234:オジー=キノンの本質

234:オジー=キノンの本質


 地響きと断末魔は森中まで届き、両陣営の兵へも竜の最期を知らしめた。

 それは音と振動以上の衝撃を双方に異なる意味で与えたが、具体的な形としても当日の戦況へ影響を及ぼすこととなる。


 イスフォード軍は昨日と同じく爆撃成功の咆哮を合図に総攻撃へ移るよう本陣から指示されていたが、ドーラドーラと猫白龍の戦死によりその合図自体が消滅してしまったのだ。

 イスフォードの兵士は装備も上質で、そして何より恐怖が指揮官たちを【剥製屋】に対し従順にしていたものの……その反面、自主性というものが極めて乏しい。良くも悪くも現場判断で動くような、動けるような人物が家中に存在しないのである。


 だから竜が死んだとを分かっていても、侵攻軍前線各所は攻撃も防御も半端な状態で、本陣からの指示を待ち続けるしかない。

 そして即時報告即時指示を成す霊話戦術の無いイスフォード軍本陣は、ドーラドーラの死に伴う作戦変更へかなりの時間を要したのだ。まず早馬が前線から本陣へ中継ぎしつつ走り報告を持ち帰った上で、また本陣から前線へ指令を届けねばならないのだから。

 これは竜母子の敗死という不測事態に備えなかった、オジー=キノンの手落ちと言えよう。だがまさか飛ぶドラゴンが討ち取られるなどと、果たして誰が考え得たことか。


 とにかく。

 その隙を、コボルド王国軍は衝いたのだ。


【緑の城】はただ単に侵攻側の経路を限定する疑似迷路ではない。鬱蒼とした【城内】には、コボルド側しか知らぬ抜け道が幾つか存在している。

 レイングラス率いるコボルド猟兵隊はそこを使って敵中央部隊の後背や樹上へ回り込むと、奇襲射撃を加えたのだった。それは一斉射目で相手部隊指揮官が蜂巣と化すほど、苛烈で精妙なものだったという。

 両翼ならともかく、まさか中央戦線で背後奇襲を受けるとは思わなかったのだろう。そして【剥製屋】の人となりを思い知る騎士諸将はともかく、末端はそこまで領主への恐怖だけで踏みとどまれはしない。浮き足立つ、イスフォード兵。

 そこへコボルド側前線より、親衛隊三十六騎が強襲をかけたのである。


『牙と共にィィッ!』

『『『牙と共にッ!』』』


 そのイスフォード部隊にはまだ五十名前後の兵が残っていたが、猟兵の援護射撃も加わり、瞬く間に彼らは潰走した。

 そしてここを突破口として戦線裏側へ回った親衛隊は支援を受けつつ近隣部隊の背後へ次々襲いかかり、侵攻軍中央戦力総計三百名程を各個撃破で散々に追い散らすこととなる。


 やがてイスフォード本陣から総攻撃指示が改めて届けられ、中央戦力は半壊状態のまま強引に攻勢へ移るも……統制と打撃力を欠いた攻撃は、寡兵の防御側にすら容易く弾き返された。逆にコボルド側は余剰兵員を両翼へ送ることで、戦力配分を最適化している。

 中央の圧力を欠いたイスフォード両翼は思うように成果を上げられず、図上としては侵攻側が【緑の城】を少し削り取っただけで、この日の戦闘は終わるのだった。


 こうして妖精犬らは、第五次王国防衛戦の十日目もどうにか凌いだのだ。

 しかし本来の戦術通り距離を使い捨てできぬコボルド軍は、戦死十一負傷二十七の損害を新たに出し、残り百四十三名といよいよ六割を切る状況。

 一方この日に戦死五十五名負傷百二十五名という損害を出してもイスフォード軍は、まだなお七百二十四名が前線に留まっている。さらに予備兵力とも言える本陣防衛組と警戒用騎兵が合わせて二百五十名も控えており……圧倒的劣勢は未だに、覆ってなどいない。



 小雨が降り始めた日暮れ後、備蓄を放出し空となった第六資材倉庫にて。

 兵たちに休息をとらせたコボルド王国幹部陣が、そこに集い対策会議を開いていた。


『やれやれ、今日もなんとか首が繋がったな』

「ケッケッケ、お疲れ様でありますよ。猟兵隊長殿」


 息をつくのは、今日も奮戦したレイングラス。その背や肩を、ダークが揉んでいる。

 止せば良いのに黒髪剣士が全力で技巧を発揮したため、赤胡麻毛皮のコボルドは『ひぎぃぃ』と骨抜きにされていた。

 その様子を尻目に、会議を始めるサーシャリア。


「さて、レイングラスさんの仰る通りです。ドラゴン撃墜で今後の空襲を防ぎ、今日の敵攻勢を挫くことにも成功しましたが……状況はなお、危機的と言わざるを得ません。そこで現場の皆さんからも、意見や提案を聞きたいのです」


 奮戦の結果【緑の城】落城こそ免れたものの、この日も村への距離がなお奪われたのは紛れもない事実。兵数も削られ続ける一方であり、敵が大々的攻勢や逆に小細工などを弄さずとも、徐々にコボルド軍が押し潰されていくのは目に見えていた。


『将軍。選抜部隊を敵後方へ潜入させて、枯れ川を行き来する補給馬車を襲わせてはいかがでしょう』


 昨年ノースプレイン軍を指揮したギャルヴィン老は領域の確保を重視していた。そのためおいそれと後方へは回り込めなかったのだが、今回のイスフォード軍は前面に戦力を集中している。だから後方にて蠢動する余地は十分あるだろう、というのが提案者アンバーブロッサムの説明である。


「そうね、先日の敗北が無くて【緑の城】がほぼ健在なら、それも採り得たけど……補給を妨害して干上がるのを待てるほど、余裕も無いのよね」


 さらにイスフォード側はコボルド側を大敗退させたあの間で、補給部隊を昼夜最大稼働させた上に後続部隊に輜重隊を兼ねさせ、それなりの物資を前線に持ち込んでいる。

 おそらくはドラゴン空襲を前提に元々織り込んでいたのだろう。このあたりの嗅覚を鑑みても、やはり【剥製屋】は単なる悪趣味貴族という訳ではない。


『確かに貴重な防衛戦力を割いても、敵が食糧不足に陥るまで時間的猶予があるかは、難しいですね……下手をすれば潜入部隊が各個撃破の憂き目に遭いかねませんし』


 耳を垂らして、ブロッサムが呻く。


『閣下! では我が親衛隊を騎馬で迂回させ、敵の本陣を直撃するのはどうでしょうかッ! 捕虜の話では、敵の伯爵はそこにいるのでありましょうッ!?』


 続いて挙手したのは、親衛隊長ブルーゲイル。


「そう、私もそう思ったのよ。ただ敵の開始時総兵千三百から与えた損害と前線兵力を差し引いてざっくり計算してみても、まだ敵の本陣には二百から三百程度の戦力が残っているのよね。いくら親衛隊と言えども残り二十六騎で、これを全て撃破するのは厳しいわ」

『むうッ! 仰る通りですッ! その数では無理ですなッ!』


 ここで虚勢を張らず『無理』と応じるのが、ブルーゲイルという青年であった。だからこそ彼は、親衛隊隊長の役目にある。


「しかしサリーちゃん。あれもダメこれもダメでは、どうしようもありますまい。そりゃあ今のコボルド軍に必要なのは『防衛戦力は保持したままに敵の大打撃を与える』というご都合極まりない策ではありますがね」

「そうなのよねえ……ダークは何かそういう作戦は考えつきそう?」

「うーん申し訳ない。考え中であります」


 二人、苦笑い。


「レイングラスさんはどうですか?」

『うーんうーん、ちょっと時間をくれ』

「エモンやナスタナーラは?」

「おう、俺がボコボコ倒してやるぜ!」

「むむっ! でしたらワタクシのほうはボッコボコに敵を倒しますわ!」

「うんそうね。頑張りましょ……ピンクノーズやブラッディクロウはどう?」

『グオゴゴゴ』

『名人も考え中とのことです!』

「そう、何か思いついたら教えてね」

『ふうむ、厳しいですね。【鶏卵に逆立ちさせるが如し】という人界の諺のようです』

「え!? そんなのあったかしら……?」


 そんな諺はない。ブラッディクロウの妄想である。


「レッドアイさんはどう思いま……」


 流れでうっかりと口にしてしまい、赤毛の将軍は首を振った。いつも沈着だったあの農林大臣は、もういないのだ。


「ごめんなさい」


 肩を落とす将軍を、寄り添うコボルドらが励ましている。

 その様子を見つつ、これまで議論を聞くだけだった隻眼王が手を挙げるのであった。


「……私が【剥製屋】との昔話をしたおり、レッドアイが奴について分析してくれたことがある。【剥製屋】は猟奇趣味を満足させつつ、保身を図れる男というが……逆に言えばそれだけの知能があってもなお、自身の欲望を抑えられぬ人間に過ぎぬのではないか、とな。むしろそこがあの男の本質であり、だからこそ付け入る隙があるのでは、とも」


 そこまで語り、一呼吸置くガイウス。


「その評は私も同感だ。だから一つ、策を用いたい」


 おお、と場が沸いた。

 普段のガイウスが「私にいい考えがある」などと言おうものならこんな反応を得られぬだろうが、こと軍事に関してはそうでない。


「サーシャリア君。これまでの戦いで、敵の騎士を数名捕虜にしていたはずだが」

「は、はい! 捕らえた将兵は、南方協定に準拠する形で拘束してあります」


 ガイウスは頷き、皆を見回してから再び口を開く。


「うち何人かを、使わせてもらう」


 それはこの場において、オジー=キノンの性質とイスフォード軍の体質を知るガイウスだからこそ、考え得る策であった。



 十一日目、朝。


「ダハハハ! いやー残念残念。ドラゴンを領内で囲い込んでおけば、今後も何かと便利だとおもったんだけどよ。なっかなか、うまくはいかねえもんだな!」


 いかにも作業休憩と言わんばかりの前掛け姿で、イスフォード伯オジー=キノンが笑っていた。

 手にしたコーヒーカップは、徹夜明けの目覚ましらしい。よほど今の作業に、興が乗っていたのだろう。


「そうですね……残念です」


 肩を落としつつ対面に座るのは、ビクトリア=ギナ。

 短時間とはいえ、交流をもった竜母子の死は些か堪えたようだ。


「ま、ある意味オッレには万々歳よ。連中を雇った目的はほぼ達成できたのに、報酬を一切払う必要が無くなったんだからな。そしてまあ、何より……」

「何でしょうか、伯爵閣下」


 勿体付けた【剥製屋】に、おずおずと首を傾げる女騎士。


「このままコボルド村を攻め落とせばよ、オッレはもののついでであの白い娘とドラゴンの死体まで手に入れられるって訳だろぉ?」

「うっ」


 思わず掌で口を覆うビクトリア。その様子がまた、キノンの機嫌を良くする。


「いやーツイてるなー! まさかなー、まさか伝説生物ドラゴンの剥製を作れる機会が来るなんてよー。いくらなんでもそこまでは期待してなかったのに。これこそ千載一遇、人生に一度あるかないかの幸運! ほんっと恵まれた男だぜ、オッレてば。楽しみだなー! 楽しみでしょうがねえなー! ダハハハ! なあ! お前もそう思うだろ? ビクトリア!」

「は、はい……」

「よーし、この戦いが終わってイスフォードに帰ったらオッレは、ドラゴンの剥製を丸ごと展示できる大きな別館を建ててやるぜ! いやー堪らねえなぁ、この歳にしてデッケエ畢生事業(ライフワーク)が出来ちまったもんだ! ダーッハッハッハ!」


 そうして皮剥ぎ伯爵は一頻り笑うと。


「……ま、ドーンと落ち着いて構えておけやビクトリア。この戦もあと何日かで終わりだぜ。ベルダラスどもにはもう兵隊ワンコも、村までの距離もロクに残ってねえ。一方こっちは気楽なモンよ、ゆっくり落ち着いて進めさせりゃいいだけなんだからな。ウチの前線連中にだって、もう昨日みてえなヘマはさせねえさ」


 その通りであった。現在コボルド側にとって最も厳しいのは、イスフォード軍が無理せず一手一手着実に詰め、一人一人毛玉兵を削っていくことなのだから。焦って強引に押すほうがむしろ、コボルド側に付け入る余地を与えるというのものだろう。

 勝利を目前にしても焦れることのないキノンに、ビクトリアは小さく安堵の息を吐く。

 そこにだ。


「失礼致します! お館様!」

「ああん!? 楽しいおしゃべり時間なのによ。なんだ気の利かねえ奴は」


 緊張した声で、天幕外から呼びかけてきたのはキノンの家臣か。

【剥製屋】の歓談に割り込んででも報告しようとは、余程の急報らしい。


「閣下、私は構いませんので……」

「チッ、まあビクトリアに免じて許してやるかー! しゃーねーなー! おい、入れよ!」

「はっ!」


 入幕の後。伯爵の前で恭しく跪いたのは、包帯が痛々しいイスフォード騎士であった。


「ん……? お前確か、緒戦で戦闘行方不明になってたって報告を受けてたな」

「申し訳ございません! 奮戦も空しく、包囲されコボルド共に捕らわれておりました。ですがなんとか脱走に成功し、夜闇に紛れ味方陣地へ辿り着けまして」

「お、そうか。やるじゃーん」


 ごきごき音を立てながら、首を回すキノン。


「その際前線指揮官と相談し……私が囚われの時にコボルドどもの会話へ聞き耳を立て入手した情報を、いち早くお館様へお伝えする必要があると! そのまま早馬で駆けてきた次第にございます」

「ダハハ、一晩くらいゆっくりしてから来りゃいいのによ。今更慌てて知らせることがあるかぁーん? もう後は楽勝ってもんさ。敵の布陣も村までの距離も、もうここまでくりゃあ、大した情……」

「ドラゴンと、その乗り手の遺体についての情報です!」

「おほっ!?」


 鮫人間が、目と歯を剥いて笑顔を見せた。

 流石は【剥製屋】配下の貴族騎士、主の趣味と望みを良く理解している。確かにこれはキノン家家中における最優先報告事項だろう、とビクトリアは小さく頷いたのだが。


「おうおう。で、どんな感じ……」

「コボルド共は衛生面の問題から、遺体を焼却処分するというのです!」

「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぅああああああああああああああああああああぃあああああああああああああああ!!!!!!!????????」


 女騎士はまず耳を、そして次に目を疑った。


「おい何だそれ!? 何だそれええええ!? ううう嘘だろ!? 嘘だろオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイオイイイイイイ!?」


 あの【剥製屋】が蒼白となり、冷や汗を垂らしつつ全身を震わせているではないか。


「ド、ドラゴンの身体って燃えるのかよ!? ああいやでも鱗以外は皮と肉だろうし……」

「そ、そこまでは分かりかねます。ただコボルドどもは、独自の燃焼剤か何かがあるため問題ない、とでもいうような調子で話をしておりました」

「うっ……そう言や去年ザカライアの軍が糧秣をコボルドに焼き払われた際、水を掛けても風が吹いてもなかなか消えなかった、みたいな噂を聞いたことがあるな……」


 ふとキノンが思い出すその話が、家臣の報告に信憑性を増していく。


「お、おい! 昨日からの雨はまだ降ってるのか!?」

「ハッ! 今はまだ。ですが、じきに止むのではないかと思われます」


 頭を深々と下げたまま、応じるイスフォード騎士。

 主君の汗のほうがむしろ、土砂降りの如き有様である。


「マズイぜマズイぜマズイぜ……晴れて乾いてきたら、二度と手に入らねえオッレの大切な素材が焼かれちまうじゃねえか! ええとどのくらいだ? 二日か、三日ぐらいか? ああどうなんだ分からねえよクソおお!」


 乾燥までの日数を当てもなく推測し、頭を掻き毟って取り乱す。

 そして真っ白な顔色のまま、【剥製屋】は本陣中へ届かんばかりに叫ぶのであった。


「よ、呼べ! 本陣防衛隊隊長と、警戒騎兵隊の隊長を今すぐここへ呼べええええ!」


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