231:竜の母子

231:竜の母子


「ビクトリアさんもチャスおじさんも、もうちょっと待っててね! ホッホイッ!」


 即席の竈で巧みに鉄鍋を動かし、回転させつつ具材を順に投入していく猫白龍(マオパイラン)。


「あ、ああ。すまない」

「他の大陸の料理は初めてだなぁ」


【剥製屋】の指示で……おそらく怯えるビクトリア見たさに……食材を届けに来た女騎士らは、何故か少女に気に入られたらしく夕餉へ招かれ、そのまま客として料理の完成を待つ身となっていた。

 ビクトリアは当初みっともなく取り乱したが、人懐っこいパイランのおかげで、今ではどうにか落ち着いている。


「ご、豪快なものだな」

「でしょー、ビクトリアさん! うちの地元料理はね、火力が命なのっ!」


 強火に汗を流しながら、鍋をシャカシャカ振る娘。


『この子はなかなか料理が上手いんだよ。もっともアタシには、量が全然足りないがね』


 何処となく自慢気に語るのは、爆竜ドーラドーラだ。彼女は少し離れたところで体液を調整噴射し、牛の丸焼きを作っている。


「いつかマーマがお腹いっぱいになる分も、作ってあげるってば! でも取りあえず今夜は……はいお待ち!」


 鍋から皿へ取り分けられたのは、胡麻油の香りが食欲をそそる肉野菜炒めだ。


「こっちの食材で作るのは初めてだけど、結構うまくできたと思うよっ!」


 片瞬きしたパイランの言葉通り、それはイグリス人二名を大いに満足させるものであった。


「これは美味い……! 店が開ける腕前だぞ、パイラン」

「えへへへー、褒められちった! ねえマーマ聞いてた?」

『ああ聞いてるよ。良かったね』

「おーいけるいける! 気取った料理よりも、俺にはこっちのほうがずっと性に合うぜ」

「本当はご飯も用意できれば一番良かったんだけどねー。お米はこの辺じゃあ、あんまり作ってないみたいだから。まあ今夜はパンで食べてね! あ、チャスさんにはお酒もあるよ! 貰ったはいいけど、私は飲めないし」

「お、ありがてえありがてえ」


 ワイン瓶を渡す娘を眺めつつ考え込んでいたドラゴンが、噛み砕いた牛骨を飲みこんでから口を開く。


『ふぅむ……コメか。そうだねえ。島を手に入れたら、住民に稲作もさせようか』

「あ! いいねマーマそれ! そしたら私、こっちの方で本当にお店とか開いちゃおうかな!」

『坊やの好きにおし』


 そう言ってまた、別の丸焼きにかぶりつくドーラドーラ。


「米かぁ。イグリスでもやってる農家はいるぜ。俺の家も王都の料理屋向けに一時期作ってたことがあるな」

「え!? チャスおじさん、お百姓さんだったの?」

『へえ、アンタが。見えないねえ』

「実家はな。今でもお袋や弟たちが、畑を続けてるはずさ」

「なんだチャス。貴様、兄弟がいたのか」

「おうよ。そういうビクトリアはどうなんだ?」

「我が家は私だけだな。親戚はまあ、割と居るが。だから、兄弟のいる奴が羨ましい」


 小さく溜め息をつく女騎士。確かに軍人向きの兄か弟でもいれば、彼女がギナ家後継者という重荷を背負うことはなかっただろう。


「ところで何人兄弟なんだ、チャス?」

「ああ、俺が一番上の五人兄弟さ。次男がチャールズで三男がチャーリー、四男がチェスター」

「何だ、Cで始まる名前ばかりじゃないか。随分と区別が付きにくそうだ」


 くすくす笑う、ビクトリアとパイラン。


「実際そうでな、近所から呼ばれて行ってみたら弟のことだった……ってのも一度や二度じゃない。まあ親父の悪ふざけなのさ。五人目で流石にキレたお袋が親父を張り倒してよ、その勝利にあやかって一番下の妹にはビクト……」


 一瞬真顔に戻ったチャスが、誤魔化すように瓶からワインを直接煽る。


「へえ、妹さんもいるんだな。やはり御母上と一緒に、農家を続けているのか?」

「……いや、妹はもう死んでる」

「そ、そうか。すまない」

「よせやい。大分、昔の話さ」


 気まずそうに元冒険者は掌を振り、話を打ち切った。

 そこへ、パイランが身を乗り出してくる。


「私にもねー、お兄ちゃんがいたんだよ。苗字のマオは、お兄ちゃんにちなんだんだ! あ、そうそう、マオってのは故郷の氏神言葉で『猫』って意味ね」


 首を傾げるイグリス人らに、頭を寄せて説明を始めるドラゴン。


『十二、三年前の冬かねえ。アタシが仕事で潰した武装集団の馬車に、たまたまどこかから売られてきたこの子がいたんだ。その時に寄り添い温めてくれてた野良猫が、パイランの兄貴って訳さ。ま、猫だから数年前、普通に寿命が来ちまったがね』


 どうも、昔は城攻め専門という訳ではなかったらしい。


「何かねー、あの人たち、アタシみたいな白皮症の人間を食べれば病気にならないって迷信を信じてたらしいの! 馬鹿だよねープププププ! そんな訳なーいじゃん!」


 凄惨な過去であろうに、パイランは笑い飛ばす。


『自分の故郷を飛び出して以降、アタシは一人でやってたんだけど……まあ気まぐれに拾って飼った汚いチビが、何かここまで育っちまってさ。てっきりすぐ死ぬと思ってたんだがねえ』

「あっ、ひっどーい。そうだ、聞いてよビクトリアさん。マーマってば何年か、私のこと男の子だと勘違いしてたんだよ? オチンチン無いんだから、すぐ分かりそうなものなのにねプププ!」

「オ、オチンチン……!? あ、ああ。そうだな。そうかもな」


 非常に歯切れ悪く応じるビクトリア。顔も真っ赤だ。


『まったくうるさい坊やだねえ。お前だってトカゲの性別なんか分からないだろ? 魚は? ヒヨコは分かるのかい? 種族が違えば、そんなもんさ』

「まーねーそーだねー」


 チャスはワインを飲みながら、そんな様子を眺めていたが。


「ヒヨコか。そういえば俺、ヒヨコの雄雌分かるんだぜ」

「え、ホント!? チャスおじさんスゴイ!」

「おう。こうして持ち上げて、ヒヨコのケツ穴を見るんだけどな」

「お尻の穴なんだ! ププーププ!」


 竜の娘は、とても愉しげだ。


「ねーチャスおじさん。私たち、この戦いが終わったら伯爵さんから島をもらうんだけどね」

「おー、聞いてる聞いてる」

「チャスおじさんも来ない? 畑作る土地も、用意してあげるよ」

「んー、そうだな。それもいいかもな。俺もこの仕事終わったら無職だし、考えとくぜ」

「わーい! ビクトリアさんも、どう?」

「わ……私は王都で軍の仕事があるから……」

「そう? 残念ー! 考え変わったら、いつでも言ってね?」


 けらけらと笑う白少女。

 それからしばらくは、たわいもない雑談が続けられる。


「さて……じゃそろそろ私、お皿洗ってくるね」

『お止し。アタシから離れるんじゃないっていつも言ってるだろう? またいつかみたく人質に取られたら、面倒だからね』

「大丈夫じゃない? その程度が分からない伯爵さんでもなさそうだよ」

『念のためさ』


 得心したように、ビクトリアは小さく頷いた。

 危険な戦場へ常に娘を伴うのは、そのあたりに理由があるのだ。そして城攻め空爆専門という効率の悪い縛りは、地上の乱戦でパイランを傷つけぬためなのだろう。

 娘を背に空を飛ぶ限り、地表からの攻撃は全て母竜が盾となる。放物線を描く矢弾は脅威にも思えるが、これも母竜自身が矢避けの魔法を使えるため、問題は無い。


 ドーラドーラが島を欲しがったのも、島であれば外敵からパイランを守りやすいからだと思われる。しがらみのないこの大陸へ移ったのは、買い続けた怨恨から娘を守るためだ。本来であれば、何者も意に介する必要が無かろうに。

 つまりこの圧倒的強者の行動は、全て一人の少女だけに捧げられているのである。


『まあ確かに坊やの見立て通り……アタシを相手に約束を違えたらどうなるか、そんな簡単な計算もできない男じゃないだろうしね、あの伯爵は』


 それに関しては、チャスもビクトリアも同意であった。


『アタシがその気になりゃあ、あれの一族郎党だけじゃなく領地まるごと……いや、イグリス王国全土を灰にすることだって容易いんだからね。前の大陸じゃあ実際、分を弁えずそうなった国が幾つかあるのさ。アタシが生きている限り、約束破りは何処にも逃がしゃあしないよ』


 それは本当なのだろう。むしろそうでない理由が、チャスらには見つけられぬ。

 どれほどの兵がいようと、いかに堅固な城があろうと、空飛ぶこの竜の爆炎を防ぎ、何より倒せるはずが無いのだから。


「洗い物くらい、こっちでやっておくさ。朝にでも、返しに来るぜ」

『そうかい、ありがとうよチャス。さ、今夜はそろそろ休もうか。明日で仕事を終わらせるよ』

「うん、マーマ!」

『寝る前には、ちゃんと歯磨きしな!』

「はーい」


 どしりと地を揺らしたドーラの懐で、歯磨き道具を取り出すパイラン。

 微笑ましくも奇妙なその母子に手を振り、ビクトリアたちも自身の天幕へと向かう。

 白い少女はその背中へ、元気良く声を送るのであった。


「明日も一緒にご飯食べようねー!」

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