25:におい

25:におい


 ガイウスとフォグは、村の男衆と共に狩りに出ている。

 エモンは近所の子供達を集めて、子守りの真っ最中だ。

 で、サーシャリアはどうしているかというと。


「……水汲みは終わったし、薪も集めておいたし……夕食の支度……?」


 料理の支度には全く自信がないので、手をつけないことに決めた。

「私が料理なんて博打もいいところ!仮にも騎士団の副官を務めていた者が、物資の無駄遣いなんてとんでもないですからね!」と自身に言い聞かせ、そして落ち込む。


(団長はやっぱり家庭的な方が好みなのかしら)


 溜息をついてフォグ邸の中を見回すと、今朝ガイウスが脱いだ服が隅に畳んで置いてあった。


(そうだわ!まだ時間もあるし、もう一度湖ヘ行って団長の服を洗っておきましょ!)


「ふん!は!ふん!」と謎の鼻歌を歌いながらガイウスの服を手に取り、家の外へと向かう。


 ……筈であった。

 そうすべきであったのだが、サーシャリアは動かない。いや、動けないのだ。


「……これが、団長の……」


 手に取った肌着を見つめ、ごくりと唾を飲み込む。

 そして、自身の懐に手を入れ小さな巾着を取り出した。


 その中身は、一枚の手拭き布。

 騎士団時代にガイウスが「紛失」したものを彼女が拾い上げ、ずっと肌身離さず持ち歩いていたのである。

 それはサーシャリアにとってあらゆる神を上回る御守であり、辛くなった時の心の支えであり、ややけしからん気分になる秘宝であり、時々匂いを嗅いで恍惚とするための麻薬であった。


 だが。彼女の手には今。

 その秘宝を上回る伝説の装具が握られていたのである。


(団長の……ナマッ肌着ッ!)


 再びサーシャリアの喉が鳴った。


(駄目よサーシャリア!ハンカチならいざ知らず、肌着の匂いを嗅ぐなんて変態的行為!ましてやそれを失敬しようだなんて、乙女の、ましてや元騎士の行動ではないわっ!)


 そう考える彼女の身体は既に、布地に顔を押し当て深々と息を吸い込んでいた。理性とはかくも無力なものである。


(ああ、これが団長のナマの香り……!)


 吸い込んで。

 吸い込んで。

 まだ吸い込む。

 むせる。


 普通に臭かった。


 加齢臭という奴である。あと体臭自体もきつい。

 激しく咳き込みながら「やっぱりこんなことするモンじゃないわね」と呟き、素早くもう一度嗅ぐ。理性に対して心は正直である。


 自制心を置き去りにしてかなりの時間それに費やした後。

 ひとしきりその【臭さ】を堪能した彼女が満足げに視線を動かすと、足元には興味深げに彼女を見つめる白い子コボルド……フラッフの姿があった。


「……見てた?」

『サーねーちゃんもおじちゃんのニオイかいでたの?』

「いえ、これは効率的な洗濯のために衣類の汚染具合を測るという必要な行為だからね?これにより洗浄にかける労力を必要最低限に抑えることが出来るから、時間的、経済的にとても有効なの。つまりこれで重要な資源である水の消費を抑えるとともに有限である時間の浪費を避けることが出来る訳。軍隊ではそういったことがとても大事だからね?イグリス王家直属の、歴史ある鉄鎖騎士団に所属していた私がこういう行動を取るのは必然であり必要であり運命なの。端的に言うと、この行為に不純な意図は無いのよ?」


 早口で弁解をするサーシャリア。しかしフラッフは首を傾げるだけで、言っている意味は全く分かっていないらしい。サーシャリア自身が何を言っているかサッパリ分からないのだから、当たり前である。


『ボクもおじちゃんのふくのニオイ、つい、かいじゃうんだけど。すごくクサイよねー!』


 うひゃひゃ、と子供笑いするフラッフ。


「え?ええ……」

『だよね、クサイよねー!』

「そ、そうね。そうかもね。クサイわよね。あはは」


 乾いた笑いをあげて、フラッフに合わせるサーシャリア。

 しばらく二人がそうしていると、フラッフが耳をピン、と立て、サーシャリアとは反対の方向を向いた。


『あしおとたくさん!おじちゃんたち、かえってきたね!もうちかくだよ!』

「え、ええ。そう?じゃあ、やっぱりお洗濯は明日にしようかしら?オホホホ」


 フラッフは『うん!』と返事をすると、家の外へ駆け出していく。


(何とか誤魔化せたわ……)


 安堵により、サーシャリアの肺から空気が押し出されていった。


『おじちゃん、おかあさん!おかえり!』

「おやフラッフ。ただいま。今日はお母さんが一角イノシシを仕留めたんだぞ」

『すごーい!』

『いやー、ガイウスから貰った剣がすごい切れ味でねえ』


 ガイウスやフォグ達の声が壁越しに聞こえる。どうやら無事に猟を終えたらしい。

 サーシャリアも迎えに出ようと、玄関へ向かった矢先。


『あのね、おじちゃん!サーねえちゃんもおじちゃんのことクサイっていってたよ!』


 サーねえちゃんは、家の中で盛大にすっ転んだ。



『よし、肉が焼けたね……って、あれ?エモン、そう言えばガイウスは何処行ったんだい?』

「ああ、オッサンなら身体を洗いに、水浴びに行ったぜ」

『はぁー?わざわざこんな時間にかい?』

「さあ?えらい落ち込んでたけど」

『何でまた?まあいいや、先に食べちまおう。ほら、サーシャリア。その肉はもう火が通ってるから、焦げない内に取って』

「あは、あはは。はぁ……いただきます……」


 原因を作った元女騎士はそう力無く笑い、おずおずと串に手を伸ばすのであった。

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