73:赤い甲冑
73:赤い甲冑
「本当に、これをお使いになるのですか」
自己主張の強い茶色の癖毛を揺らしながら、その若い騎士……セリグマンはワイアットに尋ねた。
武器庫の奥部屋に薄く積もっていた埃が、彼の動きで浮かび、散る。
「危険です、ワイアット様。これをお使いになるなんて」
そういってセリグマンが指差した先には、鎧立てに赤い徒戦用甲冑が掛けられていた。
一見、旧来からある全身鎧のようにも見えるが。実際触れて叩いてみれば、要所を除いてかなり金属が薄く、場合によっては肉抜きまでされて軽量化が施されており、魔杖兵が戦場に現れた五年戦争以降の流行である「魔術支援を要する程の重装甲か、機動性を確保した軽量化か」の傾向に従った防具作りであることが分かるだろう。無論この場合は後者であり、胴以外の箇所は防御には役立たぬ飾り同然の代物である。
ならばいっそのこと胴や胸甲だけにした方が実用的であるが、敢えて全身を覆っているのには理由があった。
「これを使う局面にはならん。だが、もし使うような状況であれば、その時こそこれが必要となるのだ」
ワイアットの指が、赤い塗装の装甲に刻まれた黒紋様を撫でる。
……魔術印。
呪術師による呪印の仕組みを、魔術用に改変・応用したものだ。
近年注目されている魔杖とは、ミスリルを含んだ金属杖に魔術の刻印を施し、「体内で魔素を練り上げる」という工程を杖自体に行わせる機構である。これにより一種類に限定されるものの、魔術を加工する素養すらない一般人でも魔杖さえあれば攻撃魔術を放てるのだ。その有用性は、軍事に関わる者であれば誰でも容易く気付けるだろう。
それが認知されて以降の各国は、魔杖、ひいてはその原料たるミスリル銀をこぞって集めている。今まで所蔵していた魔剣を潰してミスリルを抽出する事例すら、珍しくもなかったのだ。
そしてこの鎧は、いわば魔杖を全身に纏うような物と言えた。ただし刻まれた印は攻撃魔術ではなく、強化の術式である。防御のためではなく、装着者の動きと力を強化するための鎧。攻性甲冑とでも呼ぶべき一品だ。
イグリス王国の技術部が研究の一環で作った試作品かつ失敗作の一つを、ワイアットはずっと以前に裏のツテを通じて入手。試用したうえで、死蔵していたのである。
「ですが以前着用して、お身体を痛めたではありませんか。火傷に骨折、関節も」
失敗作、というのには理由があった。
魔術印を発動する機構たらしめるためにはミスリル銀を混ぜ込む必要があるのだが、魔杖を多数作れるような量を必要とするために、製造コストと費用対効果が全く見合わない。
そして……この攻性甲冑は全ての負担を人体へ押し付けてしまうことである。動きも、重みも、そして発動した魔術印が発する熱も、だ。
純度の高いミスリル合金を用いれば解決出来るという説もあるそうだが、それこそ非現実的極まりない話であった。
「あの時は常時発動させたからああなったのだ。だがおかげで、限界も掴めた。俺の身体も、この鎧も。今度はもう少し上手くやれるとも」
「何も御自身で使わずとも」
「ならばお前が使ってみるか? セリグマン」
「……ご冗談を」
片眉を上げて、首を振る。
「それよりも、準備は大丈夫か」
「ええ。食料、水、それを運ぶ馬車、人足。予定通り、明日の出発に間に合いました」
「結構」
セリグマンは姓こそあるが、平民出の騎士だ。
出自も手伝ってワイアットからは目をかけられており。彼自身も上昇志向の強い、有望な若者であった。
「ギリギリまで調整を行ったことで、かなりの所属冒険者を用意出来ました。経費もこちら持ちですし、報酬も弾んでいますから。手柄を立てて報奨金を得ようと、意気も上がっている様子です」
「そうか。冒険者同士の連帯感が薄いことが、却って先の敗北を他人事と思わせているのだろうな」
「彼等にとって、自分のグループ以外は商売敵でもありますからね……で、問題のあった者を除いても298名。さらに他所から臨時で雇い入れた者達も加えて、戦闘員の総数は325名になります」
彼等の主たるジガン家長女ケイティに対する隠蔽もあって、コボルド達の中にガイウス=ベルダラスが居たことについては、先の参加者へ厳重な箝口令を敷いてある。金も遣った。そうでなくては【イグリスの黒薔薇】の名を聞くことで、オーダーへの参加を渋る者がもっといただろう。実際、ペナルティを承知で再出撃を拒否した者も居たのだ。だが、説得する手間や時間はない。
いくら金を撒いても、人の口に戸は立てられない。ましてや相手は数十人の冒険者である。ワイアット達は、計画がガイウスに露見したことについて主君の耳に入る前に、決着をつける必要があったのだ。
時間的にも、このあたりがギリギリの線だろう。
村は焼き払う。コボルド達を殲滅する。ガイウスも討ち取る。
(隠滅さえしてしまえば、どうとでも取り繕えるさ)
もう一度紋様をなぞりながら、ワイアットは心中で呟いた。
「あれを始末せねば、我々もケイティ様も破滅だ。必ず……必ず殺すのだ」
……いや、違う。そうではない。
勿論それもあるが、ワイアットを突き動かすこの煮えたぎるような感情は、それには由来していないのである。
自分を愚弄したあの男を、否定したあの男を。尊敬もしていた英雄を。
自らの手で、いや、自分が築いたもので叩き潰すのだ。
職権を最大活用、濫用し。用意できる駒は最大限揃えた。
私財も全て投入してある。
構わない。構うものか。それが一体、何程のものだというのだ?
お前を討たねば、私は自分を肯定出来ない。
お前を消さねば、私は自分を認められない。
ガイウス=ベルダラスよ。
私は……いや。
俺はお前を殺すことでのみ、再び前へと進めるのだ。
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