256:去る者と追われる者

256:去る者と追われる者


「そ、そんなこと……」


 今度は逆に、ナスタナーラが気圧される番であった。


「ね、ねえ長老! 本当ですの!? 本当なのですの!? 分かりますわよね、長老なら!?」


 褐色少女は狼狽して駆け寄り、老コボルドを持ち上げ揺さぶる。

 今更大した意味は無いが、嘘の嗅ぎ分けについて伏せる配慮も忘れるほどだ。


『本当じゃ』


 目を逸らし、苦い顔で告げる。

 この瞬間に長老の魂から濃厚な嘘の臭いが漂ったことは、ナスタナーラには分からない。


『この男の言葉は本当なのじゃよ、ナッスちゃん』


 老妖精犬は、ジェドーの言葉の真偽を正確に嗅ぎ分けていた。

 辺境伯がナスタナーラを呼び戻そうとしているのは、真っ赤な嘘である。だがそう欺く代償にこの執事が自らの命を差し出すつもりなのは、紛れもない真実なのだと。


「そんな」

『ナッスちゃんのお父さんは、帰って来いと言っておるのじゃ』


 長老は老執事命懸けの忠義を目の当たりにし、同じくナスタナーラを欺いたのであった。

 またそれを察したからこそレイングラスたち他のコボルド族幹部も、また魂を嗅ぎ分けられぬガイウスらも……年輩者になるほどジェドーの心情と献身が理解できるため、口を挟めぬ。


「いーじゃねえか、その爺さんの言う通りだ。ナッス、帰れよお前」


 しかしその沈黙を意に介さず、無神経に言い放つ者が一人。

 気怠げに首を掻く、コボルド王国うんこ大臣ドワエモンだ。


「な!? 何をおっしゃいますのエモン!」

「心配だから、親父さんが帰って来いって言ってんだろ? まぁそれも分かるぜ。これから俺たちは今までで一番バチクソヤバイことこの上ない、命がけの大勝負をしなきゃいけねえんだからよ」


 うんうん、と腕を組み一人頷く。


「勝ったって生き残れるかどうかは分からねえ。オメーは帰る家と待ってる家族が居るんだからよ、帰ってやれや」


 七尺令嬢の肩へは届かないので、代わりに腰がポン! と叩かれる。

 直後に直上から降り注ぐ、令嬢怒りの本気鉄拳。床へ沈むドワーフ少年。コボルド王国では日常光景だが、驚愕のあまり老執事は入れ歯を噴き出していた。


「なーななななな、えらっそーになんですのエモン! そもそも貴方なんか、家出してきたんじゃありませんの! ワタクシのこと、どうこう言える分際ではありませんわ!」

「ぐべべ……ばっ……ちょ……!? ナッステメー、何バラしてやがんだ!!」

「うるさーい! うるさいですわ! 死になさいオラァ!」


 ビシビシポカポカ、兄弟喧嘩の如き蹴り合い叩き合い。

 しかしコボルド王国の仲間たちは、愕然とした表情で彼らを見ている。


「ぬ?」

「はぁー!?」

『なんじゃと?』

「ケ?」

『おいおいエモン』

『エモン殿それはッ!?』

『『『だめだろー』』』

『『『あかんでしょ』』』


 中央軍による討伐が知らされた時とは別種の動揺で、場は騒然となった。

 特に中高年のコボルドらが、眉根を寄せている。


「ぐ……う……なんだよお前ら」

「ちょっとエモン! 貴方、『お嫁さん探しの旅』って嘘だったの!?」


 片脚でぴょんぴょん少年へ詰め寄り、問いただすサーシャリア。


「べ、別に嘘じゃねえよ! ドワーフは嘘吐かねえ! 嘘付けねえ体質なの! 嫁探しの旅ってのは本当だよ!」

「じゃあ貴方、ちゃんと親御さんの許しを得て旅に出てきたの!?」

「いやお袋や姉貴たちの許可は……貰ってない……けどよ」


 毛皮の大人たちから一斉に、『『『あぁー』』』と嘆きが上がる。


「もしくはドワーフ族はお嫁さん探しに出る時、役所に届け出とか必要だったりするの?」

「必要……だな、うん」

「申請はしたの!?」

「して……ない」

「じゃあ家にも故郷にも黙って、勝手に飛び出してきたの?」

「お……おう。そうなるな」

「それを家出って言うのよ!」


 半エルフから、ごちん! と折檻拳骨が叩き込まれた。


「いでえー!」

「何で家出したの!?」

「よ、四番目の姉貴のカンザシに、俺が貯め続けてきた秘蔵の助平本をごっそり焼かれたから……」


 がつん! 第二撃。


「何で黙ってたのよ! このお馬鹿ーッ!」

「別に問いたださなかっただろお前も皆も! 家出なんだろうってよ!」

「ぬ、ぬう……」

「ド、ドワーフ族はそういう風習なのかと思ってたのよ!」


 第三撃。赤毛エルフ、大激怒である。


『おいエモン、おっかさんに黙って故郷でるのはまずいだろ』

『よくないのう、親御さんの気持ちを考えると……』

『『『そうよそうよ』』』

『『『そうだぞそうだぞ』』』

「な、何だよお前ら! 普段は馬鹿ばっかり言ってるくせに、こういう時だけいきなり常識的になりやがって……」


 ドワーフ少年は不満げにぼやくが、皆の視線は厳しい。

 その空気に気まずくなったエモンは、ナスタナーラへ向き直り。


「くそー! ナッス、テメーがバラしたせいだぞ!」

「へーんだ! 元々エモンが悪いのですわー! ワタクシなんかちゃーんと許可もらって来ましたもの!」

「あぁ!? でも帰って来いって言われてんだろーが!」

「キェー!」


 また取っ組み合いの喧嘩を始めるのであった。

 あまりに事態の収拾が付かないので、コボルドたちが群がって止めに入る。


「オラァ!」

「ウッキー!」

『やめんか馬鹿ガキども!』

『『『止まれー!』』』

「ナ、ナスタナーラお嬢様」


 その喧噪の中。

 コボルド王は腕を組み、睨めつけるように彼らを見つめていた。



 ジェドーは「ラフシア家の情報部門を預かる身として、すぐ戻らねばなりませぬ」と、用件を伝えた後はそのまま蜻蛉返りで深夜の枯れ川を親衛隊に送られていった。

 戦時状況下だが、末端間者では代理の務まらぬ特使だ。立場のある彼がどうにか都合をつけて、ようやくコボルド村を訪れていたのだろう。何せ目的の片方であるナスタナーラを伴うことなく、帰ってしまったのだから。

 だが老執事はコボルドやガイウスの雰囲気から何らかの確信を得ていたようにも見え……それが腰を据えナスタナーラを説得する、という時間の掛かる大仕事を彼に放棄させた理由なのかもしれない。


 そんなジェドーが帰った後の指揮所。

 未だにそこではコボルド王や幹部、村の年輩衆に鍛冶親方や教授までが加わり苦い顔を付き合わせていた。

 議題は、来るべきミッドランドの侵攻についてではない。それに関しては元々、為すことは明確に決まっているのだ。彼ら年輩者や年寄り衆は、別のことで頭を悩ませていたのである。


「……忙しいところに悪いナ、いいカ」


 そこへ現れたのは、ゴブリン族の若き族長であった。


「ウーゴ殿か、構わぬよ。夜更けにどうなされた」

『おういいぜ。まあ別に、忙しく議論してる訳じゃあねえんだよ』


 それを迎えるガイウスとレイングラス。


「今日のあの男の話でハ、先発隊だけで去年のノースプレインの大軍並にいル、ということだったナ」


 コボルド王と猟兵隊長が、共に頭を上下させる。


「そんなものガ、いくつもいくつも来るというのだろウ? しかモ、冬が来ても引き上げないつもりデ」

『だな』

「それは何千……下手をすれば『万』ではないカ。森の中で暮らしてきた我々にハ、到底考えられん大軍ダ……それを戦うのカ?」

「そのつもりだ」

「正気とは思えン。何故逃げなイ?」


 息を吐きながら、首を左右に振るウーゴ。

 そんな彼へ、ガイウスの隣に座っていたサーシャリアが会釈をしてから語り始める。


「理由は幾つかあります。現コボルド村という恵まれた拠点で農耕を基軸に人口増加を遂げたコボルド王国は、最早流浪生活では全国民を食べさせ続けることが叶わないのです」


 然り。村を発展させたことが、この場合は逆に足枷となっているのだ。

 ミスリル装備があったところで、放浪中に全国民の腹を狩りで満たすことは不可能である。たとえゴーレムで備蓄を運んでも、村という基盤が無ければその内に食い潰すのは明らかだろう。


「そして、季節はまだ秋前ですが……その秋の次は、冬です。寒さの中あてもなく【大森林】の中を彷徨うことに、小さな子供たちは耐えられません」


 かつてホワイトフォグらが冒険者による旧コボルド村の破壊より逃げ延びた時とは、訳が違う。

 当時は初春でもあり、また殺戮と流亡で人口自体が激減していた。だから道中わずかな獲物や採集で辛うじて食いつなぐこともできたが、それとて幸運にも現コボルド村やゴブリン村へ辿り着かねば、飢えて全滅していたのは明白だ。現にそうならなかったであろうコボルド難民の消息は、今も無い。


「それを……切り捨てを前提に計画を立てるのは……とても困難です」

「……そうだナ」


 当然ウーゴとてサーシャリアの説明程度、分かる。彼もヒューマンにゴブリン村を潰され、【大森林】を彷徨った身なのだから。

 そしてその際にゴブリンの老人らが……足腰の立たぬ者までが……自らを犠牲に若者たちを逃がした記憶は、今もウーゴを苛み続けているのだ。切り捨てと生け贄で、自分は生き延びたのだと。


「……どれくらい斃れるカ、分からないナ」


 後世歴史家の中には「選別した少数の民だけに物資と装備を与えて逃がせば、高い確率で種を生き残らせたであろう。コボルド王国首脳陣はあまりにも薄すぎる勝ち目に賭けることとなり、結果その賭けを外すはめになったのだ」と皮肉な分析をした者もいる。だがそれは当事者ではない、天井の視点に過ぎぬ。

 そして何より、単純にこの場だけ逃げられれば大丈夫という訳でもなかった。


「あるいは落ち延びた先、どこかで幸運にもコボルド村を再建できるかもしれません。ですがイグリス王国は、【大森林】の戦いに長けたコボルド族の存在自体を許さないでしょう。コボルド族が存在する限り、敵対・反乱勢力と結託してミスリル鉱床を脅かされる可能性が付き纏うのですから」


 当時ミスリルを手にして【大森林】で発展した彼らには、彼らだからこそ肌で理解できる危惧がある。


「ミスリルの道具が【大森林】に有効なのは、森の中で活動すればイグリス王国もすぐに気付くはずです。ならば外縁部の【大森林】を克服した彼らは、必ず森の中のコボルド族を探して滅ぼしに来るでしょう。そしてその時の戦いは質・量の両面において、私たちがこの地でイグリス中央軍を迎え撃つのとは比較にならないほど絶望的なことは……疑いありません」


 ミスリルを手に入れたイグリス王国が勢力を広げるのも、目に見えている。逃げ続けるなら、手の届かぬはるか遠方まで国民総出で落ち延びねばならないだろう。それは極めて、極めて困難だ。


「つまりお前たちハ、先のことを考えテ、敢えてここで踏みとどまるというのカ」

「はい、そうです」


 眼鏡の半エルフは、ゴブリン族長の目を見据えながら言い切った。


「確かニ、確かにそうだナ。赤毛ヨ、お前の言う通りここで戦う以上の状況ハ、今後作り出せないに違いなイ。薄いとは言えこれが現時点デ、もっとも分のある賭けなのだト」


 頷くサーシャリアとガイウス。


「ウーゴ殿。私はコボルド族の皆に……皆がこの先も、皆の子孫がこれからもずっと暮らしていける場所を作るために王となったのだ。【国】を、作るために。ここで退けば、それは不可能となるだろう」

『また村を亡くすのも、御免だね。しかも近い未来に滅ぼされちまうなら、なおさらさ』


 ガイウスとレイングラスの言葉に、ウーゴは目を閉じ息を吐く。

 生きるというのは、単純に命さえあれば何でも良いということではない。愛する家と土地と生活を失い彷徨う辛さと絶望は、ウーゴとてその身で思い知っているのだから。

 だが、だがそれでもこの若きゴブリン族長は。


「……我々ハ、その賭けには付き合えン。確実ナ……確実なほうを選ブ」


 この間にも腕を組み唸り続けていた妖精犬たちが、一様にゴブリンへ顔を向ける。


「ゴブリン族ハ、コボルド村を離脱すル」


 ウーゴは咄嗟に皆から目を逸らしたものの、すぐ頭を小さく振り……むしろ視線を進んで受け止めるかのように胸を張り、顔を上げていた。

 その頬や目に殴り合いの跡が見られるのは、彼がゴブリン族内で沸き起こった反対意見を強引かつ乱暴に叩き潰したためなのだろう。そしてそんな彼とて、一族と同じ心の無いはずもない。

 つまりウーゴは自分が、自分だけが卑怯者の汚名を被ることでゴブリン族の命を繋ごうとしているのだ。


「承知した、ウーゴ殿」

『そうか、そうかい……そうだな』

『ああ、そうじゃな』


 それが分かるからこそガイウスらも、その悲しみを嗅ぎ取ったからこそ妖精犬たちも……若きゴブリン族長の決意を、正面から受け止めたのであった。

 そして元よりゴブリン族へ何かを強制するいわれもつもりも、コボルド王国にはない。


「明後日にハ、我々は村を去るつもりダ。もう支度ハ、始めさせていル」


 そう告げた後、「……すまン」と絞り出すようにウーゴは付け加えていた。

 頷くことで、受け止めるガイウスたち。


「ウーゴ殿、一つ頼まれて欲しいことがあるのだが」

「……何ダ、コボルド王ヨ」


 目を逸らしながら、ウーゴはガイウスに問い返す。


「村を去る際、途中まで連れて行ってもらいたい者がいるのだ」



 翌朝の緊急集会で、ゴブリン族の離脱が正式に全国民へ布告される。

 別れを惜しみ互いの無事を祈る、良き隣人であり友人であった二つの種族。その幼子らが互いに抱き合い、泣き叫んで別れを嫌がる姿はまた大人たちの涙を誘ったという。子供たちもきっと、この悲しみを忘れないだろう。


 ……そしてまたこの時、国王の名においてもう一つの布告がなされている。


 コボルド王国うんこ大臣ドワエモンと、魔法院院長ナスタナーラ=ラフシア。

 二名の、国外追放処分であった。


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