178:女侯爵の書斎
178:女侯爵の書斎
老騎士ローザ=ギャルヴィンに着席を促し、ノースプレイン侯爵ケイリー=ジガンは自らも椅子にかけた。
どっこいしょと大げさに声をあげて、ギャルヴィンがそのでっぷりとした臀部を下ろす。椅子は負荷で悲鳴を上げ、彩色豊かに過ぎる立襟ドレスも動きに合わせてぶわりと裾を翻した。
「ご苦労だったな。ギャルヴィン」
ここはケイリーの書斎。
ランサーの一件以降、この一室は彼女が目をかけた部下と語らう場に用いられており、書斎に招かれること自体が家臣内で一種の格付けと言える状態にもなっていた。
無論、それは今後の家中操作を考えた女侯爵の目論見である。そんな小細工を弄する余裕と余力が、すっかりとケイリーには蘇っていたのだ。
「フェフェ。大したことじゃない。まあ欲を言えば久しぶりにメイスで敵を殴りたかったんだがね。若い連中が前には出してくれなくてさ」
「あまり下の仕事を取ってやるな」
ギャルヴィンはそれに対しもう一度フェフェと笑うと、侍女が運んできたティーカップに口をつけた。
「……弟(ドゥーガルド)は自決、と報告にあったが」
「最中を誰かが見た訳じゃないよ。まあでも坊は部屋で首を括っていた。括らされたかどうかは別にして、それは確かさ。顔はお嬢だって検めただろう?」
「お嬢は止め……まあ、人前でなければいい」
言い方と態度にも遠慮が感じられぬが、ケイリーも強く咎めようとはしない。
倍以上の年齢に、先々代から仕えた老臣である。ギャルヴィンからすれば自分など孫みたいなものだというのを、分からぬ女主君ではなかった。
「しかし坊もここまで粘らずとも、適当に見切りを付けて何処か他の地方へでも落ち延びりゃ良かったのに」
「それでは妾が困る……が実際そうよの。その程度の目端も利かぬ男だったか」
「援軍でも待っていたのかねえ」
「馬鹿な」
何処の誰が助けるというのか。
「ギャルヴィン」
「ん」
「そなたは今でも、ジガン家は妾では無く兄が継げば良かった……と思うておるか」
「そら思ってるがね? 若ならなんの問題も無かった。あたしだって最初からガンガン推しただろうさ」
「……年寄りの癖に、正直な女よ」
苦笑するケイリー。
「病床の父が兄を呼び戻せなどと言わねば、ドゥーガルドが付け入る隙など与えずに済んだものを……いや、好都合だったのかもな」
ジガン家長男は身分低い妾腹の子だが、知勇均衡のとれた開明的な人物だった。本妻の子たるケイリーもそう評価するほどには。
だが彼は代官時代のショーン=ランサーが孤児院を建て先代侯爵より譴責を受けた際、率先してランサーを庇い父親の不興を買ってしまったのだ。
感情的な口論は物理的争いへ発展し、長男は父親の鼻骨を折ってノースプレインから消えた。追い出されたか出奔したのか、あるいはそのどちらもか。ようとして行方は知れぬ。
今回の内乱は、死の床に至っても父親が最後まで跡を明言しかったことが大きいだろう。あるいは元々、いつか長男を呼び戻すつもりでいたのかもしれない。
「何にせよ今、家長の椅子に座るのはこの身よ。兄でも弟でもなく、妾がこの手で掴んだのだ」
「フェフェ。お嬢もようやく、いっぱしの面になってきたねえ。そうさね、古来より権力闘争は王侯貴族のはしか、兄弟蹴落として一人前……みたいなところがあるからね。先代だって兄様を殺めてノースプレインを継いだんだからさ」
「初耳ぞ!?」
「そら暗殺だからね。第一ワザワザそんなこと娘にいう父親がいるもんかい。常識で考えな」
そう言い放しつつ、ボリボリと音を立てて茶菓子を貪る老婆。
ケイリーはしばし唖然としてその言葉を受け止めていたが、やがて背もたれに体重を預け深く息をついた。
「……兎に角これで、騒動も終わりだ。今後は家中の働きも復興一色となろう」
半分は自分で掻き回しておいて……の言い草だが、貴族としてはそこまで珍しい認識でもない。
「おや、ベルダラス坊やはどうするんだい」
「坊……あんなもの適当に頭を下げさせて終わりだ。今後は蛮族として黙認するなり、何なら【大森林】の開拓荘園扱いにしてもよい。兵を出しても銅貨一枚にもならぬ。そなたには退屈させて悪いがな」
「あたしゃ甲斐のある争いが好きなんで、必要の無い戦は嫌いでね。お嬢がムキになるんじゃないかと、ちっと心配してたのさ」
長い鷲鼻を上下させ、フェフェ、とアヒルに似た声をあげる。
その笑いが響く中だ。
「おかあさま」
ぎい、と書斎の戸が軋む。入ってきたのは、引っ込み思案な顔つきの四、五歳の少年であった。
「スチュアート! 駄目ではないか、母はまだ職務中ぞ」
「ごめんなさい。おかあさまのおしごと、おわったころかとおもって」
男児はしゅんと肩を落とし、俯く。
「フェフェフェ、相変わらずお人形のように可愛い若様だねえ」
「あわわわわ」
怪婆の存在に気付き、目を白黒させて廊下へ飛び出していくスチュアート。丁度そこに通りがかった侍女が、「あ、若様こんなところにいちゃ駄目ですよ!」と慌てて抱きかかえていた。
その後やや勢いを付けて、再び閉じられる扉。
「うん。あたしゃ女の子しか産んでないけど、男の子もイイもんだ」
「気が弱くて、困る」
言葉こそ嘆きだが、可愛くて仕方が無いというのはその眼で分かる。
「……だからこそ、妾は弟を討つ必要があったのだ」
「気持ちは分かるよ。自分の子はとびきり可愛い。あたしも七人ばかり産んだからね」
「その割には全員、商家へ嫁がせてしまったそうだが……」
「だからさ。貴族のはしかにかけたくなかったんだよ」
アヒルが鳴く。
「はしか、か」
ギャルヴィンへの困惑とも理解ともつかぬ表情をケイリーは浮かべ。ここにきてようやく、冷めたティーカップを持ち上げるのであった。
「スチュアートには健やかに清らかに、大過なく豊かで強いノースプレインを継がせたいのだ。妾はそのためなら、どんな手でも使うてみせよう」
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