59:耳
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鉄鎖騎士団の訓練では、団員達は突撃時に喊声(かんせい)を上げぬよう徹底される。
このため他の騎士団からは「勇ましさに欠ける」などとよく揶揄されたものだが。
それはこの様な時に備えてのものなのだと。サーシャリアは今、身をもって理解していた。
追跡役の三人が近づいてきたところを見計らって、家の陰からサーシャリアが飛び出す。
御者がしならせる鞭の如く、剣で自らの背中を叩くまで大きく振りかぶる【馬車夫切り】。それに近い大振りだ。
狙いは先頭の狩人風の冒険者。おそらくこの男を倒すだけでも、森へ入った避難民を追われる危険性が相当に下がるはずである。
無言の刃がその男……シリルの後頭部目掛けて弧を描く。
だがサーシャリアにとって不幸だったのは、シリルは前を見て歩かずに、たまたま彼女のいる方向へ顔を向け歩いていたことであった。
目と目が合った次の瞬間、斬撃が確定する前にシリルは身を捩る。
剣の軌道から彼の身体は外れ、サーシャリアの刃は相手の左耳半分だけを切り落とすに留まったのだ。
「おおぁあああ!?」
シリルは身体を捻って倒れると、そのまま転がるように距離を取る。天性の俊敏さが、彼を救ったのである。
直後。随伴の二名が応戦のために、それぞれが幅広の曲刀ファルシオンと長柄武器ウォー・ハンマーを素早く構えた。
この時点で、サーシャリアの攻撃は失敗と決まる。
「うおおおお!」
雄叫びを上げながらエモンが攻撃を掛けるが、その剣は曲刀持ちに防がれ。やはりこれも阻まれてしまった。
完全に、奇襲は失敗に終わったのである。
ヒューバートと残りの取り巻き達も、すぐに駆けつけてきた。
サーシャリアとエモンは、たちまち2対8という状況で、敵と対峙することになったのだ。
斬られた左耳を押さえながら座り込むシリルを尻目に、ぴゅう、とヒューバートが口笛を吹く。
「おいおい、犬っころの村なんじゃねえのかよ?シリル、どういうことだ」
「ち、畜生!畜生!し、知りませんよ僕は、こんな奴!それにここは獣人の村で間違いありませんってば!」
彼はガタガタと震えながら、声を荒げて反論する。
ヒューバートは何かしら思うところがあったのだろう。それを冷ややかな目で見下ろしていたが。
「いや……お前知ってたな?まあいい。あとで追求してやるさ。それより」
下卑た笑みを浮かべた顔が、サーシャリアの方へと向く。
「色気のねえ仕事だと思ってたが。女がよぅ、いるじゃねえか」
背筋に薄ら寒いものを感じたサーシャリアが、剣を構えたまま二歩後ずさった。
「まだ乳も尻も出てねえ、エルフのガキですけどねえ」
バトルアクスを持った、髭の濃い冒険者が嗤う。
彼はリーダーの言葉を、冗談だと思っているらしい。
「バッカ、これくらいが通好みって奴よ。やっと男と女の区別がつき始めてきた身体に突き立てるのも、存外いいもんだぜ。大きさが無理だと思ってもな。意外とよ、やってみると身体ってのは広がって受け入れるもんなのさ」
「ウハハ、何かヒューバートさん、慣れてるみたいですね」
「ガキ相手はまだ四回だけだがな!血だらけになるのが難点だぞ!ゲハハ」
「うわぁーお……」
「流石だぜ」
その間にも、サーシャリアとエモンはそれぞれ個別に冒険者達に包囲されていく。
「だからよ、このエルフの相手は俺がするわ。そっちの不細工な坊主はお前とお前で殺せ。シリルはさっき言った通り、二人連れて【犬】を探しに行くんだ。残りは家探し続行だな」
「あの、僕、耳の手当てしたいんですが……」
「死にやしねえよ!時間もねえんだ。早く行きな。黙っていたことについては、後でみっちり聞いてやる」
不満げに了承するシリルを追い払うと、ヒューバートがサーシャリアの前に立ちはだかった。
エモンはもう、二人相手に防戦一方だ。
「さて、それじゃあお嬢ちゃん。お楽しみの時間だぞ」
◆
サーシャリアの剣は、彼女の体格に合わせた小ぶりのものだ。
そんなものでは、ヒューバートのメイスを防げない。ひたすらに回避し、退くことを強いられている。
まるで羊飼いに枝を振られて導かれる羊の如く、彼女は徐々に、確実に逃げ場を失っていった。
そしてついに踵が竪穴式住居の外壁に触れ。サーシャリアは自らが追いつめられたことを悟ったのである。
「なあ、大人しくしとけよ。痛い思いをするだけだぞ?」
「誰が貴方なんかの相手をするもんですか!ふざけないで!」
「おっ?お前、これから何されるか、ちゃーんと分かってるんだな。ゲハハ」
「シッ!」
嗤うヒューバートの隙をついて、素早くサーシャリアが剣を突き出す。
全身を伸ばすようにして、左腕で繰り出す片手突きだ。
彼女はこれで敵の太腿を抉り機動力を削ぐか、あわよくば血管を貫くつもりであった。だが。
がしゃん。
その鋭い刺突は、メイスによる横薙ぎであっさりと払いのけられた。跳ね飛ばされた剣が、くるくると回転しながら地面へと落ちていく。
……ヒューバートは敢えて油断を見せて、彼女の攻撃を誘ったのである。
これによりサーシャリアは、時間を稼ぐことも出来ぬまま、抗う手段を失ってしまったのだ。
続いて、先端に鉄板をつけた簡易装甲ブーツが彼女の腹部へと食い込む。
蹴り上げられ「く」の字に曲がったサーシャリアは、そのまま地面に倒れ込み。息を、そして胃液を口から撒き散らした。
「汚え奴だなあ」
ヒューバートは馬乗りになると、笑いながらサーシャリアの顔へ平手打ちを浴びせる。
二度、三度、四度。五度、六度、七度。
さらに、顔面への鉄拳を三回。拳が、赤く濡れた。
ヒューバートは動かなくなったサーシャリアの左耳をつまむと、残りの手で腰の鞘から短剣を抜く。
そしてエルフ混血の証左たるその耳へ刃を突き立て。半分程を残して切断したのだ。
「何の義理もないが、シリルがやられた分を返させてもらうぜ」
ぽい、と彼が肉片を放り投げた刹那。
サーシャリアは目を開き、背を反るようにして。全身のばねを用いた膝蹴りをヒューバートの股間へと叩き込む!
彼女はこの状況になっても。諦めたふりをして、必死に反撃の機会を窺っていたのである。
だが。
懸命に放った膝は、ヒューバートが閉じた内股に阻まれていた。
彼は、サーシャリアの行動を見越していたのだ。
「ハハ!大体お決まりだよな、こういう時に女がとる行動ってのはよ。お前で何人目かな……うーん、忘れた!」
また嗤い。もう一度彼女の顔へ、拳を叩き込む。
「耳だけじゃ足りなかったなあ。この行儀が悪い足にも、躾をしてやらんと、な!」
そう言ってヒューバートは、腰のポーチへと手を伸ばすのであった。
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