190:順調
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「ほう……観光、か。なるほど王都の人間らしい発想よの、面白い」
広間でランサーからの報告を受け、ノースプレイン侯爵ケイリー=ジガンは小さく頬を歪める。
「良かろう。妾からも一筆したためておく故、担当管轄の者に話を通しておけ。コボルド村の者が、看板設置に訪れるとな」
「ありがとうございます、ケイリー様」
「そうさの……ベルダラスがその気なら、ゆくゆくはコボルド村から最寄り街道まで、開拓村時代の道を直させても良い。無論、連中の手弁当でな」
「なるほど、将来的にあの方角を再開発する際に、使い道も出てきますね! 最早軍事上の懸念も無い以上、こちらが費用をかけずに道が整備できるならば儲けものですな」
「あまり、露骨に言うでない」
苦笑いの女侯爵。
「彼奴らが共存を求めておるのじゃ、相応に利用させてもらうだけよ。あんなところと争っても銅貨一枚にもならぬのだ。ならば細事でも、せいぜい使い道を見つけるしかあるまい。そしてそれは、そなたの仕事でもある」
「はっ。このショーン=ランサー、ジガン家とノースプレインの平和繁栄のため、今後も微力を尽くさせていただきます」
女侯爵が鷹揚に頷く。
葡萄酒の杯を片手に窓際に立つギャルヴィン老が、やり取りを聞き「フェフェ」とアヒルのような声を立てていた。
「……なにしてるの?」
その賑やかさに釣られたのか。
開放中の広間入り口から、男の子が中を覗き込んでくる。
「またかスチュアート、母は執務中ぞ」
「フェフェ。相変わらず可愛い若様だねえ」
「ひえっ」
怪婆ギャルヴィンに驚いた御曹司が、前のめりに絨毯の上へ転ぶ。
そこへ慌てて駆け寄り、抱き起こしたのはランサーだ。
「あ! ランサーきてたんだ! わあい」
「あいたた。若様、髪を引っ張ってはいけませんぞ。あいたた」
ここ一年でケイリーに呼ばれることが著しく増えたこのお人好しは、愛らしい次代侯爵から何かと懐かれていた。人見知り坊やがこの調子なのだから、よほど気に入られているのだろう。
「きょうはあそんでくれる?」
「わ、若様。今はちょっと……あいてて」
「スチュアート。ランサーはまだ街道巡回の報告が残っておる故、後にしなさい」
「はい、おかあさま。またねランサー」
侍女に手を引かれ、先ほどの戸から出て行くスチュアート。
広間の一同は笑いながら、その姿を眺めていた。
◆
ぱしん。ぱしん!
「まったく……酷い……臭いだ」
鉛色の髪を垂らした女中(メイド)服の人物が、寝台に横たわる金髪男の頬を叩いている。
「ん? えーと、ああー、んー?」
数度の平手打ちと拳骨を経て、雄猫はようやく汗だくの体を起こす。そして周囲を見回し逡巡した後に、左掌を右拳で勢いよく叩いた。
「そうそう。君はアッシュだ。やあアッシュ、久しぶり!」
「ほう……殴れば……起きるか」
「いいや、たまさか夢から覚めた頃合いさ。ところで何日寝てたかな?」
「このやり取りも……いい加減……飽きた……な」
寝坊猫の汗が付着した手をエプロンで拭いつつ、アッシュはぼやく。
「三日だ……久しぶり……というほどでも……あるまい」
「僕にはもうちょっと長いんだ、仕方ないだろう? 君だって望みが叶ったらこうなるんだぜ、多分だけど」
「オレの時には……数日眠っても……安全な……環境を……整える……必要がある……な」
前髪を揺らしつつ、月下の花を思わせる彼が溜め息をついた。装束はおそらく変装を意図したのだろうが、その中性的な美貌故に違和感は薄い。
一方古代彫像の美を持つ男は「うわー、オネショしてるや!」と黄ばんだ掛け布をめくりながら笑っていて、何とも格好がつかない有様だ。
「呪いを……上塗りし過ぎ……では……ないか?」
「でもこれもまた仕方がないよ。なにせ先日の戦い、僕はうっかり負けるところだったからね。多少の無理は必要さ」
「重ねるのは……いいが……オレの側で……漏らされては……困る」
「どっちのお漏らしかな? アハハ! どっちもか!」
アッシュは小さく頭を振って、その反応を流す。
「それより……手紙が……来て……いるぞ」
「お、本当かい? ……うんうん、やっぱりそうだ」
女中姿の共犯者から投げられた封筒を雑に破き、雄猫は鼻歌交じりで手紙を読み始める。
「差出人は……先日……館に呼んだ……男か」
「そ、そ。古い知り合いというか、同業者というか。彼、業界では割と著名人なんだけどなぁ。ホントに知らない?」
「……知らん」
短く返し、咳き込む。
そんなアッシュをよそに、トムキャットは視線を紙面に這わせていた。
「うん……うん、よしよし。確認してくれたってさ。これで信じてくれたみたいだね」
「順調そう……だな」
「だね。年内にもう一度やれると思うよ。いやあ、僕ぁ楽しみだなあ」
「クフフ……ジガン家の女当主も……難儀だな」
「なんでだい?」
キョトンとした顔で、金髪猫は鉛髪へ尋ねる。
「やっと……内紛を……終えたのに……また戦……だろう……厄介な……臣下を……抱えたものだ……クフフ」
「何を言っているんだい。僕は、ケイリーちゃんの損になることなんかしないさ。これは彼女にも……何より可愛いスチュアート坊やのためになることなんだぜ? きっとケイリーちゃんは、僕の献策を取り入れてくれるよ」
「物は……言い様だ」
「心底そう思っているってば。それが僕に戦争を用意してくれる彼女に通す、筋というものだからね」
キラリと歯を輝かせ、親指を立てるトムキャット。
「さあて、僕も返事を書かなくちゃいけないね。親切な人が丁度いるから、彼を頼るよう勧めてあげようっと」
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