140:夜の散歩
140:夜の散歩
ガイウスの散歩経路情報を蓄積していたサーシャリアは分析の上で襲撃地点を設定し、夜闇に紛れて待ち伏せ態勢へと移行した。
八通りの声掛け予測と二十あまりの切り返し、そこから連なる七種の発展会話で構成された巧みな攻撃計画だ。ナスタナーラの推察通り、赤毛の半エルフはダーク不在のこの時期にガイウスとのさらなる関係進展を目論んでいたのである。
長期に渡る戦いにより、将軍は国王の手を日常的に引いたり引かれたりする空気をなし崩しで作り上げてはいた。
だが彼女の苦労も知らず伯爵令嬢は、平気でガイウスに抱きついたりおぶさったり、あまつさえおぶってみたりしようとするため……サーシャリアはその無邪気な触れ合いを目にする度に無念の臍を噛んでいたのである。
よって此度の作戦目標は、ナスタナーラと同等かそれを上回る距離感の確立。そのための実績を作ることに設定されていたのだ。
「……来たわッ!」
冒険者たちから【欠け耳】と恐れられた用兵家たる彼女の読みは違わず。乏しい星明りの中を、のっしのっし、と七尺の巨体が歩いてくるのが視界に入った。
「おや? サーシャリア君も散歩かい」
ガイウスからの問いかけ。
彼女が立てていた八つの予測の内、四番目にあたる状況である。
これに対し用意した切り返しは三つあり、そのどれもが入念に練習済みだ。
「え! ええ! ほら!? いざという時に備えて? 武人の端くれとして? 歩く練習は? 日々怠れませんので? ええ! でもなんだか? 疲れたしまったので? 休んで? いるんです?」
「サーシャリア君は真面目だなあ。でも、もう帰りなさい。今日は危ないからね」
ガイウスは座ったままのサーシャリアに微笑むと、軽く手を振って眼前を横切っていく。
「馬鹿なーっ!?」
あの優しい元騎士団長が、立ち止まりもせず歩き去るとは。
放置を想定していなかったデナン嬢からの、悲鳴じみた叫び。
「ぬおっ!? どうしたんだい!?」
流石に驚いてガイウスが振り返った。
「あ、いえ、その、別に……何でもありません……」
「そ、そうかい? ならば、いいのだが」
危ないから早く帰りなさい、と再び諭すように告げるとコボルド王が踵を返す。
赤毛の半エルフは、焦燥と共にその背中を凝視していた。
……戦術は根底から崩れたのだ。今必要なのは、臨機応変の対応である。
「考えなきゃ、考えなきゃ……」
一秒毎に遠ざかる後ろ姿を見つめながら、サーシャリアは必死に思考を巡らせた。
騎士学校を次席で卒業した頭脳、多大な戦力差を覆し勝利を掴んだ用兵家としての才幹が全力稼働し。ついに敬愛して止まぬ元騎士団長の輪郭が闇に溶ける寸前に、起死回生の一手を閃かせたのだ。
「あーっ! 持病の癪が! あーっ!」
「なんとーっ!?」
瞬時に振り返ったガイウスが、慌てた顔でどすどすと地を揺らしながら走り寄る。
「急な差し込みがーっ! あーっ! これはいけません! あーっ!」
「それは一大事だ! すぐに長老のところに運ぼう!」
「しまったそうなるか!」
「え?」
「い、いえ! そこまでは! しばらく擦っていただければ収まるかと!」
「長老と精霊に診てもらったほうが……」
「お願いします!」
「しかし」
「お願いしますッ!」
「わ、分かったよ。こうかな? さすさす……」
「よっしゃ!」
「えっ? 何が?」
「何でもありません! 引き続きもっとお願いします!」
「う、うん? さすさす」
「あ、鼻血垂れてきちゃった」
「サーシャリアくぅーん!!?? それ大丈夫なのかね!!?? やはりすぐに戻ろう!」
「平気です! 興奮しすぎただけですので! それよりも頭を撫でて下さい! 頭痛が痛いような気がするので!」
「う、うむ? なでなで」
「こ、今度は頬が痛む予定です!?」
「むにむに」
「次はですね次はですね!」
「……いや、申し訳ない。そうもいかなくなったようだ」
「ふぇ?」
瞬時に代わった声色と目つきに、サーシャリアが驚いた表情を浮かべる。
ガイウスは静かに身体を離し立ち上がると、闇向こうの何かを睨みつけているではないか。
彼女も、それに倣うように視線を向けた。
「へえ、【人食いガイウス】にも娘がいたのか。いや……孫かな」
その方向からの、声。
暗がりの中に、星が降りてきたかのような微かな煌めきが浮かび上がる。
金の王冠を彷彿とさせる髪。古代彫刻を思わせる白く端麗な顔立ち。見る者の心を吸い込むような優美な笑み。
ケイリーからの使者に随伴して来た、あの美しい護衛である。
◆
「貴方はマクイワーン卿の護衛の……」
「サーシャリア君、私の後ろにいなさい」
「ガイウス様」
普段ない強き口調に驚くサーシャリアを庇うように、ガイウスが立ちはだかった。
「……マクイーワン卿は、明日は朝から出立すると話されていたが。もう休まれずともよろしいのかな、御客人」
「休むさ。ただその前に、【人食いガイウス】と話をしたかっただけだよ。ほら、十五年前に休戦協定の調印式でキミに斬りつけたことも、謝っておきたくてね」
にこやかな表情で美丈夫が答える。
しかし、コボルド王の表情は緩まない。
「まさかと思ったが……やはり貴殿であったか。ルクス=グランツ」
その家名にサーシャリアが小さく声を上げたが、ガイウスは彼女の動きを掌で制した。
「いやあ、あの時は悪かったね」
「問題ない。気にしておらぬ」
「気にしていない、か。まあそうさ、そうだろうね……でもね、あれは筋が通らない。実に通らなかった。駄目だったね。あれじゃあ、駄目なんだ」
一人納得するかの如く、金髪を揺らし頷いている。
「それよりも何故、ルクス=グランツ……貴殿がケイリー麾下に」
「ト・ム・キャッ・ト。今はそう呼んでもらってる。中々洒落てるだろ?」
チッチッチ、と舌を鳴らしながら指を左右に振る雄猫(トムキャット)。
「転職だよ、て・ん・しょ・く。五十年近く生きていれば、誰だって一度や二度はそういう衝動に駆られるものだろ? 『ずっとやりたかったことをしたい!』とか言ってさ。そんなキミだって宮仕えを辞めてこんな田舎に引き篭もったんじゃないか」
「答えに、なっておらぬ」
「いやぁ本心さ」
二人の間に走る緊張にたじろぐかの如く、草が風に揺れた。
「アハハ、よしてくれよ。僕は丸腰なんだぜ? キミは多分その辺りに武器を隠しているんだろうけど……非武装の使節団員を斬ればケイリーちゃんとの和平が絶望的になるのは……いくらケダモノとはいえ、分かるはずだ」
「貴殿は魔術も使えるだろう。丸腰とは言い難い」
「同じことさ。何にせよ僕は戦いに来たんじゃない、今はね。これは誓ってもいい」
再び笑い、両手を上げて戦意の無さを強調する。
「……それに兵を伏せられていては、徒手で【人食いガイウス】相手に分が悪過ぎるというものさ」
トムキャットはのけぞるように斜め後ろへ顔を向けると、「ねっ!」と声を掛けた。
するとその先、低木の茂みがガサリと揺れ、中から長身の人物が姿を表したではないか。
「えっ!? ナスタナーラ!?」
意表を突かれたサーシャリアが叫ぶ。
だが半エルフをさらに驚かせたのは、普段の少女は決して見せぬその険しい表情であった。
「お気をつけ下さいお姉様! その男おそらく……いえ、間違いなく化け物ですわ!」
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