161:決戦前日

161:決戦前日


 枯れ川の多重防御線は、それに合わせて両脇の森に罠や隠匿した防壁、防柵が張り巡らされている。ここで遅滞戦闘を行いつつ、敵軍に出血を強いるためのものだ。


『今日は敵来ないねー』


 その一枚で配置についていたフラッフが、傍らのフィッシュボーンに寄り添いつつ語りかけていた。彼らもついに一歳。ヒューマンで言えば齢十六相当の成人として、戦時の務めを果たしているのである。


『ん』


 魔杖を手にしたままゆっくりと頷く、黒毛に魚骨模様の親友。秋頃からどんどんと太り始めたフィッシュボーンは、冬毛が抜けてもふっくらとした輪郭を見せていた。だがこれはどうもコボルド族の美的感覚で加算に値するらしく、近日は毛皮の若娘たちから熱い視線を寄せられているようだ。

 一方のフラッフは、子供の頃から見た目が変わらない。いや無論背丈は伸びているのだが、成長しても毛質に変化がなく……小さな綿毛が大きい綿毛に成長しただけの、大きな子犬の如き姿であった。なお中身も外見に準じている模様で、「十年に一度のアホ面」と仲間らから評されている。


『他班の霊話の、やり取りを、聞いてみても、どこも、動きがない、みたい』

『そうなの? 今日は霊話担当じゃないから、僕全然意識してなかったや。フィッシュボーンは真面目だなー』

『ん、ほら、ブロッサムさん、とか、大丈夫かな、と、思って』


 フラッフの従姉妹アンバーブロッサムは、霊話の素養はないが同年代では群を抜いて腕が立つ。そのため彼女はもっと攻撃性の高い班に配されており、そこで戦果を上げ続けていた。先日の反転攻勢では、敵の隊長格を討ち取ったほどだ。


『あ? ねーちゃん? ねーちゃん余裕でしょ。あんなにおっかないんだし。むしろあんなのと戦わされる敵のほうが気の毒だと、僕は思うね』

『んー、そうだ、ね』


 もう一度頷きながら、フィッシュボーンも綿毛の親友へ体重を寄せる。


『それにしても敵来ないねー』

『来て、欲しい?』

『来て欲しくない』

『だよ、ね』

『でも暇だよー』

『う、ん』


 頬ずりをするように、負けじと押し返すフラッフ。


『じゃー久しぶりに勇気遊びでもしよっか。一本槍でも二刀流でも』

『いい、けど』


「よくねえよ!」と兄貴分の怒鳴り声。


『動物のフン、そのへんに、あった?』

『大丈夫。丁度僕、お便所行きたくてさ!』

『それは、止めて』


 うひゃうひゃと笑い合う二人のコボルド。


「友情って美しいですわねぇ」


 彼らを眺めつつ微笑む伯爵令嬢の隣で、ドワーフ少年が「何で俺の周りは馬鹿しかいねえんだ」と嘆いていた。



『動き、ありません』


 副官であるホッピンラビットの言葉に「そうね」と頷き、サーシャリアは大きく伸びをした。戦端が開かれて以降、就寝時以外は指揮所に詰めっぱなしなのだ。流石に、疲労の色が濃い。


「上がってきた報告によると、陣地間での人員移動や、野営地の守備兵を前線に回しているようね」


 ザカライア軍の行動範囲は枯れ川と沿岸に限定されている。そのためコボルド側の偵察兵は戦線後方である森入り口付近まで潜入し、情報を比較的容易に収集できていた。


「昼を回っても攻勢に出てこないところを見ると、今日はもう攻めてこないと思っていいわ。今から動いても、夜になるもの」


 首をゆっくりと回しつつ、息を吐く赤毛の将軍。


 アンバーブロッサムやフラッフら準第二世代の若者も続々と成人を迎え、今回王国軍の人員は戦闘員だけで百七十六名にも及ぶ。冒険者ギルドと戦った第一次王国防衛戦では五十名も用意できなかったことを振り返れば、一年足らずの期間でありながら隔世の感がある。

 ただやはり個々の格闘力は準第二世代ですらヒューマンとは大きな差があり、等号で戦力計算し得るのは親衛隊ら一部の精鋭と、殺傷力に体格が関係しないコボルド魔杖兵のみだろう。

 開戦段階で王国が所有していた魔杖は五十七本。その後に鹵獲はあるものの、当初はこの数字のみが、近代化軍と射撃戦で対峙できる実質戦力であった。


「今のうちに、こっちも前線兵の交替と休息を済ませておきましょ」


 なれどサーシャリアはむしろ大胆に割り切り、魔杖を割り当てられぬ兵は近代軍相手の遅滞戦闘で戦力にできぬと、大半を交替人員にして輪番(ローテーション)を組んだのだ。

 本来それは大軍を有する敵側の選択肢だが、多重防御線が寡兵でそれを実現させていた。今までにない長期戦はコボルド兵に心身の疲労を強いているものの、この采配が彼らの士気を支えている。

 魔杖は受け渡しで機能するし、王国の魔杖は規格統一されているため混乱も少ない。彼女が一から作り上げた軍の強みが、徐々に現実へ反映されつつあると言えるだろう。


『はい! 手配しますね』

「休めるのは今のうちだけね。日が変われば敵はきっと、大攻勢をかけてくる。その一日に賭けざるをえなくなるの。でもそれさえ凌げば、私たちの勝ち。明日は残る戦力百四十三名を全て投入して防ぐわ」

『では、いよいよ』

「やっとここまで引き摺り込んだわ……天気がいいのは幸いね、決行は今夜よ」


 地図と、その上に置かれた駒代わりの石を眺めつつサーシャリアが口にした。

 野営地や各橋頭堡から前線へ向かう敵戦力と補給部隊を示す石が、コボルド主婦らの手にする押し出し棒で時折動かされている。


『ランサーさんがザカライア軍の構成を教えてくれたおかげですね』

「そう……でもホッピンラビット、それは口外しちゃ駄目よ。ランサー卿のお立場があるからね」

『あ! はい、気をつけます』


 姿勢を正す副官の頬を、将軍がむにむにと揉みしだく。


「失礼すル」

『来たぜ嬢ちゃん~。お、いいないいな。俺にもやってくれよ』


 そこへ現れたのは、ゴブリン村長のウーゴ=ゴブを伴った猟兵隊長レイングラスだ。


『俺たちの出番だって?』

「はい。この戦いは恐らく明日明後日で決着がつくことになるでしょう。ゴブリンの皆さんと猟兵隊で、その決定打を入れていただきます」

『おう、任されて!』


 意気揚々と自らの胸を叩くレイングラス。拳がもふり、と胸毛に沈み込んだ。


「……コボルド族だけを矢面に立たせるのか、と焦れた若い衆を抑えるのに苦労していル。勝算があるなラ、兵を貸してもいイ」

『ケッ、一々引っかかる物言いをしやがる』

「……フン」

「感謝します、ウーゴさん。ゴブリン族の技術と魔法のおかげで、作戦の成功率は大きく上がることでしょう」


 長老から教わっていたサーシャリアが、ゴブリンの流儀でウーゴの右腕を軽く揺する。

 半ヒューマン相手に躊躇ったのだろう。だが緑肌の村長は、しばらく間をおいてからそれに応えた。


「しかし赤毛の将軍ヨ。知ってはいるだろうガ、我らの魔法は戦で大したことはできんゾ。お前たちの使う魔杖のほうが争いでは遥かに強イ。あれは相手を殺すことだけ追求しタ、実にヒューマンらしい道具だからナ」


 吐き捨てるように言葉を切る。

 ヒューマンから部族を守るためにヒューマンと手を組む……ウーゴの胸中は未だ複雑だろうし、整理できようはずもない。


「……だが我々でモ、そのヒューマンどもに一泡吹かせられるというのだナ?」


 サーシャリアがしっかりと頷く。

 そして説明すべく彼らに卓へつくよう、促すのであった。

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