102:伯爵令嬢来たる
102:伯爵令嬢来たる
《発:枯れ川警戒班1 宛:指揮所……侵入者 発見 追跡 開始》
不意に指揮所へと入ったこの一報は、王国民の心胆を寒からしめた。二ヶ月続いた平穏の反動は、やはり大きかったのだろう。
だがすぐに、馬車一台とヒューマン二名という情報が追加で報告され。武力侵攻ではないという事実に、一同は胸を撫で下ろすのであった。
そして、枯れ川を遡上する侵入者に接触を図ったレイングラスの先遣隊から続報がもたらされた時には、呼称は【侵入者】から【来訪者】へと変更されており。
客がライボローの鍛冶親方であることが判明したところで、警戒態勢は速やかに解かれることとなった。
レイングラスは以前、ガイウスの買い出しに犬のふりをして同行し、親方の鍛冶場へ訪れた経験があるため顔も匂いも把握している。本人確認にも問題はない。
「鍛冶職人として売り込みに来た」という親方の申し出に対して首脳陣は当初困惑していたものの。
何であれ人界からの友好的な接触を拒むのは王国の基本方針に沿わないため。指揮所でのごく短い会議の後に、面会受け入れの決断が下された。
念のため武装一隊を率いたダークが、護衛を兼ねて馬車に合流し。
枯れ川の途中で夜明かしをした翌朝、親方達は王国のある草地への辿り着いたのである。
◆
コボルド王への謁見は、ごく簡潔なものに終わった。
ガイウスは親方の話を聞いて目を合わせた後。
「家族は大丈夫なのか?」
「娘夫婦が鍛冶場を継いだ。ライボローから出なきゃ、ジガン家のお家騒動だって安全さ。カミさんはずっと前に亡くしたよ」
「そうか」
短いやりとりだけを済ませると、二人は「フフン」と小さく笑い。がしりと音が鳴るような固い握手を交わして会話を終わらせた。
それで親方の移住審査は完了である。
発言内容や様子から間者かどうかを探ろうとしていたサーシャリアは、その即断にいささか狼狽えたものの。
傍らに控えたホッピンラビットによる『嘘の匂いはしません』という言葉もあり、口を挟むのは控えることにした。
王国の政を預かる身として正直な話、鍛冶技術は喉から手が出るほど導入したかったのもある。
「ま、心配せずとも大丈夫でありますよ」
そんな彼女の内心を察したのだろう。
ダークは頭をゆらゆらと左右に振りながらサーシャリアへ歩み寄り、腰をかがめると。
「……不穏の気配がありましたら、自分が斬っておきますゆえ」
いつもの笑みを浮かべつつ、半分に切り取られた耳元で囁く。
ついでに耳裏に息を吹き付けてきたので、サーシャリアはダークの脇腹に肘鉄を入れてやり返した。
じゃれ合いと言うよりは、僚友の狂気から目を逸らすための行動だ。
「それよりも問題は、あの子の方よ。と言うか、接触した時にどうして霊話で報告しなかったの!?」
「いやー、驚かせようと思いまして? ケケケ」
「驚いたわよ! 馬鹿!」
脇腹を擦るダークに追加の制裁を加えた後、サーシャリアは件の彼女へ顔を向ける。
少女は黒い魔術印が幾つも刻まれた褐色の手を滑らかに動かすと、旅装ズボンの上に巻いた長いスカートの裾を摘んで軽く持ち上げ。腰と膝を曲げて頭を垂れる淑女辞儀(カーテシー)を行っていた。
緩やかに波をうつ長い茶色の髪が、それに合わせてふわりと上下する。
「ご無沙汰しております、団長!」
「久しぶりだね、ナスタナーラ君。お父君は御息災かな」
挨拶に対し礼で応えると、ガイウスは優しげに尋ねた。
「はい、変わらずですわ!」
「それは何より。カローン様が元気なら、私も嬉しいよ」
ぐわりと頬を歪める、あくまで本人基準の笑顔だ。
だが猛獣に牙を剥かれても、ナスタナーラは全く動じることがない。
ナスタナーラ=ラフシア。
ミッドランドの西ルーカツヒル領を治める辺境伯、カローン=ラフシアの三女。
幼少期より魔術の天才との呼び声高く。鳴り物入りで魔法学校に飛び入学した後、魔術のみならず魔法、呪術でも優秀な成績を修め、さら飛び級まで重ねた才媛だ。
【イグリスの黒薔薇】の戦友であるカローンの口利きで鉄鎖騎士団(チェインメイルズ)へ半年近く研修に来ていたことがあるため、ガイウスの人柄はよく知っていて怖じることもない。
自然、サーシャリアらとも交流が有り。ダークに呪印解呪の教授をしたのはナスタナーラであった。
「しかしまた、どうしてこんなところへ」
「はい! 学校を卒業してルーカツヒルに戻りましたところ、団長からお父様へのお便りを拝見しまして!」
「ああ、王都を離れる時にしたためたものかな」
「ええ! 宰相派が検閲の上没収していたものを、うちの情報部がこっそり取り戻しましたの!」
それは、宰相や現王がガイウスだけでなくルーカツヒル辺境伯に対しても好意的ではない証左であった。対応した伯も同様だろう。
ガイウスはその辺りの不穏な背景を、「カローン様らしい」と敢えて笑って流す。
「団長もご存知のように。隣国との国境沿いを預かる我がラフシア家は、優秀な才能を取り入れ続けることで一族の力を高めて参りました」
「うん、カローン様からもお話を聞いたことがあるね」
ラフシア家が代々治めるルーカツヒルは、【見張り台の丘】(ルックアウトヒル)から名付いた土地である。由来の通り、そこはイグリス王国の西で隣国を牽制する要衝だ。
ゴルドチェスター同様そこに封じられた貴族家には、隣国に対峙するために通常の伯爵位より権限が強く、さらに軍事色の濃い【辺境伯】の位が与えられていた。
そのためラフシア家は普通の地方領主よりも武断的性格が強く。武術や魔法、体躯のみならず学問、政治などに優れた人物を一族に取り入れることに貪欲であった。
「身分や出自などどうでも良い。一族の力を高め続けるのが貴族務めである」と歴代の辺境伯は王都の貴族達に言って憚らなかったため。
自然、家柄を過剰に重視する典型的貴族階級からの受けはすこぶる悪いが。ラフシア家は常にその責務と戦功によって、彼等に向けられる非難を退け続けていた。
少女は、そんな家の生まれである。
「だが、それがどうしたんだい」
「はい! お父様が手紙を読んだ時に「ガイウスが中央から出たのなら、もう王家に遠慮も要らんだろう。この機会に家に迎え入れてみるか」と話しておりましたので」
「……うん?」
「まだ結婚していない下のお姉様か、ワタクシのお婿様としてラフシア一門に加わっていただこうかと!」
「……んん?」
「魔術の天才たる母の血を継いだワタクシ達と、武勇に秀でた団長の間に子が生まれましたならば。優れた武人になること、疑いありませんわ!」
「はっはっは。お聞きになりましたか、長老。近頃の若い子の冗談は過激ですなぁ」
『知らんわい』
身振り手振りを交えて熱弁するナスタナーラに対し、ガイウスが笑いながら傍らの長老に語りかけている。
サーシャリアとアンバーブロッサムは顔を引き攣らせたまま固まっており、ダークは「ラフシアなら格も家柄も……」と真剣な顔で一人呟く。コボルド達は困惑の表情を浮かべ互いに顔を見合せていた。
そんな中、エモンだけが。
「また馬鹿が増えたのかよ……」
と。頭を左右に振りながら、深く溜息をつくのであった。
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