70:霊話

70:霊話


「レイングラスさんが言ったように、霊話はそのままではせいぜい雑音程度にしかなりません。ですがおそらくは、かつては会話すら出来たというご先祖の名残でしょう。意識すれば、音を伸ばしたり、出すタイミングを調節出来るそうです」

『皆はあまりやらんから分からんじゃろうが、シャーマンは精霊魔法の一環でそういうのもやるのじゃよ。歌う前の発声練習みたいなもんで、外には飛ばさんがな。やってみれば分かるが、これは精霊に呼びかけるより遥かに簡単じゃから、素質さえあれば、すぐにでも出来る』


 サーシャリアの説明に、長老が補足を加える。


『昨日の昼すぎに霊話がツーツー鳴ってたとか周りの奴が話してたけど、アレ、ガキどもの悪戯じゃなかったのか』


 レイングラスが問うと、サーシャリアが頷いた。


「はい。私が長老やラビ、後は奥様方と若い人でシャーマンの素養がある方に協力していただいて、実験をしていたんです。届く距離や使い勝手を確認しておきたくて」

『そういや、あれって距離があると聞こえなくなるらしいって、昔誰かが言っていたなー』


 ただの騒音、迷惑という厄介物認識であったため、その辺りに関して本気の検証など行われてこなかったのだろう。

 誰も、路傍のゴミに興味は払わぬものだ。


「無制限に届くのかと思っていたのですが……ぎりぎり森の外縁、枯れ川の入り口あたりまで有効範囲、という程度でしたね。それ以上は音が弱くて聞き取れなかったそうです」


 そうなのか、と男衆が相槌を打つ。

 しかしまだ、役に立たない雑学を得た程度の感触だ。


『……ひょっとして、合図に使うのかい? 敵を見つけたら鳴らす、といった具合に』


 ずっと腕を組んで話を聞いていたレッドアイが、気がついたように尋ねた。

 他のコボルド達も、『なるほど、決めておけばそれくらいには使えるか』などと気づいた様子だ。

 外部の視点からすれば気付いて当然と思しきことでも、当人達からは想像もつかないという場合は、実際多々ある。

 慣習、伝統による思い込みと視野の狭窄とは、外野が考える以上に深刻なものなのだ。


「ええ、私も当初は、そう思っていました。警報代わりに使えば良いんじゃないかと。ただ、この能力はもっと応用が効くんです」


 レッドアイ達が、首を傾げる。


「音の長短や回数を組み合わせることによって符号が作れます。例えばですが、短長長長で【1】とかですね。何でしたら、場所や行動に対応した符号にしても良いでしょう。まあ、それに関しては数パターン考えておきましたので、皆さんに合わせて決めようと思います。これを組み込めば、予め決めておいた単一の警報だけではなく、より高度な情報を含んだ内容を送ることが出来るんです。しかも、瞬時に!  狩りで、離れた仲間との連携がすぐにとれると考えてもらえれば、その程をご理解いただけるかと」


 一同から、感嘆の声が上がった。


『でもサーシャリアちゃん。戦いながらこれを送ったり聞いたりするのは手間だぞ』

「そうですね。ですから、これを引き受ける人は、戦闘行為はせず霊話に専念させるべきでしょう」

『色んな連中から言われた沢山のことを整理しなけりゃいけないし、すごく大変そうだな』

「それについても、案があります。こちらをご覧になって下さい」


 サーシャリアは、皆の視線を眼前に広げられた獣皮紙へと集めさせる。


「そのために、情報はここに集めるんです」

『この地図に?』


 はい、と答えたサーシャリアが、地図の上に置かれた石を指差す。


「白い石、一つ一つが味方だとしましょう。一方で黒い石も、それぞれが敵集団としておきます。人数によって大きさを変えると、さらに分かりやすくなりますね。青い石は予め木の上や草むらに潜ませておいた、霊話の使える偵察役です」


 レッドアイに倣って、他のコボルド達もそれらを注視する。


「偵察役から、敵が動いたと報告がありました。これを霊話で受けた地図回りの奥様方が」


 傍らに立っていた主婦の一人が、先端が小さくT字型になった木の棒で、石を押す。

 押された石は地図上で、すすす、と動いた。


「黒い石を動かしました。そして今度は逆に、こちらから味方の隊へ指示を出しますと」


 すると別の主婦が、やはり同様の木の棒で白い石を突付く。


「これを同時に、幾つもの箇所、何人かで行いましょう」


 婦人達が一斉に、棒で白や黒の石を動かす。

 地図上はさながら、小さな生き物が行き交う箱庭の様相を呈していた。


「これにより、地図上では戦場と同時進行で敵味方の戦力配置が反映出来るのです」


 コボルドに限らず。ヒューマンの戦場でも、知覚できるのは視認範囲と音が聞こえる距離内だけだ。

 指示を飛ばせるのも、声が届く場所まで。それ以上は伝令を走らせたり、狼煙や角笛、太鼓などによる合図がせいぜいなのだから。

 だが、この機構を用いればその点において圧倒的に優位に立てる。

 そしてさらに、指揮する者は敵味方の位置関係と戦況を視覚的に理解出来るのだ。


 ……軍議の場では地図を用いて戦術を立てるのが、どこの軍でも一般的であろう。

 だが、現場と時を同じくして盤面を変化させる仕組みなど。大陸中、どこの国でも実用化などされてはいない。願望、幻想の類であった。


 男衆は息を呑んだ。

 森の中に在り、およそ戦争とは無縁であったコボルド達ですら。この仕組みがいかに有用であるかを瞬時に理解したのである。


「情報をこの……そうですね、戦闘指揮所とでも呼びましょうか……に集約することにより、個々の隊が全ての霊話を解読する必要も排除出来ました。霊話使いは、指揮所への報告と自身へ向けられた指示符号の変換だけで済むのです。指揮所に寄せられる膨大な霊話については、主婦連合の皆さんが人数で処理します」


 最大派閥の猛者達が、一斉に力こぶを作って『にやり』と笑った。

 その息子や旦那達は迫力に押されて、縮こまる。


「【大森林】で生まれ育った皆さんには実感がないでしょうが、森の中というのは、ヒューマン達にとっては目隠しをされているようなものなのです。油断すれば帰る方向さえ見失うような、ね。一方で皆さんは匂いや音に敏感だし、方向感覚も備えている。木々による遮蔽など、ないも同然でしょう。前回は冒険者を引きずり回すだけでしたが……今回、この機構を用いれば、分断し、足止めし、遊兵を作らせ。そして、各個に撃破出来るはずです」


 サーシャリアはそこまで言って、一瞬躊躇った後。


「撃破出来ます」


 と。凛とした表情で言い直すのであった。

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