124:帰還

124:帰還


 分断、包囲されたマニオン軍40名は、それでも激しく抵抗した。

だが総指揮官が脱出したのを確認した時点で、戦士長と名乗る人物がようやく降伏を申し出。コボルド側がこれを受けたことにより戦闘は終了する。

13名の投降者はそのいずれもが負傷しており、うち七名は搬送中に傷の重さから死亡するという苛烈さであった。

 こうしてコボルド軍は川の水が尽きる前に目前の敵を撃破することに成功し。戦力の再編と負傷者の後送、捕虜の拘束を行う時間的猶予を手に入れていた。


 そして。再編を終えたコボルド軍は残る60名近い対岸の戦力との衝突に備え行動を開始したが、事態は想定とは違う方向へ転んだ。

 総指揮官であるマニオンが川へ飛び込み、濁流に飲まれるのを目視していた敵残存戦力が、戦闘継続を断念して撤退を開始したのである。


 第一次王国防衛戦のように、執念じみた攻撃を覚悟していたコボルド側ではあったが。

そもそもマニオン軍は「マニオン家の軍隊」なのである。総大将を生死不明に追いやられれば、退くのは唯一の選択肢と言えたかもしれない。


 このような経緯によりコボルド軍はそれ以上の白兵戦を回避することが出来。

 その後に水が引いた後も、マニオン軍は再攻勢へ移ることはなかったのである。



『ただいまー』

『あー、死ぬかと思った』

『腰いてえ』


 一仕事終えた気配でまず「王都」に帰ってきたのは、レイングラスと共に攻撃隊に加わっていた第一世代のコボルド達だ。

 元々、狩りで日常的に生死を賭けてきた年代の大人達である。既にコボルド村防衛戦、第一次王国防衛戦を潜り抜けてきたこともあり。準第二世代より身体は小さいにも関わらず、一種風格めいたものまで漂わせていた。若者達に対する見栄もあっただろう。


『おとーさーん!』

『とーちゃん、おかえり!』


 そんな旦那達の周りへ子供達が群がり、生還を喜んでいる。

 一方で主婦連合の奥方達は。泣き崩れる未亡人や、『倅が、倅が』と地に蹲る老夫人に寄り添い、懸命に慰めていた。


『あー』

『ううーん』


 遅れて。呻きに似た声を上げながら、重い足を引き摺って準第二世代の若者達が帰って来る。

 疲労と消耗の色が濃いのも無理はない。親衛隊以外の若者にはこれが初陣であり、そしてヒューマンとの初交戦であったのだ。


『ビートルダンス、おかえりなさい』

『ただいま、ライトリーブス』


 そんな中。戦場から帰ったある若い夫は、そう言って新妻の背中に優しく手を回していた。


『……今日の夕食は、貴方の好物を作っておいたから。何だと思う?』

『うーん、それはサーシャリア先生の試験より難しいな。お前の作るものが俺の好物だからね。出題範囲が広すぎるよ』

『もう!』


 頬を熱くしたライトリーブスが、『馬鹿!』と言ってビートルダンスを突き飛ばす。

 惚気を見せつけられた周囲の若者達から、どっと笑い声が上がる。口笛を吹いて囃し立てる者も居た。

 彼等は一頻り笑い終えると、一心地ついたのだろう。武器を片付け、帰る準備を始める。

 皆が疲れから緩慢に動く中、ただ一人ブラッディクロウだけが


『俺これから鶏の世話あるんで! じゃーなーっ!』


とにこやかに言い放ち、キレのいい動きで嬌声を上げながら走り去って行った。こんな調子でも彼は、今回二人の敵兵を討ち取る見事な槍働きを見せているのだ。

 仲間達は元気漲るその背中を眺めながら


『アイツやっぱり、鶏のために戦ってたんだろうなあ……』


 感嘆とも呆れともつかぬ風に、しみじみと呟いていた。



「……まさかここまで情報を共有してくるなんて」


 冷めた薬草茶に口を付けながら、サーシャリアは独りごちる。


 敵がケイリーの陣営である以上、ある程度の参考にはされるだろうと予想していたが。

明らかにマニオン軍の動きと編成は、冒険者ギルド戦での事例に対する考察を行い、対策を練ったものであった。サーシャリアならずとも、それは読み取れるだろう。

 その事実は、彼女の背筋に冷たいものを走らせた。


(まだ手数はある、あるけど)


 あの緑壁にしても、その一手だけでサーシャリアは敵を撃退しようと考えていた訳ではない。森の中の罠群、陣地、魔杖、迂回、枯れ川への放水、その他の策。それらを複数組み合わせ運用することで、彼女は多くの防衛作戦案を用意していたのだ。

 だからこの戦いの情報からまた対策を講じられたとしても、それだけで即座に守りが丸裸にされる訳ではない。まだ、何度かは戦えるだろう。何度かは。


(それまでに強固な国防体制を作り上げるか、相手を諦めさせる損害を与えるか)


 損害を与える。

 そういう意味では、今回の戦いは良い結果を残したとも言える。


 戦場に投入された敵兵約150名。

緑壁における至近距離からの十字射撃と、分断した戦力の撃破。また、撤退する敵集団を観察した偵察兵からの報告も考慮すれば、おそらく敵は全軍で三割以上の戦死者を出したと思われる。投降や負傷者の収容による捕虜も、現時点で20名近い。合わせれば、おおよそ半数の損害を与えたことになるだろう。

 一方、コボルド王国は戦闘人員91名の内、親衛隊からは死者が4名、攻撃隊は3名。魔杖隊はナスタナーラによる簡易治療魔術で、死者の数字が書き換えられるのを土壇場で食い止めていた。


 70名近くを討ち取りつつ味方の被害は7名。

 損失に対し、戦果は大きい。尋常では考えられぬ撃破対被撃破比率である。

また、王都防衛という戦術目標を達成してもおり。あらゆるめんで大勝利と言うべきだろう。だが。


『将軍閣下! ブルーゲイルッ、只今ッ帰投致しましたッ!』


 サーシャリアの思索を遮ったのは、指揮所へと戻ってきたブルーゲイル達だ。

 虚を突かれた彼女は一瞬慌てふためいたが。すぐに笑顔を見せて親衛隊長を迎えた。


「お疲れ様、ブルーゲイル。親衛隊の皆も」

『『『はっ!』』』


 敬礼で応える、親衛隊。


『陛下とダーク殿、レッドアイ殿はッ、一部の兵を率いてはぐれた敵兵の捜索、捕縛を行っておられます! お戻りにはッ! 今しばらくかかるかとッ!』

「有難う。報告の通りね」

『はっ! では私は、捕虜収容の受け入れ準備にかかりますのでッ!』

「あ、そうだわ。悪いけど誰か一人、霊話が使える子を指揮所に寄越してくれるかしら。主婦連合の奥様達は皆の迎えに帰ってもらって、ホッピンラビットも負傷者の看護のため精霊を呼んでいるところなの……そうね、パインコーンファーは前に指揮所の手伝いに入ったこともあるから、あの子がいいかしら」

『申し訳ありませんッ! パインコーンファーは戦死致しましたッ!』

「あっ」


 親衛隊はこの戦いで最も過酷な部分を担った一隊である。30名中に4名もの死者を出しているのだ。

 疲労から、その当然の可能性を配慮し忘れたサーシャリアが、目を伏せて謝罪する。


「ごめんなさい」

『いえッ! 今回長老が陛下付き霊話兵を務めて下すったおかげで! 本人も斬り込みに参加出来ることを喜んでおりましたのでッ!』

「そう」

『はいッ! その! ですから!』


 ブルーゲイルは一瞬息を詰まらせるようにした後。


『……閣下も奴を、奴らを、褒めてやって下さい』


 ゆっくりと、サーシャリアに言った。


「……ええ」

『代わりにッ! ブラックチェリーを呼んでおきますので!』

「ありがとう」

『ではッ! 失礼ッ! 致しますッ!』

『『『失礼します!』』』


 親衛隊員が足早に立ち去っていく。

 サーシャリアはその後姿を見送った後、眼鏡を外して放り出すように卓上へ置いた。

 目を閉じ、指で目頭を摘むようにしながら。息を吸って、長く吐く。


(……パインコーンファーは文字を覚えるのが遅くて。居残り代わりに指揮所で勉強見てあげたこともあったわね)


 今でこそ子供達への読み書き教育は準二世代の若者達が引き受けているものの。その彼等へ教えを施したのは、他でもないサーシャリアである。それを彼女は、自身の指揮で、指示で死なせたのだ。

 それは前の戦いの時に既に決めていた、決めていたはずの覚悟では、ある。

だが。初めて会った時から既に大人であった第一世代のコボルド達とは違い、準第二世代はサーシャリア達が少年少女の時分から教え、育ててきた者達でもあった。受けた衝撃はより強く、大きい。


(ああ、そうか。そうなんだわ)


 そしてサーシャリアは、気付いたのだ。


 彼女が追いかけている、あの背中。共に歩こうとしている、あの人物。

 朝餉の献立すら覚えていないようなあの男が、ずっと昔に亡くした部下達の名を一人残らず記憶し続けていた理由を。いや、感覚を。この時彼女は、気付き、理解出来たような気がしたのだ。


 サーシャリアは指先で目元の水気を弾じくと眼鏡を掛け直し。

誰に向けるでもなく、一人頷く。


 ……こうして、第二次王国防衛戦はコボルド側の勝利によって幕を閉じたのである。


 本来用兵家であれば、戦果の多大さに対し犠牲の少なさを誇っただろう。

少数の味方で、数を上回る敵を打ち破ったことに喜びを感じただろう。

それが当然だ。


 だがサーシャリアは。

サーシャリアの胸にあるこの感覚が。


 彼女を、傲慢から遠ざけていた。

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