89:疲労

89:疲労


『攻撃隊、敵ギルド長に敗北、敗走中! ダーク隊長意識不明とのことです!』


 攻撃隊からの霊話を受けたコボルド女性からの報告で、指揮所には一気に緊張が走った。


「もう少し退がれば未作動の落とし穴区域があるわ! そこまで撤退させて! 敵の追撃は?」

『……追撃無し! 現在隊長を蘇生中!』


 しばらくの間をおいて、女コボルドが状況をさらに告げる。

 恐らくは気絶したダークに対し、呼気吹き込みや胸部按摩などで対応しているのだろう。

 狩りで命を落とすことが日常であったコボルド達にとっては古くから馴染みのある蘇生術だ、とレイングラスからサーシャリアは教えられたことがあった。


「ダーク……」


 僚友の心配をしながらも指揮を怠ることはなく。そのまま張り詰めた時間が経過した後。


『……ダーク隊長、意識が戻ったって!』


 今度は目を輝かせたコボルド主婦からの報告で、場に安堵の溜息が満ちた。


「負傷は?」

『本人は平気だと言い張ってるらしいけど、霊話兵の報告では右腕をかなり痛めているみたい。あと、レイングラスが』

「レイングラスさんが?」

『【舌を入れられた】と、モジモジしてるって』

『『『『『うわぁ』』』』』


 一斉に苦い顔をするコボルド女性陣。どうもフォグの幼馴染は、ご婦人方から人気が無いらしい。

 だがとりあえず。報告から察するに、心肺蘇生をするまでもなく一時的な失神からの回復であったようだ。


「……酷だけど、ダークを前線から下げる訳にはいかないわ。直接戦闘は避けて指揮を続けさせて。近くの第5班を合流させて打撃力を維持させます」

『『了解、連絡します』』

「レッドアイさんの第1班はそのまま最終防衛線の維持、第2班は魔杖を持ったまま各個撃破の任へ移行。第5班の穴を埋めるわ。川で敵の主力を分断している間にこっちの残り50名、削るわよ」

『はいっ!』


 当初攻撃隊に誘導された冒険者90名とその支援に入った30名は、合わせて55名程度まで人数を大きく減らしていた。しかも、残った者も四方に散ったままだ。

 罠や魔獣誘導、または各個撃破で戦死した者も多いが、それ以上に分断され指揮範囲から外れたことによる混乱、熱意の低下がサボタージュや逃亡を助長したのである。

 ワイアットが緊急時の収拾を期待して編成した【パーティー】制すら、この場合では全体より各集団の保身を優先判断するという裏目に出てしまっていた。


 本来、将の目が届く範囲に兵を集めておく……いや、集めておかざるを得ないのは、そういった集団士気の維持のためであり。だから戦場というものは、それに適する開けた地形が好まれる。

 コボルド側が森の中でこれだけ分散しても秩序だって行動出来るのは、霊話戦術で指揮が維持されているからなのだ。

 だから指揮所が健在である限り、戦力比を大幅に縮めたこの戦況ではコボルド側の優位は揺るがないだろう。


 どうやらうまくいきそうだ、とサーシャリアが胸を撫で下ろす。


『攻撃隊より連絡。隊長からの言伝とのこと』

「ん?」



《発:攻撃隊 宛:指揮所……我 胴ヲ 強打サレルモ 豊カナル 胸肉ニテ 一命ヲ 取リ留リトメタリ》

《発:指揮所 宛:攻撃隊……報告ハ 正確ニ スベシ。 其ハ 汝ノ 腹肉ナリヤ?》


『……何やっとんじゃあいつらは』

「如何しました」


 長老に問うたのは、木の根本に腰を下ろし呼吸を整えているガイウスだ。流石に消耗と疲労の色が、濃い。

 無理もない。連戦に次ぐ連戦の上、手練を五人も斬り伏せている。メリンダから受けた攻撃や、大小その他の負傷も響いているはずだ。


『顔色の悪いのが敵の首魁と斬り結んで負けたらしい』


 ガイウスは表情を動かさず、黙って聞いている。


『ただ怪我はしたが大事はないし、逃げ延びたようじゃな。安心せい』

「……あの、馬鹿め」


 内心を察しはしたが。長老はそれ以上、触れはしなかった。

 その後、指揮所から連絡を受けたのだろう。内容を確認して舌打ちすると。


『後方に控えていた無傷の敵、約20人が、途中で10人程拾って濁流沿いを遡っておるそうじゃ』

「30人ですか」


 川沿いから村へと至る森、つまりガイウスの後衛となるコボルド兵は3つの班、合計9名しか配置されていなかった。

 本来であれば攻撃隊の加勢に回したい虎の子の戦力だが。ガイウスが討ち漏らし、はぐれた敵を迎撃する網の役を完全に削減する訳にはいかない。

 勿論森の中に罠は仕掛けてあるが、濁流沿いに歩かれればその効果は著しく低下する。森を抜けられれば、もう村への歩を阻むものは何もないのだ。


『嬢ちゃんから、こちらの状況を聞かれておる。下がって立て直すか、このまま仕掛けるか判断するのじゃろう』

「……勿論、やりますとも……その分戦力を森中へ回せば……損害も少なくなる」


 疲れを隠せぬ声で、ガイウスが言う。

 長老は少しの間黙り、考え込むと。


『のう、【五十人斬り】よ』

「……それは尾鰭の付いた昔話です」

『実際にはその時、何人斬ったんじゃ?』

「ですから……」

『まーいいじゃろー? 教えてくれても』

「……後で数えた骸は、40体でした。ただ、一度に斬り結んだ訳ではなく」


 ガイウスの言葉を遮るように、老人は口を開く。


『今日は何人位倒したかのう?』

「さあ……34、5人でしょうか。数えてはおりませぬが」

『ふむ。そうすると、これからの30と足せば65か』

「はぁ。そうなるのでしょうか」


 老コボルドの言うところを飲み込めず、ガイウスが首を傾げる。


『お前さんが40人力。ま、ワシは初陣じゃしー? 控えめにその半分と見積もって、20人力といったところじゃろ。足すと?』

「……60人力?」

『その通り。なーんじゃ、65まで普段よりちょびーっと頑張るだけではないか!』


 理屈も道理も根拠もない。連続性も論法も欠けた戯言だ。

 ガイウスは長老の話に一瞬きょとんとした顔を見せたが。すぐに意図を汲み取ると。


「ははは! 違いありません! いやぁ、御老人の仰ることはやはり、説得力がありますなぁ!」


 愉快そうに膝を打つ。


『じゃろじゃろ? ま、お前の方が三倍近く歳食っとるがな! ガハハ!』

「なんのなんの! 人生は密度ですので! はっはっは!」


 二人はひとしきり笑うと。

 敵を迎え撃つため、気力の蘇った顔をして立ち上がるのであった。

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