101:ブラッディクロウ
101:ブラッディクロウ
『ママー、おんぶー!』
母親に甘える、無邪気な子供の声。
微笑ましいものだ、と思いつつサーシャリアがその方へ顔を向ける。
そこには、手を引く母親と、既に母親よりも大きくなった子供の姿があった。
長老やレイングラス達、以前からのコボルドが第一世代とするなら。
栄養事情が改善され、建国で種族の力が上がった状態で成長期を過ごしたフラッフやブルーゲイルは准第二世代。
そして建国後に産まれたのが、言わば第二世代コボルドである。
准第二や第二世代は成長著しいため、個人差によっては、幼い内に親よりも大きくなってしまうことが多々ある。あの親子は、まさにその例と言えるだろう。
(フフフ、大きくなっても子供は子供ね)
微笑ましさに目を細めて、立ち去ろうとするが。
『もー、しょうがないわねえ』
という母コボルドの言葉にぎょっとして、慌てて振り返る。
「ちょ、無理しちゃ駄目ですよ!?」
目を剥いて身体を捻った赤毛の将軍が見たのは。
……きゃっきゃっと嬌声を上げながら母親を背負う、子供コボルドの姿であった。
「そっち!?」
苦笑いしたサーシャリアはずり落ちた眼鏡を掛け直すと、村外れへ向けて、再び足を進め始める。
◆
「お。来たでありますな、サリー」
「お待たせ、ダーク」
二人が待ち合わせたのは、住居群から離れた場所に建てられた鶏舎。
王を含めた国民が未だ竪穴式住居に住んでいる中では珍しく、指揮所や学校と同じ地上建築物だ。
何本もの太い柱を贅沢に用い強度を確保しているのは、降雪を見越したもので。地上に建てたのは清掃や乾燥を考慮してのことであった。
こっこっこっこっこ。
周辺には、放し飼いにされた鶏達。
それぞれが土を突いて虫をほじり出したり、用意された砂場で砂浴びしたり、思い思いに活動している様子。
以前ライボローで購入した鶏達もいるが、ゴルドチェスター辺境伯領の農村からも買い出しの度に買い付けているため、その数はかなりのものになっていた。まだ卵を産めないものの、王国で生まれ育った若鶏も増え続けている。
王国畜産部は現在、とにかく産ませよ増やせよの繁殖大支援中であり。サーシャリア達はその状況を視察に訪れたのだ。
本当はガイウスも参加を希望していたのだが、「鶏が怯えるから来るな! であります」とダークから却下されていた。おそらく今頃、肩を落としながら樵仕事をしていることだろう。
『ねえピアー。早く終わらせて二人だけで毛繕いしようよ。こう、情熱的に』
『寝言は寝てから言いなさい、リトル。あと、お尻に触らないで』
『当番なんだから、ちゃんと働けよ』
『鶏はその辺の虫や雑草食べるから別に平気でしょ』
『ちゃんと餌に気をつけないと、卵の殻がぶよぶよになっちゃうの! それからお尻を揉まないで』
『手を動かせってば』
『そこら辺に放り投げておけば、勝手につつくってばぁ~ん』
『鶏が自分から欲しがる前に栄養を摂らせなきゃ駄目なの。だからお尻に指の腹を這わせないで』
『おい、いい加減にしろよリトル』
『なぁにアプリコ? 妬いてるの?』
『な!? ま、真面目にやらずに後でブロッサムお姉様に怒られても僕は知らないからな!』
『おおお姉様に言うのは反則じゃない!? ぶっ殺されちゃうじゃない?』
『仕事してよ二人共』
鶏舎の反対側から聞こえた声を追うと。そこではフラッフと同年代の少女らが、飼料に混ぜ込む貝殻や獣骨を小槌で細かく砕く作業を行っていた。
鶏の世話は村の中でも安全に従事出来る仕事なので、子供達も交代で手伝っているのだ。どうやら今日の当番はこの三人娘のようである。
「頑張っているわね」
そしていつも通りの調子らしい。
『『サーシャリア先生、こんにちは』』
「ブラッディクロウは、いるかしら?」
『そっちにいますよ』
三人娘の中で唯一落ち着いた雰囲気のピアーフレグランスが指した方をサーシャリアが見ると。
件の人物は、肥料に回すための鶏糞を集めているところであった。
「お疲れ様、ブラッディクロウ」
『あ、いらっしゃいませ、将軍!』
ブラッディクロウは鶏舎運営の責任者を買って出た、成人したばかりの若者だ。
物騒な名前だが。本当は幼い頃、痒い尻を掻き過ぎた話が由来である。
『お迎えもせずに、申し訳ない』
差し出された手を握り返しながらサーシャリアは
「ううん、お仕事の方が最優先だから」
と微笑む。
『ありがとう皆。今日はもうお終いでいいよ』
『はい、分かりました』
『やったわ! ねえピアー、早速あそこの茂みで毛繕ゲファ』
手刀を叩き込まれてぐったりしたリトルが、他の二人に引きずられていく。
サーシャリアは唖然としてそれを見送っていたが、じきに気を取り直すと、軽く咳払いをして向き直った。
「じゃ、じゃあ鶏舎の案内をしてもらえるかしら」
『ええ! こちらへどうぞ! どうぞどうぞ』
ブラッディクロウが尻尾を振りながら、サーシャリアとダークを建屋の方へと誘導する。
◆
ブラッディクロウの取り組みは、極めて真摯で熱心なものであった。
鶏舎は常に清潔と乾燥が保たれていて、餌や水の衛生状態にも細心の注意が払われている。
建屋の改善も続けられており。蛇などの害獣対策に隙間を塞いだ跡や、地下からの侵入を防ぐ改造が見られただけでなく、冷風対策に雨戸も増設されていた。加えて鶏が落ち着くための止まり木や、産卵用の巣箱も設置済み。寒さに弱いヒヨコ向けの区画もある。雄鶏同士の喧嘩を防ぐための交代隔離部屋までもが、いつの間にか作られているではないか。
さらに驚くべきなのは。これらの工夫を外部から仕入れたのではなく、ブラッディクロウが昼夜問わず鶏達に密着研究して得たということであった。
コボルド族にとって初の養鶏でありながら短期間にここまでの体制を作り上げた彼の情熱は、まさに並々ならぬものと言えるだろう。
「いやはや、これは大したものでありますな」
資材の配分要求や宿直所の増設についてブラッディクロウがサーシャリアと談判している脇で。ダークは率直に感嘆の吐息を漏らした。
「環境が良いから、鶏達もすくすく成長しているわね」
「これなら、【お腐れ祭り】で使うお供えにも申し分ないでありましょう」
『……お腐れ祭り?』
その言葉を聞いたブラッディクロウが、硬直したように動きを止める。
「ええ。ほら、腐れの精霊には最近お世話になりっぱなしだから、長老が『気合の入ったお供えを用意するのじゃ』ってね?」
「ケケケ。自分、腕によりをかけてご馳走を作るでありますよ。いやー、何作ろうかなっと」
基本的に精霊というものは、崇められたり祀られたりするのを好む。当然、祭りや儀式も大好きな存在だ。
そのためコボルド族は、事ある毎に祭りを催して精霊へ感謝の意を示し。精霊もまたコボルド達に親身にしてきた、という歴史的経緯がある。
特に腐れの精には衛生環境の関係で自重して貰いながら、栽培や発酵といった方面では都合よく力を借りているため。
王国防衛戦を乗り越え平穏を取り戻したコボルド達は、まず一番にその恩に報いる必要があったのだ。
つまり【お腐れ祭り】とは。生活に最も密着した精霊との関係を維持する、大事な接待なのである。
『……ご馳走?』
「ええ。鶏はコボルド王国の今後を担う家畜でありますし? 精霊へのお礼としてもぴったりかと」
『この子達を料理するの?』
「そうですなー。若鶏なんか、肉が柔らかいから良さそうかナー。お、この子なんか美味しそうであります!」
若い一羽を抱えあげようと、ダークが屈み込んだ瞬間。
ブラッディクロウは転がり込むようにして彼女の指先から雌鶏を奪いとると、猛烈な速さで鶏舎の隅に後ずさりし。
『ヤーーー!』
と。幼児のような悲鳴を上げた。
『ルイーダ、パトリシア、ローラ、ビアンカ、フローラ、デボラ、アリーナ、アン、ボニー、ジャンヌ、アル、メディア、ライラ、ミラ、ライラック、ルシール、バーバラ、レイラ、リネット、アイリーン、シャーリーン、アニー、ホリィ、アナベラ、タバサ! 皆を食べちゃヤダーーッ!』
「ちょ、ちょっと! 駄目よ! 名前なんか付けたら、食べられなくなるに決まってるでしょ!?」
『ヤーーダーー!』
首をブンブンと振りながら、駄々っ子のように叫び続けるブラッディクロウ。
抱きかかえられた雌鶏は、きょとんとした様子で緊張感のない鳴き声を上げている。
「で、でもほら。こないだ死んだ雌鶏を普通に食用に回していたではありませぬか?」
流石にいつもの調子を保てないダークが、狼狽えながら問う。
先日ガイウスとエモンが買い出しで仕入れてきた雌鶏の中に、かなり老いた個体が混ぜ込まれていたのだ。
鶏の見分けなど付かないだろうと足元を見た農家の仕業であり。老鶏は王国に来て間もなく死んでしまった。
病気ではないと精霊による確認も出来たので、その雌鶏は国民達の気遣いでガイウス宅の食卓に上がったのだが。
『……あれはまぁ……死んじゃったから……グス』
「あぁ、そういう基準でありますか」
『グスン……ジェニファーはおいしかった?』
「おい止めるであります」
苦虫を噛み潰したような顔のダーク。
「わ、分かったわブラッディクロウ。鶏達は殺さないから。落ち着いて、落ち着いて」
『……ホント?』
「え、ええ」
懸命に笑顔を作って、サーシャリアがブラッディクロウを落ち着かせる。
「じゃあ、今まで通り卵だけ配給に回すから……ね? そ、それなら大丈夫よね?」
『うん、それなら……ズズズ』
鼻水を啜りながら、鶏舎の主はゆっくりと頷く。
「宜しいンで? サリー」
「しょうがないわよ……後で調整方法を考えるわ」
顔を寄せてひそひそと打ち合わせる二人。
実際、ブラッディクロウ以上の適任者はいないのである。現状で彼の意欲を削ぐことは得策とは言えないだろう。
そうこうしている間に。一匹の雄鶏が「コケーコッッコッココケー」と大きな鳴き声を上げながら、鶏舎の中に帰って来た。
「お、おや、立派な雄鶏ですな」
「そ、そうね大きなトサカね。ねえブラッディクロウ、この子は何ていう名前なの?」
とりあえず間を持たせるためだけに、サーシャリアが質問を投げると。
『はっはっは、やだなあ将軍。雄鶏に名前なんか付ける訳ないじゃないですかー。雄鶏ごときに。あ、それもうシメて肉にしましょうか?』
「色々大丈夫でありますか、お前」
様々な個性が育っているのは、歓迎すべきことなのだろうか。
サーシャリアは小さく頭を振りながら、苦悩の吐息を漏らすのであった。
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