91:迂回

91:迂回


『はぐれた冒険者2名を戦闘不能に追い込みましたが、負傷者が出ました。3班はもう、一人だけです』

「……負傷者の後送後、4班に合流させて。3班の穴は、移動させた枯れ川2班で埋めるわ」

『敵集団、変わらず北上中』

「直接はまだ仕掛けないで。射線が通れば1班と2班の魔杖で牽制させて」

『相手の動きが変わりましたね。揺さぶりや誘いにも乗ってきません』

「人数がここまで減ったことで、逆に指揮はしっかりと届くようになったのよ。でも正直、普通の神経ならとっくに撤退していていいのだけど。執念としか思えないわ」


 地図上の石から視線を動かさぬまま、サーシャリアはホッピンラビットと言葉を交わした。

 この長老の孫娘が言うように。森の中で再編成を果たした一隊は数名を戦場から離脱させた後、実に堅実に前進を続けている。

 これだけのヒューマンがまとまっていれば、コボルド兵では近接攻撃を仕掛けるのは難しい。ダークが負傷した今となっては、尚更だ。

 川沿いの敵にはガイウスが襲撃をかけているが、この集団はコボルド達だけで倒さねばならない。どちらも撃ち漏らすことは出来ないのである。


 冒険者ギルドの戦闘人員約320名は交戦や罠、分断、逃亡といった理由で、もう80名程度しか戦場に残っていない。

 だが当初46名いたコボルド戦士も戦死や負傷で30名にまでその数を減らしており。むしろここからが正念場と言えた。


「大丈夫、まだ進行経路上の罠と地形を利用すれば、十分やれる……」


 腕を組み直したサーシャリアの汗を、ホッピンラビットが拭った時。

 一人の主婦が血相を変えて立ち上がり、報告したのである。


『ブラウンタートルから報告! 草原の西側の森でヒューマンを発見!』

「何ですって!?」


 前回、村に襲撃を受けた反省から延長されていた偵察網による反応であった。

 敵味方が目まぐるしく動く前線と違い、負担が少ないため出来るだけ年若いコボルドが担当するよう編成していたのだが。

 保険的に置いたその偵察点からの緊急報告は、サーシャリア達を少なからず驚かせたのだ。


『数は4、位置出します!』


 少数の敵を示す小石が、大地図上に置かれる。それは、彼等が戦場を大きく迂回して進んでいることを示していた。

 そして同時に、相手の意図を正確にサーシャリアに教えたのである。

 敵は、コボルド側の両手を塞いだ上で頭を叩くつもりなのだ。


「あそこから離脱した数名は、負傷者の後送ではなく、回り込んでここを直撃するための別働隊だったんだわ……まさか【大森林】の真っ只中を、こんなに大回りで来るなんて」


 心得のない者が進めば、そのまま迷いかねないのが【大森林】の中である。

 すぐにサーシャリアの脳裏に、狩人風の小柄な冒険者の姿が思い出された。記憶が、彼女の欠けた耳に痛みを蘇らせる。


「あいつか……」


 人差し指の関節を唇で噛みながらも、思考を切り替えるサーシャリア。

 今必要なのは、究明ではなく対策なのだ。


「森の中で敵の隊と戦ってる戦力を呼び戻す……でも、これ以上減らしたら食い止められない……そうしたら数十人が草原へ雪崩込んでくる……でも減らすしか……ガイウス様と枯れ川隊は川沿いで交戦中……時間が……」

『サ、サーシャリアさん、どうしましょう!?』


 血の気の引いた顔で、ホッピンラビットがサーシャリアに問う。

 動転しているのは、他の婦人達も同じであった。


「待って、待ってね。考えるわ。考えるから」


 吹き出す冷や汗もそのままに。小柄な半エルフは口を手で覆いながら思考力を最大稼働させる。


 脳内を整理するために、ぶつぶつと呟き続け。その姿は、女コボルド達の更なる動揺を誘った。

 務めとして平静を装いきれるほど、サーシャリアはまだ指揮官経験を積んでいない。


 ……だが、そこには意気軒昂な者が一人だけ居た。

 彼の言葉で、辛うじて場は混乱に陥るのを免れたのである。


「バーーカ! 何のためにこの俺がいると思ってるんだよ!」



 尻込みするシリルを剣で脅しつつ、ギルド長たる騎士ワイアット、冒険者クインシー、マーゴットは足早に草原を横断。村外れへと辿り着いた。

 焦げ杭の乱立する区域の傍らに建つ物置小屋へクインシーが火を放ったのを皮切りに、彼等は竪穴式住居へ次々と燃える松明を放り込んでいく。

 やがて火は中の骨組みや屋根の下地として編まれた枝、樹皮などの可燃物に燃え広がり。厚い雲のせいで既に薄暗くなりつつある中に、幾つもの赤い光源を作り上げていった。


「住民がいませんね」


 新たに放火を終えたマーゴットが、次の松明に火を移しながらワイアットに言う。


「何処かに隠れているのか、逃げているのか。まあ、それならそれで構わん。連中の巣も、備蓄も全て焼き払ってやれ。メス犬、子犬の始末は、後でもいい」

「はい」

「何よりまず、森の中で抵抗を続ける犬共を浮足立たせることが最優先だ」


 ワイアット自身も松明を持ち、原始的な家屋へ火を付けていく。


「五年戦争の時、砦の炊事場で火事が起きたのを陥落と勘違いした増援部隊が勝手に撤退し、本当に砦が落ちた例があった。同じとは言わんが、平静でいられるはずもない」


 なるほど、と相槌を打ちながらマーゴットは火の付きが悪い家に追加の松明を投入する。

 そうやって順番に放火しつつ進んだ彼等は、村の中央近くにて、初めて住民を目撃したのだ。


 広場に設営されている粗末な指揮所。

 そこに群がるコボルド女達と。それを従えるように座した、赤毛の少女である。


 広げられた獣皮紙の地図、その上に置かれた数々の石。

 ワイアットは瞬時に理解した。この小柄な欠け耳のエルフこそが、ここまで彼を追い詰めた指揮者に他ならないのだと。


「招待した覚えはないわ」


 先に口を開いたのは、赤毛のエルフであった。


「何者だ小娘。貴様か。貴様が妖しげな術で我が軍を陥れたのか」

「私はサーシャリア=デナン。コボルド王国の将軍よ」

「……デナンだと? 童がデナン家を騙るか」


 ワイアットも剣で立身を望む男である。武門の名家たるデナン家の名は、知るところであった。


「別に好きであの一族に生まれた訳じゃないし。それに私、23歳だから。子供じゃないから」

「ほう? ならば、斬り捨てるのに酌量は無用だな」


 そう言いつつ彼は、クインシーとマーゴットに、傍らの家を燃やすよう目配せで命じている。

 すぐ二人は指示に従い、注意深く火を放ち、内部構造物が燃えやすいよう松明もそれぞれ数本投げ込んだ。

 その様子を見てサーシャリアが一瞬眉を顰めたのを、ワイアットは見逃していない。


「私はジガン家次期当主ケイリーの騎士、ワイアットだ。ライボロー冒険者ギルドを管理監督する役目も仰せつかっている。この度はノースプレイン侯に仇なす野良犬共の駆除に赴いた。跪いて縛に付け」

「無礼者! ここはコボルド王の都、その居城。膝をつくのは貴方の方よ、ワイアット」

『『『そうよそうよー! ばーか、ばーか!』』』

「……黒衣の道化といい、ここには巫山戯た連中しかおらんようだな」


 ワイアット達は慎重に周囲を警戒しつつ、すぐには仕掛けない。

 その間にクインシー達が放火した家は一気に燃え上がり。その中からは火と煙に巻かれたコボルド兵が二名、悲鳴を上げながら転げ出たのだ。

 身体に付いた火を転がって消した一人はそのまま気を失い、走り去ろうとしたもう一人はマーゴットの剣で即座に斬り殺されてしまう。


「やはり兵を伏せていたか」


 何も出てこなかった住居も既に炎上しており、これが最後の守りであったことをワイアットは確信した。

 彼は、唇を噛みしめるサーシャリアを鼻で笑うと。手下達の前へ歩を進め、刃を指揮所へと向ける。


「だがそれも終わりだ。貴様の首をもって、ベルダラスの処刑宣告状としてや……」


 赤鎧の騎士の言を遮るように、炎に満ちた家屋から人影が飛び出した。

 完全に虚を突いたその人物は。マーゴットを先程まで自らが潜んでいた家へ引き込むと。


「ぅおるぁああ!!」


 強烈な体当たりで、クインシーを押し倒したのである。

 驚愕の表情を浮かべる冒険者の喉に剣が突き立てられるのと。炎に巻かれたマーゴットの悲鳴が上がったのはほぼ同時であった。


 振り返ったワイアットの視界の中で立ち上がるのは、重装甲に身を包んだ小柄な男だ。恐らくは前回戦死した冒険者から剥ぎ取ったものだろう。

 彼は剣を構え、間合いを取りつつ。指揮所とワイアットの間に割り込むよう移動した。

 その全身には焼けた跡と匂いが各部に纏わり付いており、未だ燻っている箇所すらある。


「貴様……あの火の中に潜んでいたのか……!?」

「おうよ! ドワーフ舐めんな、この腐れボケが! ぺっ! ぺっ!」


 悪態をつきながら唾を吐く。

 だが兜の面頬に遮られて、内部に汚液を撒き散らす結果に終わってしまったらしい。


「ドワーフ……!? そうか、あの時ベルダラスと一緒に居た小僧が……貴様、ドワーフの餓鬼だったのか!」

「おうともさ! 世界の守護者、女神の下僕、愛の戦士、勇猛果敢なドワーフ様! ガイウス=ベルダラスの一番弟子、ドワエモンたぁ俺のことよ! 覚えておけ! いい歳こいて真っ赤な鎧のクソオヤジ!」


 ワイアットの瞳に暗い炎が滾る。

 だがそれは挑発の結果ではないことを、エモンは知らない。


「エモン!」

「おう!」


 ワイアットと対峙しながら、エモンは背後からの声に応じた。


「死んでも食い止めなさい!」

「分かってるよ、ンなこたぁ! お前には指一本触れさせねえから、安心しな!」


 少年は剣を握り直すと、力強く言い放つ。


「だからそこで大人しく、鼻くそでもほじってろ!」

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