10:一夜明けて

10:一夜明けて


『昼間にアンタが出てくと騒ぎになるから、大人しくしてること!夜にもう一回縄を解いたげるから、それまで待ってるんだよ!分かったかい!?』

「うむ、心得た」


 神妙に頷くガイウスを再びロープで拘束し終え、フォグは小屋の外に出た。

 中との明暗差に思わず目を細める。

 雲ひとつない青い空。今日はどうやら雨の心配は無さそうだ。よしよしと独り言ちながら視線を回す。


 西を向くと、草原の端に小さめの岩山が二つ並んでいるのが見えた。

 陽光を受けながら荒々しい肌を誇示するその双子山は、さながら新生コボルド村の象徴の様でもあり、来たばかりは村人達の目を楽しませたものだ。

 もっとも今となっては、「あの岩山の分だけ周辺の資源が減っている」というのが大方の感想だが。


 今度は北を見る。ずっとずうっと行けば、【大森林】の中心に辿り着けるであろう方角だ。

 遠くに、山々が見える。岩山もあれば緑に包まれた山もあるが、森の中心にあるというグレートアンヴィル山は、ここからでは見えないだろう。

 勿論、そんな所まで行ったことは、無い。長老の話で名前を知っているだけだ。

 行けば、蟲熊や一角猪、木喰い蜥蜴どころではない、大きく強力な魔獣達の餌になるのは確実である。

 森の木々は奥に向かう程、異様に背が高く禍々しくなっており。彼女達が住むこの辺りが、まだまだ【大森林】の爪先に過ぎないことを改めて実感させた。


 コボルドは、【大森林】の深部では生きていけない。

 かと言って、森の外にも居場所は無い。

 そのどちらでもない領域だけが、彼女達の生存圏であった。


(この光景も、見慣れてきたもんだね)


 心の中で呟きながら、広場の方へと向かうフォグ。

 傷を庇うため杖をつきながら歩いていると、一人の老コボルトが彼女の名を呼んで、足を止めさせた。


『何だい、長老。アタシゃ忙しいんだけどね』

『フォグよ。あのヒューマンは、いつ殺すんじゃ?』


 憎悪の篭った目で、長老が小屋へ視線を向ける。


『……今どうやって殺すか考えてるところだから、爺さんは黙ってな』


 牽制するように、フォグは彼を睨んだ。


『アンタは別に長(おさ)じゃないんだ。ここは捕まえてきたアタシにやり方を決めさせてもらおうじゃないか』


 今、村には長は居ない。ヒューマンの襲撃時に殺されたからだ。

 それ以降、避難民達は指導者を選ぶこともなく、力を合わせ、身を寄せ合って今日まで生き延びてきたのである。

 新しく長を立てること自体が以前の村、生活、仲間、家族と決別するように思えて、それを彼らに躊躇わせたのかもしれない。

 老いたこのコボルドが長老と呼ばれるのは、襲撃前後を通してコボルド達の中で最年長であることと、村一番のシャーマンに対する敬意からであった。

 指導者という訳では、ない。


『とは言ってもな、フォグよ』

『他の連中だって納得させるさ。しないならブン殴って言い聞かせるよ。アタシに腕っ節で勝てる奴が、この村にいると思うのかい?』


 牙を見せて笑う。


『捕まえて来たってお前、連れてきただけじゃろうが。しかもトロルと勘違いして』


 フォグの暴論に食い下がる長老。


『うるっさいねこのジジイ!細かいことはどうでもいいんだよ!そんなんだからアンタは、息だけじゃなくて屁も臭いんだよ!』

『屁は誰だって臭いじゃろ!?』

『失礼だね!アタシのは臭くないよ!』


 今度は威嚇のために牙を剥くフォグ。

 しばらく唸った後、ふん!と鼻を鳴らしてそっぽを向き、長老を残して歩き始めた。

 背後で彼がまだ何事か喚いているが、無視をする。


 だが、彼女とて長老の言が理解出来ぬ訳ではなかった。

 フォグ自身、夫をヒューマンに殺されている身である。夫だけではない。親類も、友人も、隣人も。何人も失った。

 産んだ子供「達」にしても、村を追われていなければもっと生き残れていたはずなのだ。

 気持ちは、同じなのである。


 しかしそれでも、フォグはガイウスをあのヒューマン達と同一視してはいなかった。

 助けてもらったという恩義からだけではない。トロルの血が混じっているという理由でもない。


(……長老にしたって、村の皆にしたって。「コボルドなら」分かるはずなんだけどね)


 そう、分かるはずなのだ。理解出来るはずなのだが。


(時間が足りない、かな)


 自分が皆を、長老を抑え込んでおける内に、ガイウスを逃がす必要がありそうだ。

 そう思ったフォグは、慣れぬ杖を不器用に使い歩きつつ。

 彼を夜に脱走させる段取りを、考えるのであった。



 広場には、大人のコボルド達が集まっていた。

 その中央には、鹿が二頭ほど横たえてある。

 森の外を知らぬコボルド達には分からないが、これは【大森林】の原生種ではなく、外でも一般的に生息している種類であった。

 中心に進むほど魔獣や妖樹の勢力が増す【大森林】ではあるが、この辺りのような外に近い領域では、動植物共に内外の種が混生しているのだ。


『お、フォグ』


 コボルドの青年が、声を掛けてきた。


『おはよ、レイングラス』

『おはよう』


 フォグと同世代のコボルドだ。

【濡れ草】という名前は、雨に濡れても全く水気を払おうとしない幼い彼の被毛を見て、親が「雨に濡れた草のようだ」と付けたからだという。


 コボルドは、幼少期の行動や性格、外見に基いて名前を付けられることが多い。

【白い霧】というフォグの名前に至っては、まさに見た目そのままである。

 子供の頃はもう少し捻った名前が良かったと拗ねたものだが、いざ自分が子を産んでみるとやはり「伝統にのっとった」命名方式になってしまったのは、皮肉な話であった。


『ヒューマンは、どうなった?』

『あれからずっと大人しくさせているよ。代わりの見張りも頼んでおいた……それよりすごいじゃないか。今日は朝から景気がいいね』


 話を逸らしつつ、尋ねる。


『ああ、昨日仕掛けた罠に掛かっていたそうだ』


 フォグはふんふん、と首を縦に振る。


『これなら今日は、もう狩りに出なくてもいいんじゃないかい?』

『うん。だから今日は狩りの班は作らずに、木を切りに行く』

『ああ、そうだね、こういう時にやってしまった方が、いいね』


 フォグが同意したのは、自分達の住宅事情を考慮してのことだ。

 この村の家々は、急造したもの故に粗雑な物ばかり。そして、数も足りていない。仕方のないこととは言え、規模によっては数世帯が詰め込まれているのが実情である。

 今は初夏だからいいものの、冬のことも視野に入れれば、住宅の建設は食糧確保に次いで急務かつ重要なものであった。


 現在、村の家屋は細めの木や枝を組み合わせて作った、言わばテントのような代物がほとんどであるため。次は木を切って柱とし、それを骨組みにした竪穴式住居を作るのだという。

 それならば風雪にも強く、冬にも耐えられる。


『お前は怪我しているから来なくていい。その足じゃ、魔獣が出ても逃げられない』

『何だか、悪いね』

『無理をさせて死なれても困る』


 確かに、今が最も大事な時期なのだ。

 生き残った者達で、家を建て、畑を作り、狩りをして、村を再建し、子を産み、育てねばならない。

 ただでさえ人口を三分の一にまで減らされたのだ。これ以上の犠牲は、村の存亡に関わるのである。


『人手は幾らあっても足りないしな』

『……そうだね』


 やや沈んだ表情で。ゆっくりと、フォグは頷いた。

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