271:遅れて来る刃

271:遅れて来る刃


 バシュウ! バシン!


 空気を裂いて飛んだ【マジック・ミサイル】が、倒木からわずかに覗いたイグリス軍曹の軍帽へと突き刺さる。落ちた熟果のように爆ぜた頭部は、周囲へ脳を撒き散らす。

 指揮官に続き下士官をも失った部隊は戦闘継続の士気を維持しきれず、やがて負傷者を引きずっての撤退を開始した。


「見たかミッドランドの小童どもめ! 一昨日来い、というものだ!」


 逃げゆくイグリス兵の背中へ気炎を吐くのは、ミスリル兜の高年ヒューマン男性。昨年のミスリル鉱床発覚騒動以来、すっかり村に居着いたレイモンド教授である。

 現在はコボルド王国魔法院で研究開発と教職にある彼だが……この第六次王国防衛戦にて教え子が戦死したことをきっかけに、国外脱出の勧めも断り最前線へ身を投じたのだ。


『ヒューッ!』

『やるじゃん教授!』

「フン! コボルド軍の現行魔杖を設計開発したのは誰だと思っておるのだ! 私と私の教え子たちだぞ? 性能も扱いも熟知しておるわ!」


 陣地の防壁に足を掛けつつ、くるくる器用に魔杖を回す教授。

 ぽしんと音をたて肩にミスリル棒が着地し、その小気味よさに周囲の毛玉たちが喝采を上げていた。


『『『そうだったな! あはは』』』

「そうだそうだ、ワーッハッハッハ」


 皆が一頻り笑ったところで、隙を突くように主婦連合が食事を運んでくる。

 昼夜続く執拗な波状攻撃の中、敵を撃退して奪い取った貴重な時間だ。すぐに休憩へと入る、教授と妖精犬戦士たち。


「ほう。今日のコボ汁のこの葉菜……独特の食感だが、美味いな」

『ああイシコロナッパって言ってな。葉っぱのほんの先っぽ以外は硬くて食えねえんだが、熱には弱くてよ。煮込むとある時を境に、どろりと崩れるんだ。それが美味いのさ』

「なるほどな。人界に輸出しても、喜ばれそうだ」

『お、そうか。将軍が聞いたら、ガイカカクトク! とか目の色変えそうだ』

『『「わははは」』』


 村へ訪れ囚われた当初は、その経緯から殺されるのでは……と怯えていたレイモンド教授だが、今ではすっかり王国民である。


「さて、食ったらさっさと寝るか。しばらくすればどうせまた、ミッドランドの連中が押し寄せてくるだろうからな」

『だな、今の内今の内』

『俺、シッコしてくるわ』

『俺も俺も』


 見張りを残し、身を寄せ合い気絶するように眠るコボルド戦士たち。しかし彼らは心身の疲れを癒やす間も眠った実感も得られぬまま、すぐ敵別部隊からの攻撃を受けることとなるだろう。

【王の丘】が戦力を受け止めていることもあり、彼らの士気は未だ異様に軒昂だ。負傷者が復帰しても残存戦力が開戦時の六割という状況の割には、善戦健闘し戦線を維持している。だがやはりそれは、満ちる直前の杯に似る危うさであった。



 ロシュ=マクアードルという男がいる。

 先年までノースプレイン侯ジガン家に仕えていた騎士で、かつてガイウス=ベルダラスと死闘を繰り広げたライボロー冒険者ギルド長ワイアットの部下だった貴族騎士だ。

 だが彼は内紛の口実作りの密命を受けて集落で虐殺を行った際、【イグリスの黒薔薇】に現場を目撃され逃亡、その後に落馬。腰骨を痛め療養している間に上司はおろか主家までが滅び、マクアードル家は没落の憂き目に遭ってしまう。

 ……家業も持たぬ名だけの元貴族など、惨めなものである。

 だからマクアードルは持てるツテを最大限に活用し、武功による御家再興の望みをかけて中央軍の増援に入り込んだのだ。


 当初は対隣国連合と噂されていた遠征がコボルド相手であると彼が知った時、当然ながら意趣返しの感情がマクアードルには沸き起こった。

 だが同時に胸の中で生まれた不安を振り払ったことを、没落貴族は後悔することとなる。


「怯えるな! 竦むな! お前たちの剣技を、ここでこそ活かすんだ!」


 隊長の叱咤も空しく、前にいる兵、騎士らの肉体が一瞬おきにひしゃげ、分割されていく。第七陣の司令官が【人食い丘】を奪うために募った、剣の鍛錬を積んだ特別選抜隊だ。御家再興を目指す落ちぶれ貴族がその一員であることは、まあ自然と言えるか。


「おおう!」

「【味方殺しのベルダラス】、何するものぞ!」


 腕に覚えのある者を集めただけあり、さすがに一般の魔杖兵とは気迫が違う。

 わざわざ近代軍での遠征に甲冑を持ち込んだ、時代錯誤の鎧騎士姿もここぞとばかりに混じっていたが……相手は同じく時代遅れの凶獣、ガイウス=ベルダラスである。その手合いへの対処は手慣れており、装甲の隙間から、あるいは装甲もろとも刃を打ち込まれ排除されていた。

 剛力や剣技だけではない。環境をも巧みに活かしたガイウスの前に、彼らは掻き回され、惑わされ、分断され、一人また一人と斬り倒されていく。


「ベルダラス卿ッ! 私は特別編成隊隊長、ヴァージル=スパイアーズ。我が剣、受けて頂きます!」

「スパイアーズ一門か。お相手仕ろう」


 中央貴族ではないマクアードルでも知っている、名門武家の名だ。そして流石は手練れ衆のまとめ役だけあり、スパイアーズ隊長は勇敢に、そして懸命に大鉈と火花を散らしていく。


「でえいっ!」

「ぐるぉぉう」

「ええい! あっ!?」


 だがここは【王の丘】。目を閉じても歩けるほど掌握したコボルド王とは違い、余人には未知の空間である。

 スパイアーズの切っ先が岩に衝突した一瞬の隙に、彼の腕は斬り離されていた。


「ぐおっ……お、お見事、ベルダラス卿。最後に剣を交えたのが貴方で、光栄です……!」


 頷いた【イグリスの黒薔薇】の魔剣が、スパイアーズ隊長の頭を地へ落とす。

 助太刀に入るべく坂を登っていた騎士や兵の足元を、ごろごろと転がっていく首。


「嘘だろ、ス、スパイアーズ殿がやられた……」

「くぅっ。さ、下がるぞ」


 それを切っ掛けに、坂へ侵入していたイグリス剣士らはようやく引き上げ始める。当初五十名強もいた選抜隊、その三分の二近くを失っての敗退だ。

 彼らは単なる兵卒ではない。魔杖兵が一般的な近代軍の中で「剣に自信がある」ということは、それなりの人材である場合が多いのだから。本陣から様子見を促されていたにもかかわらず、昨日の雪辱のため今日も無理矢理攻勢を重ねる第七陣司令官は……後での処罰を免れないだろう。


「帰りたまえ」


 去る者は追わずという体で、ガイウスは撤退する彼らを見送り……まだ動ける怪我人や心の折れた者へも丘を下りるよう促す。

 時間稼ぎと体力温存の一環でもあるそれは一見、名高き武人の寛大さとしても周囲に映る。【イグリスの黒薔薇】ほどの豪傑であれば、凶暴さと併せ持ってもおかしくはない側面だ、と。

 だからマクアードルもさしあたり命が繋がれたことに胸を撫で下ろし、一団に紛れて麓へ向かった……のだが。


「……待て」


 獅子の唸りに似た、呼び止めの声。


「えっ」

「貴殿……顔に見覚えがある」


 その言葉と目には、先に剣士らと斬り合った時にはまるで感じさせなかった、激しい怒りが籠もっている。


「ひっ!?」

「先年ある集落で、無頼どもを率いて無辜の民を殺めた男だな」


 ……何故自分はあの時と同様、本能に従いこの男から、この男のいる領域から逃げ出しておかなかったのか?


 血と粘液に塗れた刃こぼれだらけの魔剣が振りかぶられるのを、ロシュ=マクアードルは後悔と恐怖に震えながら見つめていた。



 選抜隊を退けた後、しばらくして百名ほどのイグリス軍が二度送り込まれてくる。それらを蹂躙したことで【王の丘】への攻勢は完全に止まり……丘を預かるガイウスと連絡要員のフィッシュボーンは、ようやく食事休憩をとる暇を得たのであった。

 なお長老と違い第準二世代コボルドの体格で背嚢入りは厳しいため、王はもう霊話兵を背負ってはいない。


『おいしかった、ね』

「うむうむ」

『うーッス! まだ生きてるッスね、王様』


 鹿肉のシチューを二人が平らげたところで、村側からゴーレム馬を伴って造兵廠のコボルド娘が現れる。木馬に結わえられているのは、布に包まれた剣が三本。


『武器の補給ッス。直しが間に合ったのが二本、親方渾身の新造が一本ッス』

「ありがたい」

『いやー王様が連日力作をボンボン駄目にしちゃうもんだから、親方もプンプンッスよ』

「全くもって面目ない」


 二ヶ月を数える第六次コボルド王国防衛戦、ガイウスは既に三十本以上の魔剣を使い潰していた。特に【王の丘】における激戦での消耗は著しく、この日は三本、昨日では六本を損なっている。

 ガイウスが得物についての信条を変え、耐久性と引き換えに威力を求めたことも大きいだろう。それでいて刃で魔弾を弾いたり、鈍器のように振るうなど乱暴な扱いは変わらないのに、だ。

 だが【イグリスの黒薔薇】の剣技をもってしてもこの二ヶ月、一戦一戦が微塵の妥協も許さぬ死闘と綱渡りの連続であった。もし「あと一撃」が必要な局面が何処かであったなら、彼は今この場に立っていなかっただろう。


「……やはり見事なものだ……そして親方の作品の中でも、一番の刃だな」


 七色の光沢を浮かべるミスリルフォセを吟味し、深い感慨と共に唸るコボルド王。


「ところで親方は、この新作剣の号は何と? 先日のものは【ドングリ潰し】であったが」


 あまりの損耗の激しさに、親方による命名も大分雑になっている様子。もっとも元々、名付けの感性は酷いほうだが。


『剣をいっぱい駄目にされたから、【むかつき丸】だそうッス』

「はははいやはや。親方にはすまないと思っているよ」


 苦笑いする、ガイウスとフィッシュボーン。


『まぁ、それは親方流の冗談ッスけど……すんません。魔剣での補給は、これで一旦最後になるッス。後は直せるものから仕上がり次第、都度と』


 親方の魔剣は、最早名だたる業物にも劣らぬ逸品だ。補修も新造も、簡単にできるものではない。加えて、武具の損耗が著しいのは他のコボルド兵も同様なのだから。親方と工廠は最大限努力しているが、やはり限界はある。


『俺は新造より一本でも多く直したほうがいいと思ったんスけどね、親方が「旦那にはこれからの局面、絶対に最高の一振りが必要になる……気がする!」ってずっと耳貸さなかったんスよ』

「いや、ありがとう。親方の予感通りだ。今日【むかつき丸】が届いたおかげで、一番の山場に一番の剣をもって臨めるよ。親方には、そう伝えておいてくれるかい」

『そうッスか? ならいいんスけど』


 首を傾げる、毛皮の鍛冶娘。妖精犬の王は刃へ視線をなぞらせつつ、むしろ自分に言い聞かせるように呟くのであった。


「……あの人たちが来るのは、明日あたりだろうからね」

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