269:地上の雷雲

269:地上の雷雲


 宰相エグバード=ビッグバーグが促したように、翌々日たる四十二日目より開始された【緑の城】再攻略は、その物量による「苛烈」というよりは「執拗」と形容すべきものとなった。


 意気軒昂な第四陣四千五百は質量共に大軍と呼ぶべき戦力だが、【緑の城】内部は狭隘で同時投入や展開などできぬ。だからといって腸詰め肉のように兵を押し込もうものなら、前線部隊は何かあった時にも身動きすら取れなくなるだろう。それでは、現場で戦う将兵の士気も動きも鈍る。後に味方が控えているのと、後ろを人が塞いでいるのでは全く意味が異なるのだから。


 そこで四千五百の兵は三分割され、一千五百ずつが交替で【緑の城】への攻略を行うよう命が下される。三交代制による、間断なき攻城攻撃であった。

 防御側からすれば、ようやく相手を退けたかと思ったところで元気な別部隊が入れ替わりに現れるのだ。しかも一度ではなく二度三度、いや、ずっと。

 それは撃滅のためではなく、コボルドらに疲弊を強いるための攻勢。食事も休憩も睡眠も許さず、ひたすらに魔弾の嵐を叩き付け続ける戦いである。大軍という腕力で殴りつけるのではない、その太腕で徐々に首を絞めていくのだ。


 もしこれが安直な一過性の大攻勢ならば、【緑の城】はその構造と特性から敵の攻撃をいなし、突出を強い、連携を妨げ、敵攻勢の限界点を見極め引きずり出すことができたであろう。王村を守る妖樹の迷宮は、そのために巧緻を凝らし作られているのだから。

 だがこの攻勢は、それらを容易に許さない。

 絶え間なき攻撃はコボルド側の動きを著しく制限し、指揮所が状況を鑑みて考える暇すらも奪う。無論それも、【若禿】と宰相の目論見だ。


 朝夕ずっと【大森林】に轟き続けた魔弾射撃音は、森が闇に飲まれてもなお鳴り響き、魔弾が放つ閃光が嵐の夜のように戦場を断続的に照らし続ける。もし上空からこれを観る者があれば、木々という雷雲の中で煌めく稲光を連想したことだろう。雷鳴の代わりに轟くのは、魔弾が空気を裂く音と断末魔か。

 それほどまでの戦闘が、夜もなお執拗に繰り広げられていく。


 しかし早晩限界点を迎えると思われたコボルド軍は、イグリス側の予測を遙かに超えて頑健な抵抗を続けていた。彼らは敵を撃退した僅かな合間に眠り、むしろ休む間を稼ぐために苛烈な反撃を加えて追い返すといった、異様なまでの士気の高さを見せつけたのだ。

 それは王侯貴族の損得計算に付き合わされる兵士ではなく、絶滅戦争に抗う国民軍だからこその姿なのだろう。彼らの敗北は、種族と家族の滅びに直結するが故に。


 イグリス軍は妖精犬の守りを押し破るために多くの屍を生み、コボルド軍は数字上の損害は少ないものの、敵の物量で徐々に後退と疲労を強いられていく。

 四十三、四十四、四十五、四十六、四十七、四十八日目と続く戦いでかさんだイグリス軍の損失は、第五陣一千五百の増援で埋められた。

 しかし疲労困憊のはずなコボルド軍はそれでも激しく抵抗を続け、五十一日目にはなんと、一部で戦線を押し返しすらしたのだ。


 だが五十四日目のイグリス側は、開戦当初より工兵隊に分割作成させていた投石機(カタパルト)や平衡錘投石機(トレビュシェット)を前線付近の森中へ強引に設営し、コボルド防御線の打破を図る。森の戦いでは有り得ぬ、一種の奇策と言っていいだろう。

 大型投石機ともなれば、矢除けの魔法で減衰してもなお威力を発揮する。これにより【動く壁】を幾度も破壊され続けたコボルド軍は、残存親衛隊の二割という犠牲を払ってでも投石機群の性急な撃破を強いられたのであった。

 その結果枯れ川防御線の崩壊は免れたものの、他面での戦力を減らした分、戦線全体はまたイグリス軍に押し戻されてしまう。


 優位なはずの攻略側ですら損耗の多さに加え、何より士気の陰りで精彩を欠き始めた五十七日目。

 さらなる増援……第六陣一千五百で損失の穴を埋め活力を回復したイグリス軍は、ここ数日続いた一進一退の均衡を打ち破り、再びコボルド側を圧迫していく。

 そうして六十日目には中央戦線の一部で特段の前進を果たし、とうとうコボルド側の最終防衛線とでも呼ぶべき奥へと、イグリス軍の最前部は到達したのだ。


 そこはコボルド村のある草原まで、もはや丘一つを残すだけとなった深部。加えてコボルド側は丘とその後背を有していることで、周辺の陣地間を往来し支援し得る交通、防衛上の要衝でもある。


 そしてそれは、攻略側たるイグリス将兵にとっても容易に洞察可能なものであった。

 ここを落とせば、妖精犬の中央戦線は総崩れとなり……そしてここを越えれば、イグリス軍が村へ雪崩れ込むのを妨げるものはもう何もない。

 だからこそイグリス軍前線も司令部も、この丘こそが勝敗を決する最重要奪取目標とみなし、特に注力しての攻撃を決定したのだ。六十一日目の朝からあてがわれることとなった戦力は、なんとこの一斜面のためだけで四百名にものぼる。


 だが一方でコボルド陣営は他方面の応戦に追われており、現地に戦力を全く回すことができずにいた。

 よって坂の防衛に割かれた戦闘人員はたったの一名。あとは連絡用の霊話兵が、もう一名か。

 しかし将軍も指揮所もコボルド兵も国民も、誰もがこの丘こそが王国内で最も堅牢にして獰猛な防塞だと信じて疑わぬ。


 そう。

 ここは【緑の城】絶対最終防衛線にして、コボルド王国国王専用防御陣地。


【王の丘】という名で呼ばれる、一斜面である。

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