159:牌倒し

159:牌倒し


 六日目の朝。

 昨日の手配通り、損耗した部隊は後方陣地守備に回され、代わりに各橋頭堡で守りについていた無傷の第四、第五、第六部隊と既存の近衛、第八部隊を合わせた二百十八名による侵攻隊が再編された。大半が今回まだ戦闘を経ず、活力に溢れたままの兵士たちだ。

 そんな彼らへ、出陣前の演説を行うザカライア=ベルギロス。


「敵は多重防御線によってこちらに消耗を強い、撤退させるつもりだったのだろう。だが吾が輩に立て続けに突破され、その進みを止めるため……あるいはもう、防御線が残っていなかったのかも知れぬな。それ故に止む無く切り札の水計を用いたのだ!」


 おお、と兵からの声。

 増援部隊の士気は高い。職業戦士(マンアットアームズ)にとって武勲は騎士への手形であり、騎士は平民が貴族へ成り上がりうる稀有な手段である。

 今回はその、貴重な機会なのだ。


「水計には絶対前提がある。それは『水は溜めねばならぬ』ということだ。吾が輩の手に入れた情報では、奴らは湖に満ちた水を用いるのだという。だがあれほど流してしまえば、昨日の今日で再使用できるものではない!」


 再び上がる歓声。

 馬上槍試合の名手でもあるザカライアの体躯と風貌は、堂々たるものだ。説く言葉も力に満ち、その中身も兵を納得させうるものであった。


「もう水攻めを受けるおそれはなく、そして村と吾が輩らを阻む障壁は何もない! 今日はこれより枯れ川を上り村へ攻め寄せ、一気に勝負をつける! 我が家名を汚せしあの男を討った者には、恩賞は欲しいままぞ!」


 わああ……! と兵たちが沸く。

 ザカライアは満足気にそれを見回すと。拳を眼前に握りしめ、力強く命じた。


「さあ出発だ! あの恥さらしと犬どもに、グリンウォリックとヒューマンを愚弄した罰を与えてやろうぞ!」



 枯れ川を遡上する侵攻部隊は前日突破分を通り過ぎ、なおも進む。

 そしてその途上で奇妙なものを目にした。半壊した防御線である。


 コボルドが用いている防壁は、大雑把に言えば二枚の壁を左右に並べることで川底を塞いでいるようなものだ。その内の向かって左側一枚は何らかの理由で壁の形をとっておらず、構造材である丸太……枝を落としただけの原木……が数本、砂の上に転がっていた。

 そういう半端な防塞越しに、昨日までと同様原住民らが魔杖を携え待ち構えているのだ。


 ……コボルド側は急ぎ防御線の再構築を試みた。試みたが間に合わず、壁一枚拵えるのが時間的な限界だったのだろう。川底に転がる木の幹はこれから作るもう一壁の材料に違いない。


 ザカライア側はそう判断した。

 そうなればやることは一つだ。出陣前に決めておいた手筈通りに、第六、第八が左翼。第四、第五が右翼に割り当てられ、森の中へ踏み込んでいく。半分の壁と言えど魔杖兵が配されている以上、正面から挑むのは得策ではないし、両脇を牽制しなければ結局十字射撃に晒されることとなる。

 昨日の放水で戦力の半数を失った近衛は、枯れ川にて防壁を正面から牽制する役を与えられた。魔杖の射程外で睨みを利かせ、もし敵が防壁の警戒を疎かにするようであれば、一気に殺到し中央突破する目論見だ。戦争馬車を用いればより効果的だろうが、壊れてしまったものは仕方ない。

 刃先を取り替えたものの、これまでと同様の三叉槍である。


 第八部隊以外は初戦闘のため、森中での行動に多少のもたつきが見られたが……それでも左翼が最初に防御線へと到達し、敵軍を後退させることに成功した。

 この戦いでの損失は、三叉合わせて死亡十一負傷十三の合計二十四名。比較的被害が多いのは、増援部隊が不慣れであったことと、戦争馬車による圧迫を欠いた影響が大きいだろう。


 コボルドが防塞の再構築を始めた以上、悠長にしてはいられない。

 近衛隊に防塞の後始末と負傷者の後送を任せると、ザカライアは残りの侵攻部隊を率い、急き立てられるように前進を再開させた。

 一つや二つの即席防御線、作られたところで突破できぬものではない。ないが、もし夜まで時間を稼がれたならば、もう一日相手に時間を与えることになるのだから。



 ……ざっざっざっ、と。放水の名残でやや砂の重い川底を、侵攻部隊が歩いていく。


 鉛髪の従者を伴い、先頭を進む第四部隊に同行して馬を進めるザカライア。

 一戦交えたものの、増援兵に疲れや士気の衰えは感じられない。むしろ主君に少しでも良いところを見せようとして、胸を張り、顎を引き締め、足取りも力強く感じられた。仮に敵がもし数枚俄作りの防衛線を用意したとしても、より効率的に突破してくれることは疑いないだろう。

 ザカライアが従者へ自信に満ちた顔で笑いかけ、美しい従者もそれに微笑みで返した時。


 その前方からだ。

「どん! どん!」と鈍く、重みのある響きが伝わってきたのは。


 反射的に前を向くザカライアの視界に、壁が映る。

 そう。先程まで川底しかなかったその場所に、今は確かに丸太の防塞が現れているのだ。そしてそこには配置につき戦闘態勢をとる、コボルド魔杖兵の姿までも。


「な、何があったのだ!?」

「ご、御当主! 壁が! 突然壁が両脇から倒れてきたのです!」

「何だと!?」


 動揺する第四部隊長の報告を受けて、主君は目を剥いた。

 そしてしばしの沈黙の後、その仕掛けに気付いたのである。


「そうか……! 奴らは……奴らは元より壁を両岸に仕込んでおいたのか! そして必要に応じ固定を外し、瞬時に枯れ川へ防御線を築くことができるのだ!」


 ぎりり、と歯を食いしばる音。


「先の戦闘で見た半壊防壁は、おそらく作りが甘く倒れた時に壊れたのだろう。だが元より射撃戦の盾としての役しか負っていないため、そのまま連中は残りの壁で戦ったに違いない!」

「まさか、まさかこんな牌倒しのような仕掛けで!?」


 第四部隊長の言葉通りであった。種を明かしてしまえば、まさに子供の積み木遊びだろう。

 だがそれでもこの仕掛けを用いれば……コボルド側は幾重もの防壁を事前に用意でき、かつ普段の往来は確保しうるのだ。

 そして何より彼らは防御線を押し流さずに、躊躇なく枯れ川を濁流に変えられるのである。水が引いた後、状況に応じて壁を倒せば良いだけなのだから。


 つまり「もう防塞はせいぜい即席のものが少数あるだけ」という見込みは完全に潰え、逆にこの先には今までと同様の防御線が何重、あるいは何十控えているか分からなくなったのである。


「い、いかが致しましょう、御当主」

「馬鹿にしおって……馬鹿にしおって……ガイウスめ……ガイウスめ……!」


 隊長の声も耳に入らぬザカライア。拳を握りしめ、噛んだ唇から血を流しつつ、ひたすらに前方を睨みつけていた。

 鉛髪の美しい従者は、目を細めて愉しげにそれを眺めている。


「全軍……」


 伯爵は右手を頭上へ上げ、攻撃指示を下す姿勢を見せた。だがその手は震えており、葛藤が周囲からも見て取れる。

 ザカライア=ベルギロスはケイリーやグリンウォリックの老臣が思いこんでいるほど、単純で無能な男ではない。だからこそ、その内は憤怒に焦がされているのだ。

 彼は眼球が乾くほど前を睨めつけた後、やがてゆっくりと右手を下ろし……傍らの隊長へ命じるのであった。


「……やや後退し、今日は第四陣地の設営を行う。多重防御線への攻撃は、戦争馬車を用意した後に再開するぞ」

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