172:平和の予感
172:平和の予感
王宮という名の竪穴式連結住居。
会談の場としてそこへ通されたランサーは「個人的に戦勝をお祝い申し上げます」と一言置いた後、率直すぎる事情を語った。
「ケイリー様は捕虜を引き取りグリンウォリックへ帰すことで、ご自身がノースプレインの支配者であると印象づけたいのです」
第三次コボルド王国防衛戦における最大勝者は、ケイリー=ジガンだろう。
彼女はグリンウォリック伯ザカライア=ベルギロスに領内での軍事行動を許すことで貸しを作り、その一方ザカライア父の「息子を生還させる」という頼みにも応じノースプレイン内紛決着後の助力を取り付けた。かつ裏ではコボルド王国に情報を流して恩を売りつつ防衛を成功させ、そして今度は捕虜解放の仲介を担うことで、諸侯に対し彼女の存在を強調しようとしているのだ。
実に立ち回ったものである。面倒ごとを土壇場で利益へと変換する才に、どうもケイリーは恵まれているらしい。
そういった事情の全てをランサーやガイウスたちは知る由も無いが……それでもこの申し出が和平の最短道というのは、彼らでも容易に理解できた。
ここで実績を設けることで、ケイリーは今後もコボルド王国との交渉を続け、強硬派を黙らせる口実が得られるのだから。
「お受け致しましょう」
横に座るサーシャリアと目配せの後、ガイウスは頷く。断る理由など無い。そもそもが解放するつもりの捕虜である。
ランサーがそれに礼を述べ、主目的たる引き渡し交渉はあっけなく終了した。
「今回の戦の報告を受けた結果、家中での対コボルド強硬論はすっかり息を潜めました」
短い近況閑談の後に、香草茶の杯を置きつつ語る使者。
道理だろう。五百人からなるグリンウォリック近代軍が惨敗したのである。無論ケイリー派が腰を据えて攻め上げるなら話は変わるが、損害に見合う価値が森中の草地にあろうはずもない。これで軽々に出兵論を唱えるなら、自分が馬鹿だと家中に触れ回るようなものだ。
兵站と戦闘の両面でザカライアの剣を派手に叩き折ったサーシャリアの目論見が、成果として現れたと言える。
「後はまあ……形式上でも恭順の用意があるという姿勢を続けてもらえれば、遠からず当家とコボルド村との和平も実現することと思います。まあ、弟ドゥーガルド様との後継争いが終わってからでしょうが」
ドゥーガルド派家臣の領地が没収され、ケイリー家中で恩賞が査定され始める時期でもあるだろう。その浮かれたどさくさに紛れれば、反対意見も受けにくいはず……と内通使者は付け加えた。
「有り難うございますランサー卿。御身の危険を顧みぬ御尽力により、コボルドらもようやく平穏を得られます」
痩せた貴族の手を、岩塊のような両掌が包む。気恥ずかしげにその感謝を受け入れるランサー。
……ブンブンと、中年二人の手が一頻り上下した後。
「ところでルクス=グランツ……トムキャットの様子はどうでしょうか」
「そういえばベルダラス卿は、彼と剣を交えたそうですね。やはり、お気になりますか」
「彼にとって私は、仇でして」
「五年戦争における卿のご活躍を鑑みれば、そういうこともありましょう」
ショーン=ランサーとて、あの戦争に身を置いた年代だ。
剣が生む怨讐に察するところもあり、深くは問わない。
「確かに彼は以前、家中でコボルド村攻撃を煽っておりましたが……先日の戦い以降すっかりと大人しくなり、現在はケイリー様の指示通りドゥーガルド派との戦線に赴いているはずです。体調を崩している、という噂も聞きますが」
「我々は彼が【魅了】を用いて、また出兵の機運を高めるのではないかと危惧しているのです」
「魅了? お抱え魔法使いが舞踏会に行くレディにかける、おまじないのあれですか?」
ここでガイウスが、トムキャットの【魅了】について説明する。
「なるほど。グランツ人の彼が家中で急速に誼を結べた理由が、分かった気がします。もっとも、他には話さないほうが宜しいでしょうね。私はこんな立場なので理解もできますが……家臣団に告げたところで、流言と受け取られ逆にそちらの印象を悪くする恐れがあります」
「確かに。仰る通りです」
頷くコボルド王。あの瘴気を感じずして、容易に伝わろうはずも無い。
「しかし幸いと言うべきか。我が主はトムキャット殿の影響はあまり受けておられないようです。まあ、私もそうと言えばそうですが」
「相性や意識も関係する、とは知識のある者から聞きました」
「腑に落ちますな。私は、ああいう社交達者なお方が苦手でして」
「分かります。私も中央にいた頃は、舞踏会の度に気鬱になって腹を下したものです」
はははと笑い合う、外交官失格の両名。
だがその様子に、傍らの半エルフは事態が好転しつつあるのを感じていた。
◆
ランサーは捕虜らと面談して安心させた後、夕餉までの時間を散策で潰していた。
『あらランサーの旦那。元気にしてたかい?』
「おやマダム、お久しぶりです」
『はるばるお疲れさんだねえ。今日は泊まっていくんだろう? 後で亭主の晩酌分を持ってったげるよ』
「それは可哀想なので、遠慮させてもらいます」
住民らは素朴で暖かく、春風は心地は穏やか。北西を見やれば双子岩が、相変わらずの姿を陽にさらしている。心地良く、のどかな一時だ。
『あ、ホリョだったランサーおじさんだ』
中年貴族を呼び止める声。振り返るとそこには、力を合わせて籠を運ぶ子コボルドの集団がいた。それを率いる赤白の斑被毛少女に、ランサーは見覚えがある。
「おや、君は以前石をくれた……随分大きくなったね」
『おじさんは変わんないね』
コボルドの成長は早い。昨年は年長児童の後をよろよろと追っていた幼児が、今やガキ大将よろしく集団のリーダーを務めているのだ。
「その籠の石は、双子岩のかな。また、湖の主にあげるためかい」
『『『そうだよー』』』
元気良く答える毛玉たち。
『そういやおじさんにも前に石をあげたね。大事にしてくれてる?』
「あー……あれは遊びに来た友達がどうしても欲しいって言うから、あげてしまったんだ」
『あ、そ。じゃあもう一個あげる』
とてとてと歩み寄る少女。ランサーは屈み込んで目線の高さを合わせながら、困り顔でそれを受け取っていた。
『あたしたちこれからヌシにカエルを貰いに行くの。また今度一緒に遊ぼうね』
「そうかい。おじさんもこれから何度も来るから、またその時遊ぼう」
『最近あたしたちが開発した【勇気嘴(ビーク・オブ・ブレイブリー)】で対戦しよう』
「うん? 楽しそうだね?」
『だめだよおねーちゃん、【ゆうきのくちばし】はおうさまからキンシレーがでたじゃないか』
『あ、いけない、そうだった。うっかりうっかり』
洟垂れの子犬から指摘され、少女は頭を掻く。
『じゃあまたね、おじさん。無くしたらまたあげるから、おいでね』
『『『まったねー』』』
手と尻尾を振り振り、去って行く毛玉たち。
「……やれやれ、また買収されてしまったな」
手を振り終えた中年貴族は冴えぬ顔に苦笑いを浮かべ、上着のポケットへ賄賂をしまい込むのであった。
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