177:逃げ場は無い
177:逃げ場は無い
……誤差を考慮に入れて二千五百から三千五百程度。おそらくはこの範囲内で、コボルド族は人口限界を迎えるだろう。
緊急集会で語られたそれは、近日順風であったコボルド王国に冷や水を浴びせる一報であった。
「すいません。私がもっと早く気付いていれば」
「サーシャリア君で分からなかったのだ。王国の誰が気付けるものだろうか」
『『『そうだそうだ』』』
将軍の謝辞は、国王と国民に一瞬で流された。
そもそも王自身が、法則割り出しのグラフ説明について脂汗を流し聞く体たらくだったのだ。当然であろう。
そんな中でも、準第二世代コボルドの理解が早いのは嬉しい事実だが……煽りを受けてドワエモンは学力の低さが露呈し、「このまま放置しては親御さんに申し訳が立たない」と、後で鬼教師サーシャリアによる強制集中講義が確定している。
『でもよサーシャリアちゃん、三千人で一杯になるんだよな? 今の村は六百人程度しかいないけどよ、こないだだってヒューマンの軍隊を追い払えたじゃないか。その五倍近くもいれば、これからもそんなに心配するほどでもないんじゃあないのか?』
黒板を見ながら問うのはレイングラス。
「若い人が多いのは、今しばらくの間だけですから……」
『……ああそうか、そうだよな』
人口上限後も存続するほど年代の偏りは均されていく。戦士足りうる年代の割合が減れば、当然兵力も少なくなるのだ。原始社会故に国民皆兵たるコボルド王国といえど、今と同比率で将来戦力を期待することは叶わないだろう。
そもそも社会機構が充実するほどに維持要員は多くなり、動員比率が低下するのは世の常である。
「加えて人界は今後も発展し、人口も増え続けます。三千という数字は自治体としてそれなりのものですが、この先もそうであるとは言えません」
『今のところは勝ち続けているが……こうなるとやはり、戦いだけで国を守り続けるのは難しいな。ケイリー派との和平は、絶対に失敗できないってことか』
流石にレッドアイは、察しが良い。
『まあ基本方針は今までと同じだが、後が無いのはよく分かったよ、サーシャリアちゃん』
「ありがとうございます。ただ私は今回、その『後』を作ろうと思っているんです」
ほう? と首を傾げた農林大臣へ、華奢な将軍は言葉を続ける。
「人界との争いが避けられない場合を見据えた、ヒューマンの手が届かない【大森林】深部への調査及び移住計画です」
『ああ、そりゃ駄目だよ』
「ええ。最近の魔杖数増加による戦力の充実、調査距離の延長、ミスリル道具での【大森林】開拓効率の向上を鑑みてですね……え?」
レッドアイがあまりに平然と否定したため、サーシャリアは大分言葉を続けてからようやく気付いたのであった。
『厳しいな』
『同感』
『俺も俺も』
『無理じゃよ、お嬢ちゃん』
年輩の第一世代らが顔を見合わせて、口々に難色を示している。長老ですら珍しく、サーシャリアの案を一顧だにせず頭を振る有様だ。さらにドワエモンまでそれに加わっているではないか。
「ど、どうしてですか!?」
思わぬ反応にたじろぐ、赤毛のエルフ。
「それは確かに、奥は魔獣の数も多くなって危険も増すでしょう。でも霊話戦術と魔杖を組み合わせた今の私たちなら、十分に対応できるはずです。現に昨年秋は、蟲熊女王とその群れを駆除できたじゃありませんか」
『違うんだサーシャリアちゃん。違うんだよ。森の深くにいるのは、あんなもんじゃあないんだ』
腕を組んだレッドアイが、子供に教えるように語りかける。
年輩の男衆も合わせて、うんうんと頷いていた。
「え……?」
ぽかんと口を開け、首を傾げるサーシャリア。
そんな彼女へ歩み寄った長老が、優しく肩に手を載せる。
『そうじゃな、もう春も終わりじゃし……去年は見られなかったが、今年は現れるかもしれんのう。それを見て貰うのが一番じゃ。ま、あまり嬉しいものでもないが、な』
◆
予言じみた長老の言葉は、それから数日もせず現実のこととなる。
『おい! 見えたぞー!』
保育所増築の屋根普請をしていた壮年コボルドの叫びが、それを知らせる合図であった。
『ほらガイウス、サーシャリアちゃん、急げ急げ』
「ぎゃー! ガイウス様! 揺れ、揺れ、もっとゆっくりぃぃ!」
「かかか髪は掴まないでくれないかサーシャリア君!? 何か今、ブチブチって音と痛みが」
『そんなのどうでもいいだろ!』
良くはない。
が、レッドアイに急かされ、サーシャリアを担いだガイウスは階段を上がっていく。
それは各種祭祀用に確保された村外れの敷地。その中心に建つ櫓であった。
精霊の機嫌取りに祭りは必要不可欠のため、ここで笛太鼓を鳴らし、輪で囲み踊るのだ。
「えっほ、えっほ」
『ほれあっちだ、見ろ!』
櫓に上ったガイウスの尻を叩いて、レッドアイが方向を示す。
それに従い、王と将軍が視線を一方に向けると。
……ぽーん。
森の木々の向こうにて、まさにそのような感覚で青空へ真っ直ぐ浮かび上がり、そして落ちていく胡麻粒の如き点が目に入ったのだ。
「あれは何だろう」
「私も目は良くないので、あまり……」
素早く老眼鏡をかけたガイウスと、近視鏡を上げ直すサーシャリアが顔を見合わせる。
『あれは蟲熊だな』
「蟲熊が飛んでいるんですか!?」
裏返った声を上げる欠け耳エルフの視界内で、小さな点がもう一度上下した。
『飛んでる訳じゃない。そら、そろそろだぞ。よく見ておきな』
濃緑の海に沈んだ蟲熊が、再び勢いよく宙を舞う……その瞬間である。
十本足の何かが……ガイウスもサーシャリアも見覚えのある白い何かが……それを追うように飛び上がり。空中で逆さに身を翻した直後、「ぱくり」と蟲熊を飲み込んだのだ。
「「イーカーーー!?」」
そう、それは烏賊であった。いや蟲熊との体格差を考えれば「大きな烏賊」と言うべきか。それも帆船の如く巨大な。
ずしん……
器用に、体をまた回転させた烏賊が着地したのだろう。
ここからはかなりの距離があるはずだが、それでも地響きの音は小さく村まで届いていた。
『何だサーシャリアちゃん、イカを知ってるのか』
愕然とした表情でかの方向を見やるガイウスとサーシャリアに、レッドアイが声をかける。
「ななな何で烏賊が森にいるんですか!?」
『いやイカは森にいるもんだろ……』
「いいいませんよ普通! 水の外では生きられない、海の生物です!」
『え、そうなのか!?』
どうやら久しぶりに、種族間常識の違いを実感した様子だ。
烏賊という生き物自体は共通認識らしく、そのあたりの歴史的経緯に学術研究の余地はありそうだが……今、そこまで気にする余裕は彼女らにない。
『手玉イカじゃな』
そこへ現れたのは、這うように階段を上ってきた長老である。
『獲物をお手玉の如く弄んでから食らう習性があるんじゃ。ワシのじいさんは調子に乗って狩りで遠出した時、あれにやられた』
「おじいさんのおじいさんは、あの烏賊に食べられたんですか」
『いいや。イカがお手玉をしくじって、地面にドスン! よ。器用さに反して獲物を見つけること自体は苦手らしく、遺体を食われはせんかったそうじゃが……ま、同じことかの』
老コボルドは顎をさすった。
『【大森林】の奥に棲んどる大型の魔獣での。冬眠がやたら長くて秋頃から翌夏前まで土の中で寝ておるのよ』
「烏賊が冬眠?」
『人界のイカは冬眠せんのか?』
サーシャリアは「多分ですけど」と首を振る。
『ああいう魔獣は【大森林】の空気が濃くないと苦しいようで、外縁を嫌うんじゃが……飢えた時は、餌を求めてこんな近くまで来ることもあるのじゃよ』
あの巨大烏賊をもってしても森奥における生存競争は苛烈、ということなのだろうか。
『派手に獲物を空へ放り投げるから、木登りしておると目に入りもする。届く地響きはそうじゃな……外界風に言ってやれば、初夏の風物詩というところかの!』
ふぉー、ふぉ、ふぉと笑う老人。
「私は開拓村出身だが、あれほどの怪物を見聞きしたことがない」
「あんなの、魔杖が何本あったってどうしようもないわ……」
個人、小集団なら回避も対応のしようもあろう。
だがもし住み処がそこにあったならば、あの烏賊が通りすがっただけで村は全滅するのだ。
……森の外に、彼らの居場所はない。だが森の奥にて、彼らは生きられない。
改めてそのことを目の当たりにした王と将軍は、愕然とその方向を眺めていた。
やはりコボルド王国は、人界との和平を絶対に失敗できないのである。
◆
それから数日後のことだ。
ショーン=ランサーがケイリー派本拠……いや、名実ともにノースプレイン侯爵領の領都に復権したフォートスタンズへの招待状を携え、訪れたのは。
丁重にもケイリー=ジガンの直筆にて綴られたその書面には、招待客としてガイウス=ベルダラスと、サーシャリア=デナンの名が記されていたのであった。
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