270:震える丘

270:震える丘


 人の進入を拒む、濃密な妖樹クロイバラの海。その只中を縫い、道……じみた空間が坂のすそへと続いている。もし呑気に茨を取り除こうなどと考えれば、庭師役はどこかからの狙撃に怯え続けねばならなぬだろう。

 そんな先制射撃を警戒しつつ踏み込む、イグリス軍の先行部隊五十名。彼らは草を押し退けつつ罠や奇襲を警戒して進み……なのに一発も撃たれることなく、些か以上に拍子抜けした状態でその麓へと辿り着く。

 戦術的な要衝であり村への絶対防衛線であるその丘には当然、強固な防御陣地が築かれているはずだったのだ。だがイグリス兵らがそこで目にしたのは、塹壕でも防壁でもない。立派に聳える妖樹らに混じり、ヒューマンの背丈を上回るような大岩がそこかしこに転がる斜面であった。

 その異様な光景に、怪訝な顔を見合わせている隊長と若い騎士。


「この丘の位置、そして戦術的な重要性を鑑みれば、要塞化していてもおかしくはなさそうなものですが」

「……草は茂っているものの、ところどころの地面に痕跡が見受けられるな。どうも元々岩が多いところへ、周辺からさらに集めてきたらしい」

「連中、ここまでの陣地でもゴーレムを重機代わりに工事していたようですしね」


 一見無造作に配された、数多くの自然岩。どこか原始文明の列石遺跡を彷彿とさせるその岩石群は、人の進入を阻むほどではない密度と間隔で転がり、しかし木々と協力して視線は巧みに遮って、奥を決して覗かせぬ。

 これまでのコボルド陣地とは異なり、防衛のため入り込む敵を絞った狭隘な作りではない。むしろこの坂へは、優に百人は踏み込めるだろう。

 かといって十字射点に誘い込み、一網打尽にする【緑の顎】のような設計とも異なる。この岩の林の内側では、踏み込む側のみならず待ち構える側ですら射線がまるで通らないからだ。

 防衛側の射撃優位を活かせぬ領域。そういう意味でもこの坂は、やはりこれまでの戦場に比べて異質に見える。


「むしろ、客人を迎える庭園の趣すらありますね。ほら、後先考えない好事家の屋敷だとたまにあるじゃないですか。植え込みや東屋(ガゼボ)、石像とかでゴチャゴチャしてて迷路みたいな庭とか」

「まあ、雰囲気だけはな」


 中央の貴族騎士らしいその軽口に、小さく笑って返す隊長。


「村にも近いようですし、もしかして防衛拠点ではなく、犬共の原始宗教的な施設なのでしょうか?」

「原始か……未だにそう侮るようでは、危険だぞ。こと魔杖部隊の運用と練度に関して奴らは、南方でも先駆けだったはずの我が軍よりも先進的なのだ。我々は第六陣で来たばかりだが、先日の戦いでもそれは見ただろう」


 隊長騎士は副官をそう窘めつつ伝令兵を手招きし、現状を伝えて後方へと送り出す。

 これでしばらくすれば、後続が麓を確保してくれるはずだ。ならば彼らは、この先をさらに探らねばならない。


「さて、踏み込むぞ。不意の近接戦闘に備えて、打ち合わせ通り兵には魔杖へ短剣を括り付けさせておけ。剣を持ち込んでいる者は、そちらでもいい」


 コボルド側の開発装備であった杖剣は、幾度かの戦闘を経て現場のイグリス将兵にも採り入れられている。魔杖に装着機構を備えたコボルド軍のものに比べいかにも手製の急造品という見た目だが、取りあえずの用は為す。


「これが罠なのか……あるいは司令部の目論見通り犬共の手が足りんのか、手を回す時間が無いのかは分からん。しかし何にせよ、連中得意の魔杖射撃が封じられるのなら、こちらもやりようがあるというものだ」



 ……威力偵察で先行させた戦力の、坂へ入ってからの連絡が無い。


 彼らは何かあれば、一戦しつつ速やかに退いて状況を知らせる集団である。逆に難なく丘を奪取していたなら、その旨がとうに伝えられているのが自然だろう。


(五十名近い部隊が文字通り全滅したというのか? 一人も帰って来られずに?)


 後続部隊将兵は誰もがそんな不吉な想像を免れ得なかったが、かといって「危ないので止めました」と退ける状況に、この戦力集団はない。

 前方の丘を獲りさえすれば、友軍に多大極まる犠牲を求めたこの戦いは今日明日にでも終わるだろう。

 彼ら攻略部隊はそれを為す重要な任務を司令部より命じられており、職務的にも、また友軍将兵への感情的にも引き下がる訳にはいかなかったのである。


 だから後続の攻略主力は帰ってこなかった先遣隊が残した、いや遺した情報に基づき……先遣隊を上回る戦力を一度に送り込むことで、コボルド側を策ごと粉砕すると決めたのだ。

 戦場の規模と構造を考慮し、身動きがとれるであろう線ギリギリと見極められた百五十からなる中隊規模の戦力。杖剣を構えたそれらが、すぐに岩の林へと送り込まれる。

 残り約二百は、状況に応じて動かすために麓で待機だ。一度に投入したいのはやまやまだが、流石に全員で踏み込む訳にはいかない。


 ……そうやって百五十名の兵が入り込んだ丘は情報通り、木々と岩とで構成された出来損ないの迷路であった。敵味方双方の視線射線が通らないのも、同様だ。

 即席杖剣を構えたイグリス将兵らは、友軍をこれまで散々に苦しめた罠の存在を警戒しつつ、恐る恐ると進んでいく。


 五十名からなる先遣隊を、一兵も帰さなかった丘である。どれほどの悪辣な罠、凶悪な迎撃装置が彼らを待ち受けているか分からない。だから兵は必死に警戒しながら、丘の上を目指し、一歩一歩坂の奥へ入り込んだのだ。


 ……なれどそれは全て彼らの誤解、錯覚であった。


 実はこの丘、他陣地と異なり罠はさほど設置されていない。そして【緑の顎】のような、城塞の如き防御機構も無いのである。

 しかし。


「う、うわあああああ!?」

「ぎゃびっ!?」

「て、敵だー! 敵だぁぁぁぁあぶっ!?」


 それまでの静寂を破り、数名の人生がたった今終わったという証言が坂に響く。


「て、敵襲ーッ! 敵襲ーッ!」

「何処だ! どっちだ!? 奴らは何名だ!?」


 イグリス兵は浮き足立つ。しかし相互の視線を大岩と木々が遮り、敵の位置を掴ませない。


「ひ、一人だぁ! 一人だけアガッ」

「い、いやああああああ!」

「魔杖だ! 魔杖を使え!」


 ロウ……アア……イイ……


「助けて! 助けてーッ! げぶ」

「馬鹿! こんな場所で魔杖に頼るな!」


 バシュウ! ガキン!


「嘘だろアイツ剣で弾いたぞ!?」

「わ、私の手が! 死にたくない! 私は死にッ」


 ロウ……アア……イイ……


「ひ、ひいいいい!」

「よせ岩で躱される! むしろ味方に当たるだけだぞ!」


 バシュウ! バシュウ! バシン!


「あがーっ!?」

「よせと言っただろう! 杖剣と剣で戦え!」

「あ、あんな化け物相手にですか!? 無茶ですよ!」

「相手は一人だけだ! っう!? うおお!?」


 迷路の遮蔽を越えて届く数々の叫び、断末魔。


「一人!? たった一人だと!? そんな馬鹿……」


 天に向かい吠えていた中隊長はしかし、誰かの右腕が空から降ってきたことで凍り付いたように硬直した。彼は、正解を導き出したのだ。


「いやそうか……【イグリスの黒薔薇】が、この丘に居るのか……ッ」


 その呟きで周囲のイグリス将兵は、自分たちが血と肉の宴席にもう招かれていたことを理解する。


「ここはコボルド側が敵を寄せ付ないために作った防御陣地なんかじゃあない。ここは、ここは……ただ単純に、魔杖を使わせないためだけに作った場所だったのだ」


 つまるところ、この斜面は宴席の庭なのであった。

 出席者に「剣戟」という服装規定(ドレスコード)を強いるための。


「我々はここで、【イグリスの黒薔薇】を倒さねば生きて出られん。しかも、白兵戦だけでな」


 それは尋常の神経では有り得ぬ構想、そして設計の防塞。

 全コボルド軍民、そして【欠け耳】サーシャリア=デナンからの絶大の信頼と信仰あればこその国王専用防御陣地、【王の丘】なのである。


「ご、【五十人斬り】のベルダラスを魔杖も無しに真っ向勝負でですか!? 退きましょう中隊長! 一度退いて、態勢を立て直してから……」

「もう遅い。覚悟を決めろ」


 副官に請われるも、そう吐き捨て剣を構える中隊長。

 その視線の先には、大岩の陰からのっそりと現れる大鉈持ちの怪物がいる。



 木々と岩で中は窺えずとも、ただならぬ気配は麓で控えていた戦力にも伝わったらしい。

 しかし無理と危険を承知してでも増援を……と向かったイグリス兵は、土砂崩れに似る勢いで坂から逃げ出してきた七十名ほどの友軍に押し返されることとなる。


 武器を失っていた者もいれば、肉体の一部を失っていた者もいた。だがなにより全員が、戦意を失っていたのだ。

 やがてそれらにしばらく遅れ、手を拘束された一人の兵がフラフラと坂から追い出されるように姿を現し……丘の主が麓近くまで運んだ死体と負傷者を収容するよう求めたと、イグリス側へ言伝と手紙を伝えたのである。


 その署名や震えの止まらぬ生存者らの言葉で、この丘とここで待ち構える者の正体を知ることとなった攻略部隊。それでも現場の彼らはこの日勇敢にももう一度攻勢を試みたが、結果は同じことを繰り返したに過ぎぬ。


「この丘は俺たちを食おうとしている……」


【人食い丘】。

 一日で二百名近いの兵の命を奪ったこの斜面を、前線のイグリス兵らが誰ともなくそう呼び始める。そしてその名は、瞬く間に全軍へと広がった。

 要衝に反乱軍首魁が立て籠もると判明したことで、一陣地の奪取がこの戦争の勝敗を決めると確定したこともある。こうして【人食い丘】は、否が応でも全軍将兵の注意と注目を集めていったのだ。無論、司令部にとっても。


 一方コボルド側は、敵が大軍を投じる激戦地を王一人に任せたことで他へ兵力を回す余裕を手に入れ、この日むしろ戦線を押し返す場面すら見せていた。ガイウスがまさに無双の働きをしたことも、妖精犬の士気を大いに高めただろう。


 双方にとってこの一斜面が、戦争の象徴的存在となっていく。

【人食い丘】を奪えずして勝利はなく、また【王の丘】ある限り負けはしない……と。


 冬が迫りつつもなお、【大森林】の戦いは過熱し続けている。


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