176:思い込み
176:思い込み
保育所の前。
『あら将軍、こんにちは』
「え、ええ。こんにちは」
本を小脇に杖をつくサーシャリアへ、声をかけた若いコボルド婦人がいる。リーフテイルだ。ガイウスに撫でられた彼女へ嫉妬した亭主のビートルダンスが、「自分も王様に撫で回して欲しい」と涙ながらに直訴してきた記憶も新しい。
二人は準第二世代同士最初の夫婦だったが、現在の彼女は戦で夫を失った未亡人である。
ビートルダンスは第三次王国防衛戦で敵の魔杖射撃を頭部に受け、戦死したのだ。
「……頑張るわね」
大丈夫なの? と尋ねそうになるのを堪えて赤毛のエルフが言う。
『二人分、頑張らなくちゃいけませんからね』
力こぶを作って、それに応えるリーフテイル。その際ぱらぱらと落ちた土は、畑仕事のものだろう。
勿論コボルド王国も村も、戦争孤児や寡婦寡夫への支援体制には注力しているため……彼女の言葉は、そういう意味ではないが。
「これからお迎え?」
乗り越えはしたが、完全に飲み込むのはやはり人として難しい。
戦闘を指揮した当人としては安易に慰めの言葉を口にするのも憚られ、サーシャリアは当たり障りのない言葉を選ぶことしかできずにいた。
『はい!』
一方未亡人も将軍の心境を慮ったのだろう。もう一度力こぶを拵えると、フフフと小さく微笑んだ。
心身の疲れからか、リーフテイルの毛並みや毛艶は心なしか悪くなったように見える。 だがサーシャリアはそんな彼女をとても強く気高く、そして美しいものと感じていた。
『『『おかーさーん』』』
そこへ突如割り込む、小さな八体の毛玉軍団。ビートルダンスの遺児、リーフテイルの子供たちだ。
敷地の外へ走り出たこの腕白坊主たちを、慌てた保父コボルドが追いかけてきている。
『あ、将軍もどうも! いやぁすいません。お母さんの臭いがしたからと、この子たちが駆け出しちゃって』
『もう、駄目じゃない。先生の言うことちゃんと聞いて、大人しくしてなきゃ』
『『『ごめんなさーい』』』
謝りながらも尻尾を振り振り、母親を取り囲むモフモフの群れ。
『きょうはねー、もじのべんきょうしたんだよ』
『あ、ずるい! あたしがそれいうはずだったのに!』
『ぎびえー』
『こら! 首を絞めないの!』
『おかあさんうんこー』
『お母さんはうんこじゃありません』
『もれた』
『『は!!??』』
『あ、ずるい! あたしももらすフンヌゥゥ!』
『『は!!!!????』』
突如の大惨事だ。
サーシャリアは「さて、私も頑張らなくちゃ」と呟き……慌てる保父とリーフテイルを尻目に、杖とは思えぬ速度で逃げ去るのであった。
◆
コボルド王国における防衛設備の復旧及び拡張は、目下のところ好調である。
今回の鹵獲魔杖を鋳溶かし抽出したミスリルの全てに加え、既存の一部をも大胆に斧や木工農耕用具へ改鋳したことも幸いしただろう。やはり【大森林】の動植物には、良質のミスリル合金が特段の効果を発揮するのだ。
そして伐採・加工効率向上の恩恵は、農業も大きく被っている。
そもそも危険を冒してでも【大森林】周辺を拓く人界開拓民がいるのは、妖樹すら雑草の気分で生育する異様に肥沃な土壌を欲してのことなのだ。ミスリル農具を得たコボルド王国はそれをより深く濃い場所で行うのだから、一層の成果が期待できるだろう。
事実昨年拓いた耕地では既に、秋冬植えの豆類や葉野菜根菜が、早く、そしてとても豊かに収穫され始めていた。特にコボルド王国は【大森林】原産種も扱えるので、草地と森の開拓地で作物を使い分ける選択肢が、人界の開拓村よりも大幅に広いこともあるだろう。
農業計画を取り仕切る農林大臣レッドアイの手腕もさることながら、ゴブリンが持ち込んだ独自知識もこの方面に活かされていた。
国王も鞭で叩かれながら馬鋤を引いて、生産力の拡大に貢献中である。
「順調よね」
『順調ですね!』
指揮所で現状を確認しながら呟いたサーシャリアに、副官のホッピンラビットが尻尾を振りながら同意を示した。
『情勢が回復したから、ルース商会の出入りも再開できましたし』
板蔀の窓から覗く外では、荷の積み下ろしが着々と行われている。
食糧自給の目途は明るいものの、技術物資、教育用書物の輸入は非常に有り難い。
「ナスタナーラも、普段あんな調子なのに上手くやってくれているわ」
コボルドの習熟速度はやはり目を特筆すべきものがあり、既に魔法学校では教育を受け持てる人材まで育ってきていた。現在では魔法・魔術適性者の発掘教育のみならず、精霊魔法との技術収束や魔術刻印の研究にまで手を付け始めたほどだ。
「人口の方も……」
『あ、はい! 先月の出生数です。帳面につけておきました』
「ありがとう」
副官から受け取った冊子を開いて、数字を確認する。
「あら三十七人。先々月は三十五人だったし……多少のばらつきはあるけど、上り調子でしっかり増えているわね」
コボルド王国建国時より付け始めている人口統計だ。
食糧事情がガイウス参入で大幅に改善した時期に加え、半神種族故に集団の活力が種の強さに影響するという長老の説もある。集計するにしてもそのあたりからが本来のコボルド族だと見做すのが、妥当だろう。
そしてサーシャリアの言う通り、毎月生まれる子供の数は増加傾向にあった。
『人口限界が来るまで、この調子でいって欲しいものです』
「そうね、何時来るか分からないもの」
ドワエモンの曖昧な知識によれば……同じく分霊種族たるドワーフは、男子が五千人に達した時点でぱったりと女ドワーフこと【ドワーフの娘たち】しか生まれなくなるらしい。
ならばこれから初めて限界に挑むコボルド族は、その時が来るまで考えても仕方あるまい、というのが王国首脳陣全体の認識だ。
「まあ限界が分かれば、国政国防も方針が立てやすくなるんだけど……今の私たちは人口が増えるのを願って、それを支える食料生産力を維持拡張し続けるだけよ」
『エモンさんみたいに滅茶苦茶強いドワーフ族が五千人限界なんですから、私たちコボルド族なら何万人、いや何十万人までいくかもしれませんね!』
「外界との和平が難航しても、国防力を高く維持できればやりようも増えるわ。望ましいわねえ」
『「ねー!」』
耳をぺたりと後ろに寝かしながら、ホッピンラビットは楽しげに微笑む。
赤毛の将軍は、その頭を掌で優しく撫でていた。
「邪魔するよ」
「お、お邪魔すます~」
そこへにこやかにやってきたのは、ルース商会長ダギーと秘書のアンナである。
指揮所はガイウスでも不自由ないよう大きく作られているが、身の丈十尺(約三メートル)のオーガ族秘書は、腰を屈めてソロリソロリの入室だ。
「はい、サーシャリアさん。今回の伝票だよ」
「ありがとうございます、ルース商会長」
「なぁーに、こっちもいい取引させてもらってるからね。そういや黒板、良かっただろ?」
ダギーがサーシャリアの背後を指す。
そこには東方諸国群から商会が輸入した板書器具、黒板が置かれていた。
「ええ、これ欲しかったんですよ」
「他の地方では割と普及しているんだが……南方諸国は遅れているから輸入頼りだものな」
「ぼ、坊ちゃん! 失礼ですよ!」
アンナに肩を小突かれたダギーが、派手に転倒した。
「ごふう!? す、スマン、気を悪くしないでくれサーシャリアさん」
「い、いえ全然。事実ですし。これ……コボルド王国でも自作できないかしら」
『ゴブリンさんにも協力を仰いでみましょうか』
「おいおい。何でもかんでも自給されたら、こっちの商売あがったりだぜ?」
はははオホホと、声を合わせて笑う一同。
「お、サーシャリアさん。人口統計かいそりゃあ」
「し、失礼ですよ坊ちゃん!」
卓上に広げっぱなしの帳簿が、ダギーの視界に入ったらしい。商人故にやはり、数字の羅列に惹かれるものがあるのだろう。
サーシャリアは一瞬、しまったという表情を浮かべたが……外部との交流を続ければ、どのみち大まかに漏れる数字だ。人口限界さえ伏せれば問題は無いとして、彼女はその問いに頷き応じることにした。この際逆に考えれば、ルース商会が外界から物資調達する時の目安になる利点もある。
「ええ。毎月毎月どんどん生まれる数も増えているので、保育体制や学校教育の拡充で大騒ぎなんですよ。次の冬もまだまだ心配ですし……あ、そうだ。黒板また取り寄せて下さいね! 学校で使わせますので」
「そりゃ毎度あり……そうだなあ、これだけ子供が増え続けると大変だよな」
「あ、でもサーシャリアさん。しゅ、出生率はじわじわ下がってきてますので、その内に安定しますよ~」
「ん、確かにアンナの言う通りだな。下がってるわ」
「あ」
サーシャリアの笑顔が凍り付いた。
「じゃ、商会は今夜泊まらせてもらって、明朝出発するよ。また枯れ川の護衛を頼むぜ」
「し、失礼しますん~」
二人が立ち去るのをぎこちなく見送った後。
赤毛のエルフは狼狽えた様子で帳面を掴み立ち上がると、杖もつかずにぴょんぴょんと片足で黒板へ跳ね寄った。ホッピンラビットが慌てて、司令官の身体を支えに入る。
「縦が率で……横が総人口で……」
脇に用意されていた定規代わりの板を使い、黒板へ升目を引いていく。
「出生数を……総人口で割って……出生率がこの月は……こう……次の月は……こう」
続いて帳面を見ながら一つ一つ計算すると、点を次々に描き込み。
「……やっぱりそう。人口増加と出生率の低下に規則性が見られるわ……」
最後に各点の中間を目測で設定し、それを貫いて線を引いたのだ。
「ああもう私の馬鹿! どうしてコボルドも、ドワーフと同じ形で人口限界を迎えるなんて思い込んでいたのかしら! この可能性に目を向けていれば、もっと初期から予測を立てられたのに!」
髪を掻きむしりながら、黒板を睨みつける。
そこに描かれたのは、横たえた楔の一辺にも似る、右下へ続く斜めの線であった。
「そう……この線を辿っていけば……おおよその限界値が……」
サーシャリアは黒板と帳簿を何回も見直し、呟きながら幾度も計算した後……愕然とした表情で、副官がたぐり寄せていた椅子に尻をつく。
「嘘でしょ……三千人いくかどうかが限界なの……!?」
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