141:微笑む雄猫
141:微笑む雄猫
「ほう!」
トムキャットはその言葉にむしろ感心したような声を上げる。
「これは随分と勉強熱心なお嬢ちゃんだ。分かるのかい?」
「お下がりなさい! 何か妙な動きを見せたら、全力で【マジック・ミサイル】を叩き込みますわ!」
身構えるナスタナーラ。
雄猫はぴゅう! と短く口笛を吹くと、
「アハハ! 落ち着いて、落ち着いて。心配しなくても何もしやしないさ」
掲げた両の掌をひらひらと揺らし、敵意の無さを強調した。
「いやはや。【人食いガイウス】とゆるり昔話でも、って思っていたんだけど。どうも御婦人方の機嫌を損ねたらしい。日を改めるかな」
「待て。まだ話は」
「大丈夫さ。また機会はある。まーだ、ね。何せ僕は今、ケイリーちゃんの家来なんだから。とは言っても下っ端だけど。でもだからこそ、またお使いに付いて来られるだろうよ」
トムキャットは諸手を上げたままそう告げると、愉しげに視線を回してからもう一度唇を歪める。
「ああそうだ、言い忘れた。今度来る時は、僕の食事は肉抜きで頼むよ? 実は菜食主義でね。じゃあおやすみ。【人食いガイウス】」
そうして美丈夫はゆっくり背を向けた後、宿舎の方へと歩き去っていく。
鼻歌混じりに愉快そうに……実に嬉しそうに闇に溶けていくその姿を、一同は硬直したまま見つめ続けていた。
◆
簀巻きのエモンを小脇に抱えるナスタナーラが、ガイウスとサーシャリアの傍へ駆け寄ってくる。
「団長! お姉様! ご無事でした!?」
「ナスタナーラ、貴方何でここにいるの!? って! いつからそこにいたの!?」
「え!? あーと、んーと、ちょっとお手洗いに行こうとしたら夜闇に迷ったのですわ!」
「エモンと一緒に!?」
「ゆ、友情の証ですわ!」
「んーっ! んーっ! もごもご」
伯爵令嬢が抱える芋虫は何かを伝えようともがいていたが、彼女の腕力で強引に抑え込まれていた。
「ええー……」
「それよりも団長、あの人物は何者ですの? グランツを名乗っておりましたけど、まさか」
先の言葉を真に受けサーシャリアの頬を再び撫で始めていたガイウスが、問いに顔を上げる。
「……あの男の名はルクス=グランツ。五年戦争で争ったうちの一つ、北西隣のグランツ王国……その、現国王の兄だ」
エモン、ナスタナーラ、サーシャリアの三人がガイウスの横顔を見つめたまま、目と口を大きく開けた。
「ね、ねえナスタナーラ。あの国の王兄って……今は臣籍だけど大公位にある人よね、確か」
大公。
地域や時代により意味は異なるが、現グランツ王国では王と公爵の間に位置する、臣下として最高位の称号だ。
「ええ。戦後自ら臣籍降下し継承権を放棄したものの、王となった弟から大公位をもって遇されているグランツ王国の大貴族ですわ。ワタクシもお顔を見たのは初めてですけれども」
流石に辺境伯の娘だけあり、周辺国の貴人についてナスタナーラは知識を有している様子。
「それがどうしてケイリーの麾下に!? だって本国では地位も責任も領地もあるんでしょ?」
「申し訳ありませんお姉様。ワタクシには、とても分りかねます」
「まさかグランツ王国の陰謀? ……でも……」
言い淀むサーシャリア。
そう。もし彼の存在がジガン家内紛に乗じた隣国の策略だとしても、これはあまりに荒唐無稽過ぎるのだ。
グランツ王国とノースプレインの間にはゴルドチェスター辺境伯領が存在し、ジガン家が多少乱れたところで付け入れるものではない。
ましてや、彼は偽名を用いつつも自分の素性は隠そうともしないのである。ここから彼の祖国に有利な謀をどうやって巡らすというのか。
それに王兄である大公が出奔したなど、グランツ王国の醜聞であっても益になりはすまい。
何もかもが出鱈目なのだ。
「……ジガン家内紛目当ての戦争狂い?」
思いついたようにぽつり、と赤毛の将軍が呟く。
確かに、闘争を娯楽と捉える人物は存在する。歴史上でも数え切れぬほどに。
関係の無い戦さに伊達や酔狂で首を突っ込んだ武人貴人の例が、史書にまるで無かったわけではない。
が、それにしても異常なのだ。
とにかく彼は身分が高過ぎる。客将としてならともかく、地位も責任も放り捨てて元敵国の地方領主に平騎士として仕えるなど、理の埒外であった。
「駄目だわ。無茶苦茶過ぎて訳が分からない」
「ワタクシもですわ、お姉様」
同調するナスタナーラ。
その小脇でもがき続けていたエモンがようやく猿轡をずらすことに成功し、深く息を吸い込むと。
「はー、窮屈だった……なあ、オッサンは心当たりねえの?」
「無くはない」
「「「えっ」」」
再び集まる視線。
「十五年前の戦争で、私は彼の兄弟を何人か討ち取っている」
「何人かって、何人だよ」
「先グランツ王の十三王子は当時十人が戦死しているが……その内五人は、私が斬った」
「殺り過ぎだろオッサン、そら恨まれるわ」
エモンの言葉に、ガイウスが呻きつつ頷く。
「つまりこれは隣国によるイグリス王国への策謀ではなく、グランツ王家がガイウス様個人を標的にした復讐の可能性があると?」
心配げな眼差しで、サーシャリアは大きな掌の主を見上げた。
「分からない。だとしても、やり方があまりに迂遠過ぎるのだ」
暗殺者ではなく王兄を差し向ける理由も、彼がケイリーに仕官する意味もまるで理解が及ばないのである。
……そのまましばらく沈黙の時が流れ。
ふと、ガイウスが思い出したかのように手を止めた。
「いかん、申し訳ないサーシャリア君。具合の方はどうかね?」
「具合?」
サーシャリアは一瞬、きょとんとした表情を見せたが。
「あ! あー、あー、もう大丈夫です落ち着きました!」
「そうかい、なら良かった」
唇を少しだけ歪めるガイウス。
「夜風も冷たい。もう戻って、明日使節団が森を出てから改めて皆で話し合おう」
「そ、そうですね! とりあえず今は、彼もどうこうできる様子はありませんし」
「サーシャリア君、体調が優れないならば抱えていこうか?」
彼女は一瞬頷きかけたものの、少年少女の視線に気がつくと、慌てて手を振り誤魔化す。
「だだだ大丈夫です! 私もナスタナーラとお手洗いに寄って帰りますので、先にお戻り下さい!」
ガイウスは「うん」と答え、のっしのっしと家へ戻っていった。
見送り、胸を撫で下ろした半エルフが、傍らでドワーフ少年の簀巻きを解除している少女へと声を掛ける。
「酷く疲れたわね。ここで考え込んでも何も浮かばないわ。今夜は監視を強化させて、明日頭が働いてから考えましょう」
「そうですわね」
同意して立ち上がるナスタナーラ。
しかし拘束から解かれたドワエモンは、深刻な顔をして座り込んだままだ。
「なあ、サーシャリア。俺……思うんだけどよ」
「どうしたの、エモン」
あるいは少年独自の視点から何かに気付いたのだろうか。
サーシャリアが、緊張した面持ちでエモンの言葉を待つ。すると。
「持病の癪はねえと思うぜ」
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