92:エモンの戦い

92:エモンの戦い


「ほじらないわよ、馬鹿!」


 というサーシャリアの怒声を背に受けつつ、エモンは剣を持ち上げ、顔の前で立てた。ロング・ソード剣術における【冠の構え】である。

その名の通り、頭部を重点的に守る構えだ。だが背の低い彼と向き合う相手にとっては、全身へ対応するものに等しかった。


散々悪態をついておきながら防御に徹した構えを取るとは。

ワイアットはその姿勢を見て、小さく舌打ちし。そして同時に、エモンの装甲にも視線を這わせていく。


 一般的な甲冑姿からは程遠い、歪な鎧姿だ。


「その胸当ては見覚えがある」


 短躯だが肩幅のある身体に、大柄な人物が付けていた厚い胸甲をすっぽりと被り。短く出した足以外を防護していた。

 そこへ、彼の手の長さに合う肩当てや手甲を他の歩兵甲冑から移植して腕部を固めていて。御丁寧に、脇当まで付けているのだ。

下には身長に応じ調整した鎖帷子を着込んでいる様子で、装甲の継ぎ目が守られている。

 そこに、頸部までを覆う顎当がついたバシネット兜を装着しており。ヒューマンとは違う体付きも手伝って、まるで鎧に直接手足が生えたかのような不格好な姿となっていた。

頬当ての先端が伸びた兜の形状もある。二本足で立つ亀、と言い換えても良い。


 かなりの重量になるはずだが。重荷を感じさせない様子は、若年といえ、流石は頑健を誇るドワーフと言ったところか。

 引き換えに機動力は大幅に犠牲となっており。戦場に連れ出せば魔杖や攻撃魔術、クロスボウの良い餌食になると思われた。

だが、今この局面においてそれは問題ではない。


「ん? 名前は忘れたが、薄らでかい陵辱趣味の変態助平野郎の持ち物だったぜ」

「間違いない。ヒューバートだな」

「間違いないのかよ……」


 言葉を交わしつつも、ワイアットは観察を中断しなかった。

 相手の装甲は厚く背は低い。ここまで身長差があると隙間を抉るのは手間だろう。加えて未熟なれど剣を携えているのだ。放置は出来ない。

 だがそれでも、ワイアットは自分の【鎧】の力を使う気にはならなかった。この力とそれに耐える気力は、ベルダラスと対決する時に必要とされるのだから。


 キン!


 鎧の隙間を狙って突き出された【ソードイーター】の切っ先を、エモンが懸命に跳ね除ける。

 予想を大きく上回るその力に。ワイアットは感嘆の声を小さく上げた。

 並の剣士相手なら、この腕力だけでも十分に対応出来るはずだ。


「コンチクショー! ざけんなオラ! ぶっ殺すぞゴラァ!」


 刃がぶつかる音を何度も響かせつつ。すり抜けた攻撃は装甲で受け止め、ドワーフ少年は防戦を続ける。

 反応こそ悪くないが、動きには無駄が多く、剣の運びも拙い。何十年も刃を振るってきたこの騎士からすれば、文字通り児戯であった。

力量差が分からぬはずもなかろう。しかしそれを押してでも必死に食らいついてくる少年の姿に、ワイアットはささやかな称揚と、同時に不快感を覚えずにいられない。

 その理由を彼は分かっているが、分かっていること自体も厭わしいのだ。


「不愉快な小僧だ」

「こっちの方が遥かに不愉快じゃボケ! 帰れ!」


 金属音を立てながら、剣を押しのける。

 そこから反撃に転じた刃をワイアットは軽くいなすと。


「だがこのままだと貴様は死ぬぞ? こんな犬共と心中することもあるまい。ドワーフはただでさえ人口が少ないと……」

「アホかー! 俺を兄貴よばわりしてるガキが居るのに見捨てられる訳ねーだろタコ! 死ね! クソ漏らして死ね!」

「……あの本といい、本当に度し難い種族だよ、ドワーフというものは」


 そう口にしたワイアットが、緩やかに剣を振るう。

 今までと違い、速度も力も乗らぬ斬撃だ。それは、演舞の様でもあった。


 しかし、エモンがつられるようにその刃を払いのけた瞬間。


 バキン。


 という破砕音をたて、彼の剣……アネラスは根本から砕けたのだ。

 それまるで、古びた陶器が衝撃を受けたかのような脆さであった。

 驚くことに、刃だけでなく護拳までが割れている。


 素っ頓狂な声を上げて硬直した少年の兜を打ったのは、ワイアットの剣だ。

 金属板は刃の貫通を許さなかったが、受けた衝撃は鈍器を振るわれたに等しい。

 エモンは豚のような短い鳴き声を上げ、仰向けに地面へと倒れ込む。


「やれやれ、甲冑組手なぞ久しぶりだ」


 ワイアットは手慣れた所作で彼の身体を押さえつけると、その上に馬乗りになり。ベルトに結わえ付けた鞘から一本の短剣を抜いたのだ。

 それは所謂、キドニーと呼ばれる種のダガーであった。

 真っ直ぐ伸びた刀身は、装甲の隙間や継ぎ目から身体を穿ち、鎧を着た相手に止めを刺すためのもの。

「優しき短剣」の意味を持つ、致命の刃である。



「クソが! 離せ! どけよ! 俺に乗っていいのは色っぽいネーチャンだけぐああ!?」


 股下で暴れるエモンを巧みに押さえつけながら、ワイアットは少年の腕を突いた。内肘から露出した鎖帷子へ一撃を加えたのである。

 刺突に弱い鎖の装甲は、専門武器の攻撃を防ぎきれず、その内部へ刃を受け入れてしまう。


「いってええ!! ぶっ殺すぞテメエエ!」


 エモンは全力でワイアットを振り落とそうとするが、赤鎧の騎士は眉を軽く顰めただけ。抵抗する腕も動きも、脚と腰だけで全て封じ込めてしまった。


「当たり前だ。痛くしている」


 続いて左腕へも、一刺し。

 エモンの叫びと共に、コボルド女達からも悲鳴が上がる。


「お前のような、剣技も精神も未熟な者が」


 脇を抉り。


「分不相応に、このような場にしゃしゃり出てくるから」


 脚に突き立て。


「このような報いを受けるのだ」


 反対側の脚を刺す。都度上がる叫び。


「己の非力と無謀を噛み締めながら、そのまま寝ていろ」


反抗を制圧しながら、ワイアットはキドニー・ダガーを握り直し。勢い良く、エモンの脇から胸の内側へ向けて、貫いた。

 今度は苦痛を与えるためのものではなく、短剣に本来の役目を果たさせたのだ。


「……何がドワーフだ……小僧め……」


 ぴくぴくと痙攣する少年から身を離したワイアットは一人呟くと。短剣を鞘に戻し、脇に置いた【ソードイーター】を手に取りゆっくりと立ち上がる。

 そして指揮所に向かい直し。


「次はお前だ、小娘」


 こちらへ視線すらも投げないサーシャリアへそう言い放ち、歩き出す。

 ……歩き出すつもりであったのだ。


 その膝に手が回され、脚に腕が絡みつき、身体を重しにしがみ付かれさえ、しなければ。


「そんな……ことはなぁ……分かってんだよ」

「貴様……!」


 ワイアットは慌てて振りほどこうとするが、必死にしがみつく足枷を外せない。あまりに密着して組み付かれているせいで、剣も振るえぬ。

慌てて抜いたキドニー・ダガーを防具の隙間へ突き立てるが、それでも少年は腕を離さないのだ。


「でもなぁ……俺はオッサンに……任せろって言ったんだよ」

「小僧」


 短剣が振り下ろされる。


「アイツにもなぁ……指一本触れさせねえって……言っちまったんだよ」

「離せ」


 鋼が肉を裂く。


「……ドワーフはなぁ」

「離せ!」


 刃が内を抉る。


「……絶対になぁ」

「離せと言っている!」


 血が飛び散り。


「嘘はつかねぇんだよ!!」

「私の前でその言葉を口にするなぁぁッ!」


 激昂したワイアットはエモンの腕を滅多突きにするが、それでも拘束は外れない。外れないのだ。


「化物が! 化物め! いいだろう、いいだろう!」


 ワイアットはダガーを放り捨てると、エモンの面頬を開ける。

そしてそこに指をかけると、彼の被っていたバシネットを、引き剥がすようにして脱がせたのだ。

 乱暴に取り外された兜の下からは、血まみれのエモンの顔が露わになる。


「首をはねられてもまだそうしていられるかどうか、ドワーフの生命力を試してやろうではないか!」


 ぴたりと。

【ソードイーター】の刃がエモンの首筋に当てられ、赤い筋を作り出したその時。


「もういい! もういいわ、エモン!」


 そう叫んだのは、それまでこの死闘を見もせず声も出さず。ずっと地図とのにらみ合いを続けていた赤毛のエルフであった。

 少なからず驚いたワイアットと、虚ろになりつつあるエモンが同時に彼女の方へ顔を向ける。


「……貴方はよく頑張ったわ、エモン。だからもう、十分よ」


 静かに首を振りながら。サーシャリアは少年へ、そう優しく語りかけた。

 もう口を開く力も残っていないエモンは、無言のままそれを聞いている。

 一方で。足枷を受けたままのワイアットが、やっと事態を飲み込んだかのように笑い始めた。


「フ……フハハハハ! そうか! そうだな!」

「ええ。そうよ、エモン」

「この惨状を見て、ついに心折れたか小娘! 無理もなかろう!」

「貴方は務めを果たしたの、だからね、もういいの、もういいのよ。そう」

「ああ、小僧、貴様はよくやったとも! 味方の意志が挫けるまでな、フハハハハ!」


 勝ち誇る騎士を他所に。

 サーシャリアは深く息を吐きながら眼鏡を外し。

 額の汗を掌で拭いながら、ほつれた髪を掻き上げると。


 為すべきことを成し遂げた少年に対し、微笑みながら告げたのである。






「……私達の勝ちよ」






 彼女が言い終えるのと、炎上するその家が崩壊したのは、ほぼ同時であった。


 焼け崩れたのではない。猛然と駆け抜けてきたその何者かは、迂回する時間も惜しいとばかりに、建屋を粉砕し一直線にその場へと飛び込んできたのだ。

 獣の唸りと吐息を発し、血に塗れながら。全身に力を漲らせて。


 ああ、他の何者であろうか。

彼こそがコボルド王、ガイウス=ベルダラスである。


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