257:贈られる物と見送る者

257:贈られる物と見送る者


 村の西端に集まるのは、これよりコボルド王国を去ろうというゴブリン族の一団。

 毛皮の友人たちと別れを惜しみつつ、最後の準備と確認を行っているところだ。


「クソッ! クソッ! ガキ扱いしやがって! クソがよ!」


 そんな中で苛立ちをぶつけるように、荷物をきつめに銅のゴーレム馬へくくりつけるドワエモン。彼は【大森林】を途中までゴブリン族に連れられた後、コボルド王国を追放される手筈となっていた。


「何ですのエモン? オチンチンに毛が生えていないこと、貴方まだ気にしていますの?」


 こちら同じく追放者、反対側で銅馬に荷を載せているナスタナーラ。


「誰もチンチンの話はしてねえだろうがあああ!」

「ちなみにワタクシは大人ですから、モッジャモジャですわ」

「知ってるよ!! オメーが男湯時間に平然と入ってくるから、知りたくもねえのに知ってんだよボケが!! 大体! テメーはチン毛で大人の判断してんのかよ!!」

「少なくともワタクシのほうがエモンより大人だっていう証拠ですわー! ベーロベロベロベロ」


 額を付き合わせて口喧嘩の二人。

 七尺令嬢は四尺程度のドワーフに合わせて姿勢をぐぐっと曲げており、柔軟さと身体能力の高さを周囲に示していた。


「ちょっと貴方たち、最後くらい仲良くしなさい!」

「いや……滅茶苦茶仲良いでありましょう」


 最後まで叱り役のサーシャリア、茶化すダーク。これも見納めのいつもの光景。

 その脇でゲラゲラとフラッフが笑っているのも、だ。


『ほらフラッフもちゃんとしなさい。お前がエモン兄さんたちを見送るんだからね』


 丸めた紙で綿毛をコン、と小突くのは従姉妹のアンバーブロッサム。


『分かってるよブロッサム姉ちゃん。大事なエモン兄ちゃんたちとのお別れだもん……』


 国外追放の見届け人には、当然の人選としてフラッフが選ばれていた。

 綿毛の弟も愛する兄貴との別離は悲しいが、彼とて死地からエモンとナスタナーラが退去させられるのだと理解している。そうなればフラッフも、送り出す心境に自然とならざるを得ない。


『そ。はいこれ命令書。お前は馬鹿だから、陛下と将軍が書面にしてくれたのよ。エモン兄さんたちを見送り地点まで送ったら、開きなさい』

『それがセージンダンセーに言うことかよ、姉ちゃん……』

『だったら少しは成人男性らしくしなさい!』

『ひひひヒゲひっぱらないででで』

「まったくこれ、なくさないようにちゃんと持っておくでありますよ」

『ダークまでぇー。大丈夫だってば』

「お前は幾つになってもボケボケでありますからな。しっかりするでありますよ」

『……そう。しっかりやるのよ、フラッフ。伯母様の分も』

『はー? しつこいなーもー。へーきへーき』


 鼻をほじりながらへらへらと、ガイウス家の末っ子は応じていた。そんな調子だから、いい歳こいてここでまた従姉妹に尻叩きされるのだ。

 そんな寸劇の向こうでは、ゴブリン医師と族長ウーゴが話している。この医師一人だけは、見送る側に立つのだった。


「本当に残るのカ」

「あア。妻はこの地に眠っているからナ。お前らと一緒に行く弟子モ、もう一人前だシ……それに少しはこれデ、一族の面目は立つだろウ?」


 ウーゴが苦しげに頷く。彼が汚名を一身に被ったように、このゴブ医師(ドク)も死地に残ることでわずかながらに種族の名誉を庇おうとしているのだ。

 なお、ゴブドク以外の残留をウーゴは認めなかった。


『おぅいウーゴ、ちょっと調節して、積み場所確保しろよ』

『お前らだけじゃあ、ゴーレムは連れて行けないからな』


 そこへ近寄ってきたのは、レイングラスとスイートウォーター。スイートウォーターは、旧ゴブリン村に命を救われたコボルド難民の一人だ。

 その二人が連れた木馬の大籠には、何十本もの魔杖が積まれているではないか。


「おイ、これはコボルド軍の……」

『なぁに、どうせ溶かすしかない旧型だ。でもコボルド用のものだから、ヒューマンの鹵獲品よりはゴブリンの体格に合うだろうよ』

『持っていけ。【大森林】の中を彷徨うなら……あって困らないはずだ。ガイウスさんの許可は、もらっている』

「すまン……」


 肩を震わせるウーゴ。

 二人のコボルドはゴブリン族長が顔を上げられぬのを察すると、『『達者でな』』と告げ、敢えて早々に背を向け立ち去っていく。

 そして餞別を贈られていたのは、彼らだけではなかった。


「エモン」


 エモンの前に立ったのは、コボルド王ガイウス=ベルダラスだ。脇には、愛馬たる泥のゴーレム馬を伴っている。


「オッサン! なあオッサン! やっぱり俺は……」

「連れて行け」

「えっ!?」


 驚く少年の脇へ歩み寄り、荷を載せろとばかりに首を下げるマイリー号。


「結局、私から一本取れるまで君を鍛えられなかった。不肖の師匠だな。だから腕を上げるよう、マイリーに見届けてもらう」

「オッサン」

「頼んだぞマイリー。今日からエモンが、君の相棒だ」


 ぶひん、と泥の美女が小さくいななく。

 まだ何事か食ってかかろうとしていた弟子は、拳を下げて口籠もる。渡された餞別に、ガイウスの本気を感じたからだ。


「く……どいつもこいつもガキ扱いしやがって……ッ!」

「達者でな、エモン」

「少しはしっかりしなさいよ貴方」

「ちゃんと股間は毎日洗うでありますよ?」

「クソ……クソ……ッ!」


 エモンは土壇場で喚けば、騒げば、駄々をこねれば、まだ何とかここに残れるのではないかと心の何処かで思っていた。

 だがもしここで地面に齧り付いたとしてももう師匠は、仲間たちは、コボルドの皆は……好意故に、彼が残ることを許さないのだ。本気で、本気で少年を村から送り出そうとしているのだ、と。

 彼はようやく、それを理解せざるを得なかったのである。



「私は卑怯者だ」


 ゴブリン族の列が森の中へ消えていった後の帰り道。ぽつり呟く、ガイウス。

 脇に並んでいたサーシャリアが、彼を見上げる。


「勝利を誓いながら、彼らを追い出す。友人として助けてもらいながら、都合で部外者や子供扱いだ。それに……」

「フラッフへの命令書ですか」

「うん」


 綿毛のコボルドに持たせた命令書には、フラッフへの追放処分が記されている。書の開封時機は、ウーゴが合図する手筈だ。


「あの子は、世界を見たいと言っていたからね」

「見たいというか揉みたいという話ですけど」


 あの白いふわふわが常々口にしていた、【諸国おっぱい揉みの旅】という夢。それを叶えてやろうと、ガイウスが亡き友ホワイトフォグのため、珍しく挟んだ私情であった。

 だがそれだけではない。同時にこの小細工は、エモンとナスタナーラをフラッフの保護者に仕立て上げるのだ。ガイウスが彼らを退去させたのと同じ理由で、彼らは綿毛が追放処分を無視して暴走するのを止めるだろう。

 これは結果として少年少女自身が村へ戻ってくることも防ぐはず……という大人の狡猾さでもあった。


「でもフォグはきっと、私を怒るだろうな」


 サーシャリアは彼の横顔から、迷いと苦悩を読み取っていた。

 それはかつて彼女が、信仰に近い思いで見つめていた人物。だが彼とてやはり自分と同じ人間であり、絶対的な存在ではない。選択も言葉も行動も、常に手探りで生きているのである。


「……そうですね。きっとフォグさんがいたら、ガブリ! ですね」

「だね」


 サーシャリアはガイウスが以前より小さく見えてきたことが、何故か何処か嬉しくもあった。

 それは彼女が素朴な憧れだけで背を追う少女ではなくなった証左なのだが、そのように精神を客観視することは、当人には不可能だろう。分かっているのは、先に帰宅した黒髪の僚友くらいか。


「勝ちましょうガイウス様! 勝って、あの子たちがまた戻ってこられる場所を守るんですよ!」


 今の彼女は信奉者ではない。

 共に歩き、支え、前を進んで彼の手を引きもする者なのだから。


「……うん、そうだね」

「さあ、帰りましょう! まだ今日やることもやらなきゃいけないことも、いっぱいありますからね!」


 舞台舞踊のように片脚でくるり回ったかと思うと、サーシャリアはガイウスへ笑顔を向けながら後ろ向きに歩いて行く。杖になれたとは言え、器用なものだ。

 ……だがそれを見る主君の顔は、蒼白である。


「い、いかんサーシャリア君! 止まるんだ!」

「え?」


 ガイウスの制止と、彼女の視界の急落下。

 それは、ほぼ同時であった。



 ゴブリンらは新天地を探すに際し聖人教圏からは遠ざかっておくために、そしてナスタナーラとエモンらはルーカツヒルへ向かうために、コボルド村のある双子岩草原の西南端から森へ入っていった。

 そしてそのあたりは丁度腐れの精霊の協力により、村のし尿を効率的に堆肥へ発酵加工する「コボルド族伝統の設備」が多数設けられているのだ。


『あ、サーシャリア姉ちゃん……肥だめに、落ちた』

『ああもう閣下ったら、無理に後ろ歩きしたりして、足下おろそかにするから……』


 国王による将軍救助劇を眺めているのは、フラッフの親友フィッシュボーンとアンバーブロッサム。二人もまた最後まで、綿毛らを見送っていたのである。

 揃っての、溜め息。


『ところで、ブロッサムさんは、良かった、の? フラッフだけ、行かせて』

『は? 私はあの子とは違って、白霧隊組を預かる身だもの。王国を出て行けないし、ましてや出て行くつもりもないわ』

『そう、だよね』


 幼馴染み二人の視界の中で、慌てた隻眼男が「目を開けてはいかんぞサーシャリア君!」と半エルフを抱えて走り出していく。


『そう言うフィッシュボーンは良かったの、フラッフと一緒に行かなくて。親友でしょ』

『んー、僕も、弟や妹が、村にいるし』

『そうね、そうよね。まだフィッシュボーンは、レッドアイさんの代わりで大変だものね』


 昨年生まれの弟妹は成人したが、彼の家には父が戦死前に遺した弟妹たちが残っているのだ。


『それに、ここには、ブロッサムさんもいるし、ね』

『なるほどねえ』

『……』

『……』

『……』

『……?』

『……』

『……!』


 長い沈黙を経て、琥珀毛皮の女戦士はようやく気付いたらしい。


『えっ!? あの、それって、まさか!? そう言う意味!?』

『うん』

『ううう嘘でしょ!? いいいつから!?』

『子供の、ころから、ずっと』

『そ、そう来たかぁ……』


 年長者の沽券があるのか、頬を真っ赤にして顔を逸らすアンバーブロッサム。

 だが尻尾は、落ち着きなく回り続けている。


『どど、どうして。フィッシュボーン、村の女の子からすごく人気あるのに。白霧組でも、貴方のこと良く思ってる子は結構いるのよ?』

『あんまり、興味、ない』

『それにほら私って、性格きついとかよく言われてるじゃない? それなのに……』

『んー? フラッフが、叩かれてるのは、ずっと、羨ましかった、よ?』

『……最低の口説き文句ね……』

『そう、かな?』


 白霧隊隊長が、肩を落として溜め息を吐いている。


『やっぱり何だかんだで貴方、愚弟(フラッフ)の親友やってるだけのことはあるわ』

『うん、だから、フラッフと兄弟になっても、大丈夫だよ』

『……口が達者なのか不得手なのか、はっきりしない子ね……』


 苦笑い。だが染めた頬は、背けたままだ。


『ととーとにかく! こういう浮かれたのは、戦いが終わってからね! 分かった!?』

『うん、待ってる』


 鼻水を啜りながら、いつもの調子で返事をする魚骨模様の幼馴染み。


『はいじゃあ駆け足! 駆け足で帰るわ! これも鍛錬よ!』

『了、解』


 照れ隠しに走り出すブロッサム。尻尾を振りながら、フィッシュボーンがそれを追いかけていく。


『あ、ブロッサムさん。言わなきゃ、いけない、ことが』

『なななななななな何よフィッシュボーン!? ままままだ何かあるっていうの!?』


 顔を明後日の方向に向けたまま、慌てて横走りで応じるブロッサムだが。


『そのまま、進むと、肥……』


 ……言い終えるよりも、水音のほうが早かった様子である。

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