160:雄猫の寝坊

160:雄猫の寝坊


「……トムキャット殿!」


 肩をがしがしと揺さぶられ、山猫は眠りから引き起こされた。


「昼食の時間にもお目覚めにならないので、外より呼び掛けていたのですが……陣幕に無断で入り、失礼致しました。もしや体調を崩されたのではと」


 軽く頭を下げているのは、ケイリーに仕える貴族ウィリアム=マクイーワン。以前コボルド王国へ捕虜返還交渉に赴いた実績があるため、今回トムキャットとともにザカライア軍の案内人として出向している。


「ああいや、すまない……えーと……マクイーワン君! 深酒が過ぎたのかな。僕も歳だねえ。アハハ」

「何をおっしゃいます。私よりも若く見えますのに。まあ、共に野営地で無聊をかこつ身ですからな。酒でも飲まねばやっておれぬのは、当方とて同じですよ。ははは」


 イグリス王国軍から派遣された軍事顧問【跳ね豚】と同じく、彼らもザカライアから野営地に留まるよう申し付けられているのだ。トムキャットは助太刀を申し出たが、それは丁重に断られている。

 とはいえ役目である以上、戦が終わるまで勝手に帰るわけにもいかぬ。マクイーワンの言はトムキャットへの愛想でもあり、事実でもあった。


「それよりトムキャット殿。大分うなされておられましたが、大丈夫ですか」

「ん? そうかい?」

「寝汗もひどいですし……」

「いつもこんな感じでね。困ってるんだアハハ。さて、着替えるかな」


 じっとりと湿った簡易寝台から起きた美男子は、おもむろに寝間着を脱いでいく。


「トムキャット殿」

「何だい、マクイーワン君」

「その……どうして女物の肌着を着けておられるのですか」


 彼の指摘通り、寝間着の下から現れたのは女性風の下着であった。

 それも西方伝来、流行りの型だ。


「ああこれかい? 熟練職人による絹の上物さ。似合うだろ?」

「はあ」


 マクイーワンは困惑している。

 が、彼の意識は以前からトムキャットによる【魅了】の影響下にあり、それ以上の悪感情を抱くには至らない。


「それにこれは女物じゃなくて、体への密着具合を追求するため作らせた僕の特注品でね。それにほら見てくれ! 陰嚢の収まりなんか、実に特に良くできているだろう?」

「確かに言われてみれば……」


 言われるままにまじまじと観察していたが……はっと我に返り、咳払いのマクイーワン。


「ま、まあ何にせよ御病気でなくてなにより。では私はこれで」

「そうかい? ふわぁぁ……」

「ははは。トムキャット殿はまだ寝足りないようでしたら、お休みになっていて下さい。どうせ我々は、待機しかすることがないのですから」


 欠伸で滲んだ目を拭った雄猫は首をゆっくり回し、笑いながら答えるのであった。


「いやぁ、僕ももう起きるさ。何せ、数年分くらいは寝たからね」



 増援のため森へ向かうザカライア軍第十部隊に、復帰負傷兵ら合わせて約七十名の列。そしてフードを被った六体の【とっておき】たち。

 渋面の【跳ね豚】ジョン=ピックルズと、部下のヘティーがそれを見送っている。


「おやっさん。第十部隊って予備兵力じゃなくて、野営地の守備隊ですよね」

「そうだ。前線で敵の抵抗が強まったのと、橋頭堡を小刻みに拵えてるせいで頭数が足りねえんだとよ」


 戦闘開始から、今日で既に十一日目。

 コボルド側は先日の反転攻勢で魔杖を二十本ほど鹵獲し、それをそのまま火力の増強に充て侵攻部隊に痛手を強いていた。また、森の罠や防御設備も村に近付くほど目に見えて強化されており、ザカライア軍による両翼攻撃の効率を著しく落としている。昨日の夕方には、防御線の突破を失敗したほどだ。

 頼みの綱の戦争馬車も、浅い落とし穴一つで擱座することが明らかになった。動かしている内部からは見えず警戒もできないので、回避が叶わない。


 そこに加えて橋頭堡を第六まで作らされたことも、兵を多く吸収した。

 ただ防壁を破壊し日暮れに陣地へ後退しても、雑な壁ならコボルドが夜間工事で数枚新規構築してしまうのだ。資源も、手が届く場所で無尽蔵にある。

 実際八日目にやられたザカライア側は、その後は橋頭堡を楔として小刻みに打ち込む前進を強いられていた。


 軍勢は日毎確実に村へと近付いている。いるが、それを支えてきた兵数は限界を迎えつつあった。

 予備兵力含めた野営地守備隊、そして怪我から復帰できた兵は今日の再編で全て森へと入ったことになり、今ここを守っているのは十六名にまで討ち減らされた近衛隊と、復帰が叶わなかった傷病者たちだ。

 補給部隊を護衛し続けている第七部隊には流石に手を付けられないので、これ以上は各橋頭堡の守備兵を薄く削って侵攻部隊に回し、どれだけ続けられるか……というやりくりの問題だろう。


「野営地の守りが空になっちゃいますけど、いいんでしょうか。いやそりゃ、怪我人は何十人もいますけど……ほら、ノースプレインって今、山賊団とか沢山暴れてるんでしょ?」


 心配気な顔で呟くヘティー。


「安心しろ。流石に、貴族の紋章旗を掲げた陣地を襲う、なんて度胸のある山賊は何処にもいねえよ」

「ですよねー」

「それより、近い内に前線行くことになりそうだからな。覚悟しとけ」

「ええ、何で!? 嫌ですよ怖い! それに伯爵から怒られますよ!?」

「……お前本当に騎士志望だったのか? その足くらい太い肝っ玉を見せてみろや」

「ヘティーナックル!」


 ズゴン! と猛烈な勢いでおかっぱ娘の右拳が【跳ね豚】の脇腹へ鋭く突き刺さった。

 彼女を酔わせ乱暴を試みた騎士学校先輩の鼻骨を粉砕せしめた必殺技【ヘティーナックル】である。


「ブヒーッ!? 衝撃が内臓に!?」

「我が拳の前では脂肪の鎧すら無力なのですよ、おやっさん」

「馬鹿野郎! デブでも殴られりゃ普通に痛えんだよ!」

「おっ、楽しそうだねえ」


 膝から崩れ落ちた肥満体と勝ち誇る若者の前に、突如として現れたのは金髪の雄猫(トムキャット)であった。


「てめえはっ」

「あ、顔のいい人だ」


 呑気なヘティーと違い、瞬間に【跳ね豚】の気配が変わる。


「やあ、ありがとうお嬢さん。嬉しいなあ」

「ヘティー! 陣幕へ戻れ!」

「でもおやっさ……」

「今すぐだ!」


 普段は決して見せぬ形相で怒鳴りつけるピックルズ。

 ヘティーは何事か抗議しかけたものの、その迫力に押され、そそくさと走り去っていった。


「あー。酷いな【跳ね豚】君。若い娘さんに、あんな言い方をすることはないと思うよ? 可哀想だ」

「おいグランツ野郎。ウチの若えモンに何かしやがったら、手足から一寸刻みにしてその締まりの悪いケツ穴へブチブチミチミチ突っ込んでやるからな」


 肥満ではち切れそうな右手が、明確な意図を持って帯剣の柄に伸びる。


「おいおいおい! 止してくれよ、【跳ね豚】君! 僕も君たちと同じで、気の毒な兵隊さんの見送りに来ただけだよ」


 アハハと笑いながらトムキャットは両掌を肩上に上げ、ひらひらと揺らす。

 そしてその体勢のまま、小さく去りゆく隊列の背へ顔を向け、目を細めた。


「……彼は蟲だな、と思ってね」

「ああん?」

「ザカライア君のことさ」


 鞘から刃を覗かせるピックルズに肩をすくめ、害意のないことを改めて強調する美男子。


「人の魂は暖かき園へ。獣の魂は暖かき園の周りへ。蟲の魂は冷たく暗き野へ……ってね」

「何言ってんだ、グランツ野郎」

「そうそれ。グランツの古い説話の一節さ。要は、周囲に災いを振りまくような奴は、人の心が無い蟲の魂が間違って入って生まれた人間だから、死んでも皆と同じ天国には行けませんよ~、蟲になって永遠に闇の中を彷徨うんですよ~、坊やは違うから、悪いことをしないよね? っていう説教臭い伝承だよ。僕も小さい頃、乳母から聞かされたものさ」

「ボンボンがそうだっていうのか?」

「その基準だとね」

「ハッ、テメエも蟲なんじゃねえのか?」

「蟲に変態はいないさ。だから違う」

「あ?」


 気勢を削がれた肥満体が、ブヒ、と鼻を鳴らしながら剣を収めた。ただし、左手は鞘から外さない。

 張り詰めた警戒心に部下を守る決意、そして魔法剣士であるピックルズ自身の耐性が、【魅了】の侵食を妨げているのだ。


「……【跳ね豚】君とは二度ほど戦場で会ってるよね」

「ああ」

「旧交を温めようと思ってるだけなんだけどなぁ。どうしてそんなに警戒するんだい」

「俺はお前の弟を一人斬ってるだろ。六番目の奴だ」

「ん!? あー、そうだっけ……そういやそうだな」


 心底忘れていた様子で、トムキャットは上を見上げつつ顎に手を当てる。


「とぼけやがって。ケイリーのとこに来たのも、この戦いで助太刀しようとしてンのも、ガイウスに兄貴と弟を何人も斬られた敵討ちのためなんだろ?」

「へ!!??」


 目を丸くして、豚の言葉に驚く雄猫。


「いやいやいやいや!? 違うよ【跳ね豚】君。そんな下らないことしないよ! やだなー、そんな勘違いされてたのか。うわー、傷つくなー」


 今度は、ピックルズが面食らう番であった。


「ケダモノ……いや、蟲どもを潰してくれたんだ。感謝こそすれ、恨んだりするわけないじゃないか」

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