173:寝る雄猫
173:寝る雄猫
天幕の中。背嚢に背を預け眠っていたトムキャットが、痙攣と共に身を起こす。
彼はまるで数年越しに訪れたかの如く周囲を見回し、ようやく自身の所在と現状を認識してから額の汗を拭った。
「起きた……か」
ランタンの明かりに照らされた鉛髪の男が、ぼそりと言う。
「やあアッシュ、お早う」
「何がお早う……だ……今は……夜だぞ」
天幕の色の重さからして、彼が言う通り外は闇夜なのだろう。
「アハハ、僕は何日寝ていたのかな?」
「今回は……二日……だけだ……が……起きていられる……時間が……ますます……不安定に……なっていく……な」
「うん。大分、魂が磨り減ってきたらしい」
「お前の……不老……伝授する前に……死なれるのは……困る」
「おいおい、何度も言っているだろう? もう教えたってさ。嘘じゃない。現に【魅了】や身体を強化する呪いは、君も使えるようになったじゃないか」
「あんなものは……要らん……俺は……俺のままで……強く……美しい」
「そうか。僕とは大違いだなぁ」
欠伸をし、胸を掻くトムキャット。
胸甲を着けたままだと忘れていたらしく、爪が鋼鉄でカリカリと音を鳴らす。
「なあアッシュ。君って自分のことが大好きだろ?」
「当然……だ」
「うーん、そのあたりかな。駄目だよ、もっと自分を嫌いにならなくちゃ」
「……難しい……話だ」
儚くも端麗な顔が、困惑に歪んだ。
「まあいい……それより……これから……どうする」
雄猫は覚醒時間の制御を失い、一般部隊との連携行動が難しくなっている。そのため彼は自らの班……トムキャットとアッシュだけだが……での単独遊撃をケイリーに願い出ていた。
諸将から特に反対や苦情が上がらなかったのは、彼に対する好感と、功を奪われる危惧の両面からだろう。
「林向こうに小さな砦があるから、それを潰しに行ってくる。夜なら乗り込むのも、左程難しくない」
「人数……は?」
「さあてね。三十人以上はいるんじゃないかな」
「まあ……お前なら……容易い……だろうな」
「いざとなれば、【中身】をちょっとだけ漏らせば良いしね。友軍もいないから、そのあたりに気を付ける必要も無い」
アッシュから咎めるような視線を感じたトムキャットが、「用量用法には注意するさ」と肩をすくめる。
「何せ、今や家中の皆とは迂闊に同行できないからなあ。出世しちゃうのは困るけど、今後の段取りを考えると手柄はやはり挙げておきたい。何よりこれは、ケイリーちゃんの勝利に貢献することだしね」
「フ……まるで……本当の家臣気取り……だな」
「僕は本気で、ケイリーちゃんのために働いているつもりさ」
微笑みながら答える、金髪の美丈夫。
「クフフ……よく言う……ベルダラス討ちの……ために……利用するだけの……臣従だろう?」
「何を言っているんだい。僕は確かに自分の目的を達成するために雇ってもらったさ。でも、だからこそ。僕はケイリーちゃんの利益になるよう、ケイリーちゃんのためになるよう働かねばならないのさ。それが筋というものだよ。たとえ彼女が、先代ノースプレイン候の娘であろうともね」
「また……筋……か」
「筋は大事だよ。現に先日の戦いだって、どう転んでもケイリーちゃんには有益だっただろう? もし不利益をもたらすようなら、僕はあの手を採らなかった」
アッシュが「フン」と鼻を鳴らす。
「だから……先の戦いで……ザカライアを……俺が……殺そうと……したのが……気に食わなかった……のか」
「そうさ。だってあの時このトムキャットさんは、ザカライア君に助太刀を申し出て戦っていたんだぜ? そんな僕の仲間が彼を害するだなんて、筋違いも甚だしいだろう」
殺していたら間違いなく君を斬っていたよ! と付け加えつつ、片瞬きで親指を立てる。
「あれを……始末しておけば……幾らも……手の広げようが……あったものを」
息継ぎ。
「折角……俺が……ザカライアを……聖人教団に……引き合わせて……やったのも……無駄に……なった」
少年期前半を合唱隊の去勢歌手(カストラート)として過ごし、声が潰れた後も美貌故に高僧から寵愛を受けたアッシュには、教団へのツテ……というよりは握った弱み……があったのだ。
彼がダークと出会ったのは、教団内政争で醜聞の種となるのを恐れ放逐された後、数度の人身売買を経てあの館に辿り着いたためである。
「それに関しては感謝しているよ、本当さ。でもね、筋を違えて上手くいったとしても、僕は納得できないんだ」
「まるで……お前の復讐より……筋の方が……大事かのような……言い方だ……な」
「そう、筋は大切だ。それこそ目的の成否より、遙かに重要なのさ」
理解に苦しむと言わんばかりに、長髪の美青年は首を左右へ振った。
「まあザカライア君絡みの手はもう使えないけど、ランサー君のおかげでもう一回挑戦できるからね。有り難い話さ」
「そうだな……その当てが……あるから……お前もあの場を……退けたの……だしな」
革の水筒を持ち上げ、喉へと流し込むアッシュ。
「ランサー君には後でお礼を言わないとなあ」
「それは……それとして……偶然の……産物頼りなのは……反省した方が……いい」
「いやあ、運が向いてきたのさ。人生、稀にはそういうことがあってもいい。呪いもそうだけど、若い頃の勉強が後々生きてくるっていうのは、中々感慨深いものがあるよね」
そう言って僅かの間、遠い目を見せた。
「クフフ……きっと……あいつからは……恨まれる……だろうがな」
「うん、ランサー君に嫌われるのは、ちょっと辛いな……知ってるかいアッシュ? 良い奴から憎まれるっていうのは、結構堪えるんだぜ」
「生憎……善良な知己は……持ち合わせて……いないの……でな」
少し咽せてから、水筒を置く鉛髪。
雄猫はその様子を横目で見ていたが……少し考える表情を浮かべた後、口を開く。
「なあアッシュ。君は契約を十分果たしてくれた。もうこれ以上、僕の我が儘に付き合わなくてもいいんだよ」
言われたアッシュは手の甲で口を拭うと、それに答える。
「そう……思わなくもないが……お前は……間違いなく……南方屈指の……呪いの……専門家だ」
「まあね」
「俺が……独学で……研究するよりも……お前の……目的を……果たさせてから……習得を……協力させた方が……より……確実だろう……それに」
「それに?」
言葉を続け過ぎて咳こんだ同盟者に、問う。
「黙ってさえ……いれば……お前は……なかなか……俺の好み……だ」
アハハハハ、と。愉快そうな声を雄猫は上げる。
「そうか、ありがとう! でもすまない、僕の純潔はあの子に捧げるつもりで取っておいたんだ。他の人にはちょっと、あげられないな」
キラリと輝く歯。
「本当に……気色の悪い……男だ……やれやれ……黙ってさえいれば……好みなのだが……な」
鉛髪の美男子は、俯いたまま頭を左右にゆっくりと振っていた。
◆
「うむ。よくやったランサー。すぐに迎えの馬車隊を編成させよう」
「ありがとうございます、ケイリー様」
主からかけられた言葉に、跪いたまま応じるショーン=ランサー。
広間に立つ他の家臣らは、
「単身で戦直後の敵地に乗り込むとは、何と豪胆な」
「身代金も無しに交渉をまとめてくるなんて」
などと口々に囁き合っており、当人の知らぬところでその評価を無闇に向上させていた。
「何でも道中、野盗に襲われたがその悉くを斬り伏せたそうだ」
「いやいや。【大森林】では蟲熊の鼻っ面を殴りつけて追い払ったとも聞きますぞ」
「流石は武門ランサー家の当主、ということですな」
「殺気立つコボルドどもに囲まれるも、殺してみろとばかり全裸になって一昼夜座りこみ、ベルダラス卿との会談を求めたらしい」
「その間、股間は雄々しく屹立し続けていたらしいぞ」
「まあすごい! ランサーの家名に恥じぬ槍ですこと」
「すごいよなあ」
「すごい羨ましい」
余計な尾鰭が付いているのは、ご愛敬というところか。
なおその一部はランサーの発言権拡大を狙いケイリーが流した噂であるが、無論、股間部分の話ではない。茶を淹れるのは上手いが不器用な侍女が、要らぬ気を利かせて言いふらしたものである。
「馬車隊の引率も、そなたに任せる。妾がグリンウォリックの協力を取り付け、諸侯に立場を示す重要な一件ぞ。くれぐれも、失敗するでない」
「ははーっ!」
そのままの姿勢で力強く答えるランサー。
「このショーン=ランサー、必ずやケイリー様のご期待に応えてみせましょう!」
心なしか精悍さを備えつつある顔で見上げた家臣を、主は目を細め眺めている。
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