90:局面

90:局面


 更なる木食い蜥蜴との遭遇や、罠との格闘、コボルドからの妨害を経て。

 やっとアシュクロフト及び20名程の戦力との合流を果たしたワイアットの元に、一人の冒険者が辿り着いていた。

 後衛として残しておいたヒートリーから派遣された伝令である。

 汗だくで駆けてきたその冒険者は、ヒートリー隊が知りうる情報を、息を切らせつつワイアットへと報告したのだ。


 即ち、本隊が濁流で対岸に分断されたこと。

 馬車で運んでいた物資が流されたこと。

 負傷者と医療班を川岸に避難させたこと。

 本隊の代わりに村を攻撃するため、ヒートリーが急遽20名を率いて川沿いを遡上していることである。


 アシュクロフトや周囲の冒険者達は、驚愕をもってそれを聞いていたが。

 ワイアットの受けた衝撃は、より深刻なものであった。


 本隊がいつ動けるようになるかは、分からない。

 川に注がれる水量を推し量れない以上、下手をすれば、夜まで渡河が出来ないかもしれぬ。見知らぬ土地、しかも【大森林】で夜間行軍、夜戦など不可能だ。

 そうすれば、野営をして明日再攻撃を行うよう作戦を立て直さなければならない。ならないが、それに必要な物資は既に流されてしまっている。

 勿論人間、一晩程度飲まず食わずに過ごすことは可能であるが……消耗しきった兵で満足に戦える保証は何処にもない。こうなってしまえば翌日決着がつくとも限らないのだ。

 森の外に設営した野営地に戻れば物資は補充出来るが、一度そこまで撤退してしまえば、再侵攻は困難だろう。とてもではないが、傷つき疲労した冒険者達の士気を維持出来ない。


(今となっては森に誘い込まれた戦力は見殺しにして枯れ川を進むべきだったのか)


 だがどのみち冒険者ギルド長という彼の立場上。あの時点でその手段は採りようもなかっただろう。

 そんなことをすれば、冒険者兵は今後誰も彼に従わなくなる。それは、主君が多大な資金と職権を彼に任せた役目を自ら放棄するに等しい選択だ。


(いっそライボローまで撤退し、日を改め戦力と戦術を整えてから再討伐に出るべきか?)


 いや、それも出来ない。

 その間に【イグリスの黒薔薇】がワイアットの主たるケイリー=ジガンの陰謀を諸侯に告発すれば、一巻の終わりである。

 大体、それまでにケイリー派とドゥーガルド派との戦端が開かれてしまうに違いない。

 そうなればワイアットの権限で討伐隊を派遣することなど、不可能だ。


(何のために無理をして【大森林】まで兵を率いてきたというのか。何とか間に合わせたというのに)


 額を指で押さえながら首を振る。

 そして同時に、ワイアットは自身が今まで以上に破滅の淵へと追い詰められていることを、自覚せざるを得なかったのだ。

 そう。彼はどうしても今日の日没までに決着をつけねばならないのである。


「ヒートリーは川沿いに草原へ向かう、という話だったな」


 ギルド長の言葉に、伝令役は声なく頷いた。

 ヒートリーの行動は明らかな独断だが、二手に分かれて村を突く、というワイアットが示した作戦目的を遂げるためには必要な対応とも言える。

 そういった時のための中級指揮官でもあるのだ。


「アシュクロフト。お前はここの戦力を率いて再度森から村を目指せ」

「ま、まだ戦闘を続行されるのですか!?」


 政治、戦術、人心掌握の感覚に欠けた部下の不用意な発言に対し、ワイアットは拳で返答する。


「も、申し訳ありません」

「私はクインシーとマーゴットを連れ、大きく迂回して村を襲撃する」


 その言葉に、軽装剣士二名が頷く。荒事より探索、捜索仕事に従事することが多い冒険者だが、どちらも山育ちで、その健脚には定評があった。

 ワイアットは続いてシリルの方へ振り向き、歩み寄ると。


「シリル。お前のことだ。回り込んでいけるような経路も、セロン達の時に調べてあるのだろう?」


 魔剣【ソードイーター】を鞘から静かに抜き、剣をシリルの頬へと当てた。


「ひっ! み、道ってもんじゃないです! 幾つかの目印経由で辿り着ける程度の遠回りなら、分かります」

「ほう、珍しく正直に答えたな? 偉いぞ」


 ライボロー冒険者ギルド長は微笑むと、シリルの右頬に刃を滑らせて赤い線を作る。

 幼児のような悲鳴を上げて、元狩人は座り込んだ。


「今更連絡をとることは出来ない。ヒートリーとこれ以上の連携は望めん。だから彼の動きを最大限に活用する」


 部下達へと向き直るワイアット。


「この人数なら、もう掻き乱されることもあるまい。これを言うのは何度目かも分からんが、お前達は罠を回避しつつ、慎重に、確実に、真っ直ぐ村を目指せ」

「は、はい」

「お前達とヒートリーの隊は、言わば陽動であり主力だ。犬共の目と戦力を引きつけつつ、圧力をかけて進め。敵はお前達を、絶対に放置出来ない」


 若騎士と冒険者達が、示し合わせたかのように頷いた。


「そして私の班が村に火をかけ、煙が上ったところで一気に攻勢を強めろ。相手はその時点で総崩れになっている。後は誘き出した犬とベルダラスを、開けた場所にて全力で叩くだけだ」

「了解です」

「分かりました」

「はい」

「いいですぜ」


 口々に同意の声を上げる一同を、暗い炎を秘めた瞳で見回すワイアット。


「ではすぐに出発する。日が落ちる前に、必ず終わらせるぞ。人数が減った分、得られる報酬は期待しておくといい」

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