88:ギルド長と黒衣の剣士

88:ギルド長と黒衣の剣士


 顔をやや下へ向け、帽子の鍔を左手でずらしたダークを見て。ワイアットは軽く舌打ちした。


(あの帽子と姿勢は、対峙した相手に視線を読まれ辛くするためのものか)


 恐らくは、真っ当な剣術よりも変則的な戦い方……邪道を好む相手に違いない。

 それに加え。先日の戦い、そして先の枯れ川急襲でドーソンを仕留めた腕からいっても、彼女が高い技量を有していることは疑いようもなかった。


(だが)


 距離を詰めるワイアット。

 対しダークが左上段から斬りつける。ワイアットは剣を上げてそれを受け止める仕草を見せた。

 すると。黒衣の剣士は斬撃を叩き込まずに剣を空振り……いや、回転させ、運動力を殺さぬままにワイアットの防御の反対側から刃を滑り込ませたのだ。所謂、【騙し斬り】の一種である。

 しかし予見していたワイアットはこの軌道を躱すと、むしろ防御の刃を逆袈裟斬りの攻撃へと変化させたのだ。


「おわっ」


 という叫びと共に、ダークは転ぶように剣を回避する。帽子が落ちなかったのは、何かで留めているからか。

 そこから素早く体勢を立て直した彼女は、ワイアットの攻撃を二度受け止めると。後退して更に距離を稼いだ。

 得られた感触が、ワイアットの予測を確信へと変化させる。

 やはりガイウス=ベルダラスに比べれば、数段落ちる相手だ、と。


『大丈夫かダーク!』

「来てはいかんですよ、レイングラス、皆も。この男の相手は自分しか務まりませぬゆえ」


 気遣う声を上げた赤胡麻のコボルドに対し、剣士は掌でそれを制した。

 彼女も先の打ち合いで力量差は理解しているのだろう。


「殊勝な心掛けだな。それに免じて、泣いて許しを請うなら命は助けてやってもよいが」

「んー? あー、それダメですなー。無理無理」

「何故だ?」

「さてさて。どうしてでしょうね? ホワイ=アット殿」


 ケケケ、と蛙の鳴き声じみた笑い。


「……ワイアットだ。野蛮なコボルド共に、そこまで肩入れする理由があるのか? それともベルダラスへの義理がそんなに大きいのか」

「いえね。実は自分、物心ついてから泣いた記憶がありませんので。泣いて許してもらうってやり方、分からないでありますよ。あ、そうだ! 良ければ、手本を見せていただけますかねぇ? だったら出来るかも」

「道化め」


 そう苦々しげに吐き捨てると、今度はワイアットの方から仕掛ける。


 振り下ろした魔剣【ソードイーター】を、ダークが片刃剣ハンガーで受け止める。女とは思えぬ腕力に、ワイアットは感心を覚えた。

 肉付きのよいその身体は、脂肪だけではなく筋肉によるものも大きいのだろう。そして何より、力の加え方が上手いのである。

 天性のものか、努力の結果かは知る由もない。だが、幽鬼のような顔姿から非力と錯覚して、尋常の戦士であればそれだけで一手遅れを取るはずだ。


(大したものだが)


 二つの刃がバインドした点を軸にするようにして、ワイアットは柄を持ち上げてダークの剣を横へとずらした。

 これにより彼は相手の防御を外すだけに留まらず、次の攻撃への予備動作としたのだ。


(これなら【鎧】は使わずに済みそうだな)


 ダークは急ぎバインドを解くと、先程と同様に後ろへ飛び退く。

 ワイアットは再び距離を詰め、横に薙ぐ。ダークが縦で受け、流す。一合。

 喉を狙った反撃の突きを、剣を巻き上げることでワイアットが防ぐ。二合。

 バインドを離そうとするダークに【憤激】で追撃。彼女は辛うじて刃を逸らす。三合。

 そのまま四、五、六……と重ね続け、ついには二十合あまりもの衝突を繰り返した。


 戯れた訳ではない。

 ダークの全力の抵抗と、身体に負担の大き過ぎる【鎧】の力を使うことに躊躇したワイアットの判断がここまで剣戟を長引かせたのである。

 だがそれにも、終わりが訪れようとしていた。


 押しに押され、後退に次ぐ後退を強いられたダークは息を切らし、追い詰められつつあった。

 しかし更なる一撃をワイアットが加えようとした時。彼女は四つん這いで伏せるような姿勢を急に取ったのである。

 無防備極まりない、その体勢にワイアットは瞬刻戸惑ったが。ダークの瞳の方向を読み取った彼の直感が、直ぐ様彼女の【罠】へ対応することを可能にした。


 ぶうん


 と音を錯覚させながらワイアットの左方から迫りくるのは、縄で吊るされた太い丸太の腹であった。

 振り子運動で加速しながら迫るそれは、成人男性の上半身を打撃する高さに調整されている。その速度と質量は、人体に致命傷を与えるだろう。

 瞬間ワイアットは、剣で遅れを取るダークがそれでも打ち合い続けてきた理由を理解したのだ。


(避けられん)


 加速した意識の中で同時に感じられる、黒衣の剣士が攻撃に転ずる気配。

「無様に死ね」という彼女の内心すら聞こえるようであった。

 仮に丸太から屈めたとしても、その隙を逃すことはないだろう。

 ……ならば。


 がしん!


 衝突音と共に質量を受け止めたのは、鎧の紋様を赤く輝かせたワイアットの左腕である。

 赤い装甲の内部で骨と肉が軋み、歪み。装着者に激痛をもたらす。

 既に左手で刺突体勢に入っていたダークはその光景に目を見開いたが。次に直面した事態は、彼女の心身を硬直させるに十分であった。


 ワイアットが残る右手でダークのハンガーを弾く。それは分かる。この姿勢からだ、当然の防御だろう。

 しかし、打たれた彼女の剣が砕けたことに関しては、ダークは全く想像もしていなかったのである。

 そう。折れたのでも断ち切られたのでもなく、砕けたのだ。


 その一瞬の隙を見逃すワイアットでは無かった。

 振り切った剣を戻すより早く。

 彼は赤い鎧の輝きと共に、猛烈な勢いで左足を蹴り上げたのだ。


 ぼきり


 その衝撃を受けたダークの身体は折れ曲がり。

 六間(約10メートル)もの距離を、放物線を描いて吹っ飛ばされた後に。落ち葉の上をごろごろと転がると木の幹に衝突して動かなくなってしまった。

 ほぼ時を同じくして。肉体に反動を受けたワイアットが苦悶で呻き、尻餅をつく。


『ダーク!』

『隊長ッ!』


 レイングラスや攻撃隊の面々が慌ててダークへ駆け寄る中。


『ぶううるああああ!』


 涎を撒き散らしながら奇声を上げてワイアットへ斬り掛かったのは、青い毛皮の若いコボルドであった。


『であ! であ! であ! ほぅ! ほぅ! ほぅ!』


 型も理もない、滅多切り、滅多突きである。無理な体勢からの連撃は軽く、浅い。

 なれど。苦痛で体勢を大きく崩したワイアットにとっては、最悪の時に割り込まれた形となっていた。

 彼は剣を構えて防ぐことも出来ず、ガントレットの甲で直接刃を跳ね除けねばならなかったのだ。

 そしてその隙に。


『力入れろー! 重いぞ!』

『ぐおおお、おもてえ』

『おーもーいー!』

『重すぎだろ!』


 他のコボルド達は協力してダークを担ぎ上げ、逃げ出してしまったのである。

 時間稼ぎを仕掛けてきた青毛のコボルドも、役割を果たし終えたところで躊躇なく遁走。

 赤い鎧の騎士が立ち上がった時には、そのどちらもがかなりの距離を稼いでしまっていたのだ。


「胸骨か肋を砕いたかと思ったが」


 彼の視線の先には、鞘に入ったまま折れた短剣が落ちていた。恐らくあの女剣士がマントの下に何本も吊るしていた内の一本だろう。

 彼女は咄嗟に飛び退きつつ、蹴撃の威力を外套下でこの小さな鋼鉄と右腕に分担させていたのだ。

 だが、それでも無傷では済むまい。


「器用な道化め」


 ワイアットは一時逡巡したものの、結局は追撃を諦めるに至った。

 再び罠へと誘導される危険性が高かったし、状況を立て直すためにも、アシュクロフトらとの合流を優先したためである。

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