー間の接続補強。これが整えば輸送部隊が襲われる危険は減り、連絡の精度も高まる。兵站線を警備する騎兵隊の拠点ともなるだろう。また各野営地が物資集積所の役目も分担することで、昨年ザカライア=ベルギロスのグリンウォリック伯爵軍が一度に全糧秣を失ったような事態も防ぐ。
そして何よりこのライボローと枯れ川を結ぶ線は、コボルド討伐後ミッドランドがミスリル鉱床という重要資源を維持・防衛する時にも必ず有用となるのだ。一回限りの使い捨てではない。
【若禿】の率いる軍の歩みは遅いのではなく、重いと呼ぶべきものであった。
一度強固な兵站線を築かれれば、補給面への攻撃で討伐軍を撤退に追い込むことは極めて困難となる。
コボルド側もそれを分かっているため、襲撃による妨害が提案されたが……討伐軍は野営地一つ一つが防御力を獲得するまで留まり護衛する慎重策をとったため、検討だけで終わっている。コボルド軍が精強といえども【大森林】外で数倍の敵へ仕掛けるのは無謀であるし、そこで兵を損なえば防衛自体が成り立たない。
そのため選抜班による【ゴブリン火】を用いた破壊工作が代わりに行われたが、少数の物資や仮設兵舎を一度焼いたのみに終わり……その後は成功すらしなかった。
こうして討伐軍第一陣はコボルド王国を寄せ付けぬまま前進と設営を幾度か繰り返すと、三千のうち半数を兵站線の維持防備に回した上で、枯れ川入り口付近へと到着したのである。
季節はすでに秋へ入り、しばらくが経つ。
◆
『『『がんばれー』』』
『『『まかせとけー!』』』
家族に見送られ、森へと向かうコボルド兵たち。
コボルド王国は【大森林】の外で敵の前進を遅らせることはできないと判断し、以降は防衛機構の整備に専念していたが……とうとう相手が攻略開始の動きを見せたため、戦闘配置へ移行しているのだ。
『じゃ、王様! 行ってきます!』
『ではではー』
『陛下、また後ほど戦場で!』
「あふん」
また別のところでは同じく王国兵らが、ぱしんぱしんと主君の尻を叩いては森へと入っていく。
「ううむ、また皆が私のお尻をいじめる……」
ぼやくコボルド王。
かつて一過性の謎の流行だったものが、やがて『王様の尻を叩けば魔弾に当たらない』というゲンかつぎへ進化してしまったものだ。不本意ながら兵の士気に関わることなので、ガイウスもなかなか止められないというのが実情である。
「まあまあガイウス様。これで皆に気合いが入るのですから」
「そうであります。ガイウス殿の汚いケツの皮ごときで勝率が上がるなら、安いものでありますな」
臀部を摩る彼へ寄り添い、慰めたり煽ったりしているのはサーシャリアとダーク。まぁ彼女らは彼女らで、どさくさに紛れて一緒に尻を叩いていたりするのだが。
『ハハッ。将軍閣下やダーク殿では、不敬とお咎めする訳にもいきませぬな』
そんな王と側近を、やはり出撃準備中の親衛隊長ブルーゲイルが苦笑しつつ眺めていると……背後から聞き覚えのある声が掛けられたのだ。
『隊長!』
ブルーゲイルが振り返ると、そこには顔の右半分にひどい火傷跡のあるコボルド兵がいた。
『サンダーセンチピード、復帰を申し出ます!』
第五次王国防衛戦で負傷治療中にドラゴン空襲を受け、魔杖で応戦するも右上半身に大火傷を負って実戦部隊から外されていた親衛隊員である。
『もういいのかサンセンチッ!』
『ええ、火傷跡はもうどうしようもありませんがね。手の指や腕だけは動くよう、皮膚はゴブドクに切開してもらいました』
『剣は握れるのかッ?』
『機能回復訓練(リハビリ)、続けていましたので。新兵よりは、お役に立って見せますよ』
左掌を湯涌に見立て、その中で右掌を開け閉めするサンダーセンチピード。
『……いいのかッ? 閣下はお前を員数に入れなかったぞッ』
親衛隊長は隊員の仕草は見ず、その後方を見ていた。そこには遠巻きに息子を見守る、サンダーセンチピードの母親の姿がある。
当時空襲の火傷で重篤に陥った彼を寝ずに看病し続けたのは、彼女であった。命を拾った後もまた戦場へ戻ろうとする息子を、今、どんな気持ちで見つめているのだろう。
それを察したのか、ゆっくりと首を振るサンセンチ。
『いいんです。母さんだって、分かっていることですから』
サンダーセンチピードと母親の間を、別部隊の隊列が通っていく。
森の魔獣たちは、魔杖を見たことはない
兵を薙ぎ倒す魔弾の恐ろしさを、威力を知りはしない
なれど我らが勇士は、それを知り立ち向かうのだ
恐れを払い、さあ吠えよ
ワウ、ワウワウワウワウワーワウ
コボルド魔杖兵
行進曲【コボルド魔杖兵】を歌いながら行くのは、名人隊所属の八十名だ。
その中には、少年少女の雰囲気を残す者も多い。
『俺たちは、ああいうのを一人でも多く家に帰してやるために”親衛隊”張ってんでしょう、リーダー?』
『……ああ、そうだなッ』
頷くブルーゲイル。
『親衛隊員サンダーセンチピード、貴様の原隊復帰を認めるッ! 閣下には私からお伝えしておくッ!』
『有り難うございます、隊長!』
火傷跡で引き攣った顔に笑みを浮かべ、サンセンチが敬礼する。ブルーゲイルも、それに敬礼で返していた。
『よしッ! ではサンセンチッ!』
『はい、隊長!』
『ゲンかつぎに、陛下のお尻を叩いていくぞッ! その後は親衛隊体操だッ!』
『了解です!』
……第六次コボルド王国防衛戦。
後世人界において、【コボルド森の戦い】と呼ばれることとなる決戦。
こうして最初に投入されるコボルド王国軍の戦闘人員が、三百六十一名。対するイグリス中央軍は、開戦時戦闘人員だけで千五百名となる。
コボルド族の存亡のみならず人界の未来をも左右する戦いが、これより始まろうとしていた。
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