142:大山猫の血統書

142:大山猫の血統書


 その夜の警戒を強めていたコボルド側であったが、特にトムキャットに動きはなく。

 トムキャット、マクイーワン、ランサーの三人は翌朝、親衛隊による警護と監視を受けつつ森の外へと帰っていった。

 王国の主だった面々が指揮所へと集まったのは、枯れ川出入り口にて使節団を見送ったという霊話報告の直後だ。


「グランツは南方大帝国皇家の流れをくんだ、南方諸国群の中でも特に由緒ある王家だ。だが同時に、極端なまでに武を重んじる家でもある」


 昨晩の出来事を改めて説明した後に、ガイウスはトムキャットと名乗る男について語り始めた。


「生まれた子らは全員が獣にちなんだ名を与えられ、互いに衝突させられ、競い合わされる。特に、誰が武人としてより優れているかで幼い頃より王位の継承権を争わせるのだ」

『わざわざ兄弟でいがみ合わせるのか? ヒューマンは妙なことをするな』


 率直な感想を述べるレッドアイ。先日彼の妻がフィッシュボーンの弟や妹を五人ほど産んだばかりでもあり、その顔には嫌悪の表情が浮かんでいる。

 素朴な妖精犬たちからすれば、そういった家風自体が理解しがたいのだろう。『『『なー』』』と相槌をうつ、他の男衆。


「大昔に【大森林】と魔獣が人界まで溢れ大帝国が崩壊した折、それを繋ぎ止められなかったのは武が弱まったせいと信じる反省らしいが……まあ、理由はどうあれやはり、苛烈な家柄と言えるな」


 グランツ王家の事情も分からぬではないガイウスだが、彼も心情的にはコボルドらに近いらしい。皆を見回し、頷きながら語り続けていた。


「自然、王子は全員が将として戦場に立つことを求められる。武勲は直接、王位継承に関わるからだ。あの男も彼らの氏神言葉で大山猫(ルクス)の名を持つ王子であり、前線で功を競っていたと聞く」

『ほーん。俺たちには森の外のことはよく分からねえけどよ? あの金髪にーちゃん、人界じゃあ大物だったのか。でもそんな怖ええ奴の割には、あんまり戦士! って感じはしなかったな。そりゃ、体格は良かったけど』


 耳裏を掻きながらそう言ったのはレイングラスである。彼と一緒に使節団を迎えた者たちも、同様の印象を口にしていた。


「私も当時の彼とは一度しか会ったことがないため、断言はできぬが……実際、どちらかというと学者肌の人間だったらしい。噂では兄弟に比べ、戦場では大分苦労していたという話もある」

「学者肌、というより学者ですのよ」


 小さく手を挙げながら補足を入れたのは、ナスタナーラだ。


「ルクス=グランツの名前は呪術、魔術印界隈では結構知られているのですわ。魔剣に刻む印だけでなく素体であるミスリル銀や合金への造詣も深いので、ワタクシ魔杖製造の勉強のため、彼が昔に書いた論文を幾つか入手して読んだことがありますもの」

「ケッ! 顔だけじゃなくて頭もいいのかよ、腹立つな! 顔だけで満足しとけっつーの!」

「エモンはちょっと静かにしてなさい」


 サーシャリアが、ドワエモンの頭をぺしりと叩く。


「かくいう私も彼が刻印した刃で斬られたことがあってね。それが、これだよ」


 ガイウスはそう言って、右こめかみから顎まで続く生々しい跡を指でなぞった。

 近くの若いコボルドが『王様いたそー』『かわいそー王様』と口にしながら、その身体によじ登って傷をまじまじと見ている。


「五年戦争の休戦協定調印式で……あの男が話していた件ですか」

「うん。短刀だったがなかなかの魔剣だったようだ。骨まで裂いて、危うく中身が出かけたよ」


 苦笑いするガイウス。


「……私は彼の兄弟を何人も斬った。当然、恨まれる筋だ。だがそのせいで今後君たちにまで迷惑をかける恐れがあるのが、申し訳ない」


 そう言って深々と頭を下げた。

 コボルドたちは、目を丸くしてその頭頂部を見つめている。


『え……まさかそれが言いたかったのかお前』

「う、うむ……」


 レイングラスやレッドアイら第一世代の男たちは呆れた様子で互いの顔を見合わせ、嘆息を吐く。


『馬―――ッ鹿じゃねえの?』

『お前ホント頭悪いな』

『こいつの場合まあ、肩から上は飾りだからな』

『本当は傷から脳がこぼれてたんじゃないか? 半分くらい』

「むう……」


 俯いたままがくりと肩を落とし、背を丸め小さくなるコボルド王。


『お前の因縁は俺たちの因縁だろ』

『何をいまさら』

『そもそもお前がいなかったら、はじめに冒険者が来た時点で御仕舞いだっつーの』

『お前さん、ホンットそういう水臭いトコあるよな』


 心底馬鹿馬鹿しい……といった表情で男衆は脱力し、再び溜息をついた。


『くだらねえこと気にしてんじゃねえよ。お前はコボルド族の一員だぞ』

『『『こんど言ったら髪の毛むしるからな』』』

「……それは厳罰だな」


 友人から袋叩きに遭ったガイウスが顔を上げ、後頭部を掻く。

 コボルドらはベシベシと出来の悪い王様の身体を笑いながら叩き、指揮所の隅で茶を啜っていた長老も、椀で口元を隠していた。


『しかし、そんなにガイウスのことを憎んでるならよ、俺たちに対しても何かしらの敵意が嗅ぎ取れても良さそうなものなのにな』

『つーかかなり良い臭いだったぜ、トムキャットって奴の魂』

『ルース商会の連中だって、アレに比べりゃ腹黒いってもんよ』


 レイングラスと出迎え班が首を傾げる。


「そこなんですの」

『どういうことだい、ナッスちゃん』


 挙手で再び言葉を挟むナスタナーラ。レッドアイが、その続きを促す。


「それは【魅了】と思われる魔法による印象ですわ」

『『『魅了?』』』

「お、嬢ちゃん知ってるぜソレ。お貴族様が舞踏会なんかへ行く時にお抱えの魔法使いにかけさせる魔法だろ。感じが良くなるんだろ?」


 長老と並んで薬草茶を啜っていた親方が、思い出したように指を立てている。


「そうですの親方。でも一般的な【魅了】はおまじない程度。子供の擦り傷に『治れ治れ、トカゲのしっぽ』みたいな気休め。魔法でもう一度香水を振りかけているようなものですわ」


 ナスタナーラは彼女らしからぬ深刻な面持ちで、言葉を連ねていく。


「でもあれはそんな生易しいものじゃあ、ありませんのよ。魔法慣れしているか因縁でもなければ、相対したほとんどのヒトは彼に好感を抱くでしょう。それくらい強いものなんですの」

「おいなんだよそれボケナッス【魅了】って! そんな良い物があるなら俺にかけろよ! 早くかけろさあかけろ! ルース商会のアンナさんがまた来て下さる前に急いでかけろ!」

「エモン貴方、昨晩説明した時やっぱり寝てましたのね!? 【魅了】本来の姿は呪いの魔法ですわよ!? 魔術と魔法の中間技術としての呪術ではなく、魂と心と身体を蝕む本物のノ・ロ・イ!」

「それがどうした! 俺も男だ、構わねえ! やってくれ!」

「ワタクシ呪いの魔法なんかお勉強していませんので!」


 襟首を掴み施術を要求するドワーフ少年の顔面を、ギリギリと鷲掴みして黙らせる伯爵令嬢。彼がぐったりしたところで投げ捨て、皆へ向き直った。


「はぁ……オホン。しかも呪いは一つじゃありませんわ。【魅了】の力が強くてはっきりとは判別できませんでしたが、他にも幾つもの呪いがかかっているのを感じ……いえ、あれはきっと幾つもの呪いを『かけて』いるのですわ。まともな神経の人間じゃ、ありません」


 この天真少女をしてこう言わしむことに、コボルドらが呻きに似たどよめきを上げている。


「あの男は私より歳上のはずだが、どう見ても姿は三十代のそれにしか見えなかった。やはりナスタナーラ君の言うように、何かしらの神秘なり呪いなりがあるのだと、思う」

『まあとにかく。無闇に感じが良い兄ちゃんだけど、あれは味方でも善人でもなく、得体が知れない奴だから気をつけろ、ってことだな』


 腕を組んで首を上下に振る、レイングラス。それに対し隣の仲間が、


『お前が一番危ないだろ。撫でられてグヘグヘ尻尾振りやがって』


 と、その肩を小突いていた。

 どっと広がる、笑い声。


「そうですね。情報漏洩が特に怖いですので、こちらの詳細な情報や、特に戦術機構についてうっかり話さないよう、皆さんも気をつけて下さい」

「頭で理解していても、直接対峙すれば影響を受けますわ。会話が避けられない時は、複数人で応対するようにして下さいましね。そうすれば幾分、気を付けやすくなりますの」

『『『はーい』』』


 サーシャリアとナスタナーラの注意に揃って男衆が返事をしたことで、臨時の集まりは閉会となる。

 森の外へ手を出せぬ彼らは受け身を強いられる他なく、対応できる人材もない。

 現時点で彼らにできることはまさに「気を付ける」ことと、この不安要素がケイリーとコボルド王国の関係に悪影響を及ぼさぬよう祈ることだけなのであった。

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