158:多重防御線

158:多重防御線


 またもや行く手を阻んだ防御線に、確かに一時ザカライア軍は困惑した。だが、それだけである。すぐに彼らは立ち直ると戦闘態勢に移行し、先の現場に置いたままの戦争馬車を運び込んだ。

 全隊いまだ戦意旺盛、次戦に支障はない。彼らは既に一度コボルドの守りを突破しており、そしてそれに必要な作戦と機材はもう、用意済みなのである。

 手法がほぼ正攻法であったことも、将兵たちに勝利を予感させたのだろう。先の状況から考えても、コボルド側が取り得る防御戦術は限られているのだから。


 軍議は行われなかった。

 周知の手間と混同を避け、前回同様に近衛が戦争馬車で中央を突破、左翼を第一、右翼へ第二第三部隊があてられ、指示を受けた各隊は直ちに行動を開始する。


 連戦とはいえ、直前の戦いで要領を掴んだ兵の動きはより効率的に見えた。

 特に車体の動かし方を心得た近衛隊は、今度は先の防御線突破にかかった時間よりも早く防壁へと肉薄すると、それを引き倒したのである。

 その間、第一と第二部隊はそれぞれ一名戦死二名重傷、第三部隊は二名戦死三名重傷という損害を出した。近衛部隊で一名怪我人が出たのと合わせると、失われた戦力は十二となる。これは前回の約半分程度であり、やはり討伐者たちがこの戦場に慣れてきていることを意味するだろう。


 負傷者の後送を済ませたザカライア軍は、再び前進する。

 だが少し進んだ先で待ち受けていたのは、三度目の防壁であった。

 これに対しザカライアは同様に攻撃を命令。合計で戦死四名、負傷六名という損害を出しつつも防御線突破に成功する。

 そして壁を引き倒した彼らの視界に入ったのは、それほども離れぬ先に築かれた、四度目の防壁だったのだ。


 この時将兵らの心中に発生した恐れは、当然のものであっただろう。

「我々はこの先、一体何枚の防御線を抜けばいいのか」と。


 彼らの火力と兵力はコボルドを大きく上回っており、そしてその正攻法を止める術を相手は持たない。持たないが、この薄い壁を一枚破る度に兵は必ず斃れるのである。

 それを何回も、何十回も繰り返されれば全将兵尽く消耗してしまうのではないか。村までの行程は優に三分の二を越えたというが、今日はどれほども進まぬうちに四枚もの防御線と遭遇したのだ。誇張抜きで、この先何重の防御線が待ち構えているか分からない。


 連戦の疲労と湧いた疑念が、この日これ以上の進軍を諦めさせた。

 時間的余裕も無い。あの防御線を攻めている間に、戦場は暗くなってしまうだろう。森の夜は早く、闇はヒューマンではなく原住民の味方なのだ。


 こうして彼らは戦争馬車を牽きつつ、後退を余儀なくされる。

 突破した防壁をコボルドに再利用されぬよう、要所を打ち壊し火をかけつつ……全隊が第三陣地へと辿り着いたのは、日没後のことであった。



 五日目の朝。

 設営予定の第四陣地守備用に呼び寄せていた第八部隊四十一名を加え、侵攻部隊百九十九名は工兵を引き連れ前進を再開した。


 ……コボルド側の真の目論見は、多重防御線で討伐軍の消耗を強いることにある。ならば第四、第五と橋頭堡を小刻みに作りつつそれを全て破るだけだ。疲労した隊は後方陣地の守備隊や野営地の予備兵力と交替で休息をとらせ、場合によっては再編を行い前線の戦闘能力を維持し続ける。むしろ長期連戦による疲労を強いられるのは相手側であり、こちらの優位は変わらない……というのがザカライアの分析だ。

 今日はある程度防御線を抜いたところで、第四陣地を設営するつもりである。


 疲れでやや遅れを見せるも、川底を進む侵攻部隊。

 三つの戦闘跡を越えた彼らを待ち受けていたのは、やはり昨日と同じ場所で立ち塞がる丸太の壁であった。

 侵攻部隊はこれに対し中央に近衛。左翼に第一、第八部隊。右翼に第二、第三部隊を配して攻撃を開始した。

 今度は左翼を牽制に留まらせない。三叉槍の如く、全てが防御線を抜く本命の刃先だ。


 昨日と同様に魔杖射撃が飛び交い、兵が斃れ、徐々に敵が後退していく。昨日三度も行われた光景が、今日も繰り返される。

 だが戦争馬車が三叉槍の中で最も早く敵陣に届こうとした時、その再現劇は脚本を違えたのだ。


 おそらく喧騒や詠唱、射撃音で兵らの耳に届きにくかったのだろう。濁流が防壁ごと押し流す瞬間まで、それに気付いたザカライアの将兵はほとんどいなかったという。

 丸太装甲で遮蔽された戦争馬車内部の近衛兵たちは、足が水に浸かって初めて自体に気付く。だが既に逃げ出す時間は残されておらず、乗員は全て流れに飲み込まれてしまった。


 上流に控える全ての防壁を犠牲にしてでも水計を用いてくる……とは思わなかった両翼は浮き足立ち、コボルド側の逆撃を被りこれまでで最大の損害を出す。

 それでも壊走を免れたのはやはり彼らが訓練された職業戦士であることと、各指揮官が懸命に指揮を続けた事実があったからだろう。コボルド側も攻めあぐねている気配があり、追撃を重ねてはいない。


 ザカライア軍両翼はそれぞれで必死に再編しつつ、かねて決めていた水計時の対応に基づき川沿いの森を後退。後方で待機しており全員が岸へ逃れた工兵を収容しつつ、なんとか秩序を維持しながら最寄りの第三陣地へ向け引き上げた。


 午後しばらくして流れが収まった後、両岸の各隊は第三陣地で合流を果たす。

 この時点でようやく確認できた被害は、戦死行方不明だけでも中央近衛が十五名、左翼が八名、右翼が十名。負傷者も合わせれば全隊の損失は六十五にも及ぶ。今までの戦いで、最大の痛手だ。

 もう今日は、とても再攻勢には出られない。侵攻部隊は陣地に引き篭もり、守りを固め、コボルド側の夜襲に備えるのが限界であった。



 ……闇が降り、松明が照らす中。時折負傷者の呻きが聞こえる第三陣地。

 兵が疲労から死んだように眠るその場で、いまだ戦意を滾らせた目で地図を注視するザカライア。


「……してやったと思っているだろうな、ガイウス。馬鹿め、馬鹿め。兵を多少失っても構わぬよう、これだけの人数を用意したのだからな。この程度、何ということはない。概ね吾が輩の予定通り、全て予定通りなのだ」


 地図上には、後方の陣地から無傷の第四、第五部隊を呼び寄せ、この第三陣地の守備にあたっていた第六部隊を侵攻部隊に再編する矢印と、消耗した第一、第二、第三を代わりに後方陣地へ回す旨が記されている。

 そして侵攻部隊の行く先は一路、川沿いにコボルド村へ向けられていた。

 ザカライアの視線が、その線を舐めるようになぞっていく。


「貴様は一時のために、苦し紛れで多重防御線を自ら押し流してしまったのだ。もう村へと我々を遮るものはない。明日にでも、その軽挙を後悔させてやるぞ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る