201:後方連絡線

201:後方連絡線


 陽も落ち、ランプの灯された指揮所。椅子からずり落ちるような勢いで脱力したサーシャリアが、深く長い息を吐く。


「ウッソでしょ……何なのよアイツら」


 枯れ川の防御線は本来もっと遅滞戦闘に耐え得るはずで、水攻めもまだ温存の予定だったのだ。それらを台無しにしてしまうほど、あの荷車部隊の突撃は苛烈かつ無謀であった。


「死んでこい、って言うような運用じゃないの」


 それを易々下す者も、諾々と受ける者もそうはおるまい。貴族騎士を束ねる封建軍でそんなことをすれば、将兵のサボタージュは免れないだろう。主従の信頼関係にも亀裂が入る。

 割を食う配置というものは戦において避けられぬ存在だが、あれはそんな次元の話ではない。


「ノースプレインの貴族や騎士が、こんなやり方で多重防壁を破ってくるだなんて」


 自分が都度構築した防衛機構に対し、敵は必ず研究し対策を講じてくるのだ……という現実は、華奢な彼女の背中へ冷たいものを這わせていた。


「明日は枯れ川の守りを厚くするべきかしら。でもそうすると他の戦線に不安が……」


 しかしやがて、落ち着いた各隊より寄せられる各種報告を整理し終え……金林檎の紋章旗というごく小さな情報から、アップルトンの存在を把握するサーシャリア。

 アップルトン家はノースプレイン地方においてそれなりの家柄である。彼女はイグリス国内の主立つ貴族家紋をほとんど記憶しており、さらにドゥーガルド派にいた貴族の情報もこの一年間でルース商会やランサーから入手していた。それが、死兵集団の背景を洞察するに至らせたのだ。

 霊話で前線のガイウスへ相談した結果、その推測は確信に変わる。


「取りあえず、あんな無茶をできる敵はもうほとんどいないわ……いても少しよ。それが分かっただけでも、幸いね」

『しかし将軍、今日使われた車輌の有効性を、敵は認識してしまいました。今度は、一般の部隊も用いてくるのでしょうか』


 胸を撫で下ろした赤毛の将軍へ問うのは、副官のホッピンラビット。


「どうかしらね。あるいはもっと被害を抑えつつ使ってくるかも……ただ、あれはもういいのよ。分かってしまえば、私たちには対抗手段があるから」


 続けられたサーシャリアの説明を聞き、コボルド娘が耳を後ろに倒し頷く。


『じゃあ他の守りを削って枯れ川に貼り付けなくとも済みそうですね』

「ええ……対『面攻撃』想定案で対応していくわ」


 実はギャルヴィン老の目論見の中に、緒戦の猛進でコボルド側の動揺を誘い、翌日枯れ川へ防衛戦力を過剰に引きつけるという意図もあったのだが……結果的にサーシャリアの記憶力と過去に積み重ねた努力が、その企みを挫くこととなった。


「それよりも、やっぱり不安なのはあの男の存在よ」

『トムキャット……ですか』


 副官の頭を撫でる掌をサーシャリアが上下させ、自身が頷く代わりとする。


「いつ現れるか分からないって、不気味だわ。何を企んでいるのかしら」


 あの呪塊は、たった一人で防衛線を崩壊させかねない。

 金髪猫の現状など知る由も無いコボルド側としては、ノースプレイン軍自体だけでなく彼の存在にも細心の注意を払い、神経を磨り減らさねばならなかった。


『まったく、来るなら約束くらい入れて欲しいですよね! きっと女の子から嫌われる質ですよ、その人』


 尻尾を立て、文句をこぼすホッピンラビット。


「本当ね。でも予め忠告しておけば、彼のことだから本当に予告状とか送ってきそうだわ。そうすればこっちも、予定が立てやすくなったりしてね」

『なるほど! では今夜の内に、敵陣へ手紙でも投げ込んでおきましょうか?』

「そうねえ」


 自分の下唇を親指で弾きながら、サーシャリアは少し考え込んでいたが。


「……止めときましょ!」

『ですかね!』


 流石に冗談も過ぎると彼女らは考えたようだ。しかしあるいはここでガイウスに相談していたなら、この策は検討の上で実行に移されたやもしれぬ。


『ふふふ、楽しそうね。さあさ、サーシャリアちゃん。夕食にしなさいな』


 談笑する将軍らに語りかけたのは、エプロン姿の主婦連合だ。

 戦時で忙しいため、村は合同炊事なのである。今頃は前線でも、中継拠点から温かい食事が届けられていることだろう。

 食の質は兵の士気に直結する。補給線の短さは、防御側の有利材料であった。


『今夜はもう、戦闘は無いんだろう?』

「ええ、敵はもう夜明けまで動けないでしょうし、こちらとしても夜襲をかける段階でもありませんから」

『そうかい。じゃあ沢山食べて、今日はもうお休みにしなさいな』

『と言ってもコボ汁だけどね!』


 今更説明するまでもない、コボルド族伝来のごった煮だ。

 肉や野菜を発酵調味料で煮込んだ、素朴な郷土料理である。


「ありがとうございます奥様方。私、コボ汁好きですよ? 各御家庭で個性があって楽しいですし」

『あら嬉しいねえ』

『将軍。私が見ておきますので、食べたらそのままお休み下さい。何かあったら、すぐ起こしますよ』

「じゃあ、そうさせてもらうわね」

『そうよぉ、戦いはまだまだこれからなんだから』

『『『そうよそうよぉ』』』


 主婦連合のエスコートを受け、指揮所を後にする将軍。奥様方の言う通り、戦いはまだまだ始まったばかりなのだ。


『『『あ、しょーぐんだー!』』』

『『『しょーぐーん! いっしょにたべよー!』』』


 星空食堂となった広場では、毛玉の大群が尻ごと尾を振り振り彼女を迎えていた。



 一方ノースプレイン陣営では、懸命の夜間作業が続けられていた。

 森の中深くへ入った部隊は、そのままでは補給も補充も連絡も十分に受けられなくなる。そのため後方連絡線の構築は急務であり、松明を煌々と灯してまで強行されたのであった。


 連絡線と聞けば大層な響きだが、今回のこれは罠を除去し安全を確保した経路に立つ木々へ、黄色の塗料を次々ぐるり塗りつけていくもので……原始的かつ、単純極まりない手法であった。だがこれによりヒューマンらはコボルドが罠の海へ仕立てたこの森中でも、迷うことない安全な往来を可能にする。

 罠除去中の被害や魔獣遭遇などで三十名程度の死傷者を出しつつも、ノースプレイン軍は翌朝までに前線と後方の間に連絡線を確実に構築していく。中継拠点の建設は明日以降へ持ち越しとされたが、彼らはとりあえず自軍領域と呼べるものを確保するに至った。

 そう。ノースプレイン軍は目標までの三分の一に及ぶ距離をただ「進んだ」だけではなく、「奪って」いたのだ。


 こうして森の戦いは、二日目の朝を迎えることとなる。

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