150:人間の証明
150:人間の証明
ケイリーがランサーを書斎へ招いたのは、その翌日だ。
女主君は茶を運ばせた後に侍女らを下がらせ、少し間を置いてから話を切り出した。
「ランサー、ここには妾とお前、二人しかおらぬ。だから正直に申せ」
「は、はい」
大方叱責の呼び出しと誤解しているのであろう。落ち着かない様子で周囲の本棚に視線を巡らせるショーン=ランサー。その頭には包帯が巻かれ、左腕は三角巾で吊られている。
五年戦争の昔から戦上手の評判を一切聞かない彼であるが、ランサー家当主の務めとして、対ドゥーガルド派の前線で泣く泣く槍を振り回してきた結果であった。武勇ではなく、兵卒らへの遠慮が原因というあたりが、いかにもこの男らしい。
「お前は、【犬】共のことをどう思う」
冴えない中年貴族は一瞬驚いた表情を浮かべたが、しばらくして意を決したのだろう。表情を引き締め、毅然とした口調で答え始める。
「……コボルドらは、あくまで【大森林】に住む原住民に過ぎぬでしょう。外への野心も無く、ただ森の中に生きているだけの存在かと。しかし樹海での戦闘力は侮れぬものがあり、手出しをすれば無用の損害を被るかと存じます」
その内容は、主君の思惑にとってほぼ満点に近い回答であった。
やはりこの男はあの雄猫に感化されていない……ケイリーは、そう判断したのである。
「ベルダラス『卿』はどうじゃ? 妾とドゥーガルドのことについて、何か申しておらなんだか」
「はあ……? いいえ、特には」
「そうか、ならばよい」
首を傾げるランサー。彼は、ケイリーとワイアットが内紛のために打った芝居を知らぬ。
「ベルダラス卿は、これ以上ケイリー様と争う気は無いようです。先の戦いはどれも自衛のためであり、それ以上のことは望まぬと」
「うむ。マクイーワンからも聞いておる。お前自身も言うておったな。彼奴らに手出しさえせねば、交渉次第で恭順させることも可能であろう、と」
「は、その通りでございます」
普段とは違い、強い調子で頷く。
(分かりやすい男よのう)
小さく唇を歪めるケイリー。対面する家臣は、その意味に気付かない。
「だがランサーよ、お前も知っておろう? 近日家中で、トムキャットめがコボルド討伐を煽っておるのは」
「は、はい……マニオン卿も先の雪辱を果たすべく同調し、積極的に支持を集めています」
「ロードリックだけではない。お前の返還交渉に行かせたマクイーワンとて、今ではあの雄猫に賛同しておるのだ」
ランサーが苦い顔で相槌を打つ。
「しかしな、妾はコボルドどもの存在を許してもよいと考えておる」
「ケイリー様……!」
「統治者としての体面で一度は討伐軍を差し向けもしたが、本心では無益な戦など望んでおらぬ。事実多くの兵が斃れ、それどころかロードリックやお前も危うく命を落としかけたではないか……!」
無論これには嘘が混ぜられている。しかしランサーは裏の事情など知らぬため、目を潤ませながらそれを聞いていた。
「なれどな。家中がこのような雰囲気になっておると、妾も言い出しにくいものじゃ。皆、ジガン家の面目を慮って言っておるだけにのう」
「は、はい。お察し致します」
「そこへ来て、あのグリンウォリック伯のコボルド討伐よ。これに関しては妾はもう、どうすることもできん」
「ええ……」
中年貴族が肩を落とす。
女主君はその目の前に、紐で纏められた書類をゆっくりと置いた。
「グリンウォリック伯がノースプレイン内を往来するにあたって妾に差し出したものの写しじゃ。くれてやるから後学のため読んでおけ。戦闘人員だけで五百を超えた堂々たるものよ」
「ご、五百ですか!?」
それは「他領内で軍事行動」という無理な願いを通す一環で、二心無しとザカライアがその陣容を詳細に提出したものであった。書面には総兵数に参加騎士の一覧、軍事顧問名、兵科、魔杖本数、糧秣量などが詳細に記され、なんと魔剣の目録すら付いている。
加えてこれから行う調査日程なども書かれており、遠征軍の編成、今後の行動ほぼ全てについて知りうる機密情報といえた。
ランサーが目を丸くして書類を読んでいる間にケイリーは席を立ち、窓際へ歩いて行く。
「先方の遠慮もあり、今回我が軍からは案内人程度しか出さぬが……それでも大軍よのう」
「はい……」
ケイリーは窓の外へ視線を投げたまま「しかしなあ」と一言置き、
「もしコボルドどもが伯爵の軍までも退けたら、流石に我が家臣団も頭が冷えるだろうなぁ……」
独りごちるように、そこへ言葉を連ねたのであった。
それを聞いたランサーが、はっとした顔で主君の背中を見つめている。
「ああいかんいかん。話が逸れたな」
ホホホ、と一笑いして振り返るケイリー。
「マクイーワンがあんな調子なのでな。コボルド集落との折衝を代わりに受け持ってくれそうな者に心当たりがないか、今日はお前に聞こうと思っていたのだ」
「その役、是非私めにお命じ下さい!」
立ち上がり、力強い声でランサーは申し出た。
「ホホ? そうかの。そこまで申すのであれば、彼奴らとの交渉、お前に一任しよう。思うようにやってみよ」
「ありがとうございますッ!」
……この男こんな顔もできるのか、と。
主君として若干の嫉妬を覚えつつ、それでも彼女は目論見通り進んだことに満足して、もう一度頬を歪めるのであった。
◆
「ラ~ンサ~く~ん」
廊下を足早に歩く中年貴族を、近日武勲華々しい美男子が呼び止めた。
「うへ、トムキャット殿」
「うへって……傷付くなあ」
「ああいや、失礼致しました。他意は無いのです」
「アハハ。君と僕の仲じゃないか。気にしてやしないさ」
馴れ馴れしく肩に腕を回した金髪男が、バンバンとランサーの背を叩く。
「ところで、いいワインが手に入ったんだけど、また一緒に飲まないかい? 君が孤児院を建てた時の武勇伝、続きを聞きたいなあ」
「ご勘弁を。あれは代官時代に勝手をやって先代候から役を解かれた、苦い記憶です」
「そうなのかい? いやー、でも、僕ぁ君みたいな奴は好きだなあ。もっと親交を深めたいと思ってるんだよ」
「ははは……ではまたの機会に。今も丁度ケイリー様からお役目を頂戴致しまして、すぐにでも発たねばならんのです」
掌が後ろを打つ度に体を揺らしていた中年貴族は、弁解の口上を述べてから軽く咳き込んだ。
「お仕事って何だい」
「え!? いや、それは、その。主命ですので? おいそれと、私の口からは」
「えぇ、つれないな。教えてよー」
「ご容赦下さい……あ! それよりトムキャット殿、先日我が家で飲んだ時に持ち帰られたアレ、また返して下さいよ?」
迫力を帯びた笑顔で詰め寄られたランサーが咄嗟に話をすり替え、切り返す。
「ああ、ごめんね。ちょっと珍しかったんで、久しぶりに知的好奇心が疼いちゃったのさ。知っているかい? 僕、こう見えて学者だったんだぜ」
びしっ! と音が鳴りそうな勢いで、トムキャットが親指を立てる。
「それはかなり意外ですな……」
「アハハ! 君も言うなあ」
実に愉快そうな声を上げて、美男子は中年貴族の背をもう数度叩く。
「ま、ケイリーちゃんからのお仕事じゃあ、仕方ないね。頑張ってきなよ。でも時間が取れるようだったら、絶対また飲もうね。約束だよ?」
ランサーは苦笑いしつつ、断り切れぬとばかりにその誘いに頷いた。
◆
「いいのか……あのまま行かせて」
去り行く背中を眺めていたトムキャットに、後ろからの声。
いつからいたのだろう。廊下の角より半身を覗かせたその人物は、鉛色の髪を揺らしながら問いを重ねた。
「奴はきっと……お前の企みに……沿わないのではないか」
「そっちこそいいのかい、アッシュ。こんな所で油を売っていて。調査への出発は明日なんだろう?」
「準備は伯爵の……家来がしている。オレの……出る幕ではない」
吐息を漏らすかのように、言葉を連ねていくアッシュ。
音吐は確かに男性のものだ。だが響きには渋みが無く、少年の声にも似ていた。
「先の男……手を出しにくいのなら……オレが始末しても……いいが?」
「駄目だ」
「何故……だ」
「僕は結構、彼を気に入っている」
ランサーが立ち去った方向へ顔を向け、小さく唸る鉛髪。
「なるほど……ああいうのが……好みか。見習うと……しよう」
「アハハ。別にそういうわけじゃあない」
金髪猫は腕を組み、アッシュと同じ方向へ視線を投げ。
「彼は僕に、初恋の人を思い出させてくれた」
しみじみと、感慨深げに呟いた。
彼とは別種の美貌を持つ鉛髪は、やや呆れた表情を浮かべそれを眺めている。
「【魅了】の効果を貫通しそうな……気色の悪さだ……家中で変態と思われぬよう……気をつけた方が……いい」
長い睫毛を伏せ、アッシュは頭を振った。
「アハハ。そんなに変態っぽかったかな?」
今度は縦に、振られる頭。
「ふふふーむ」
「気を……悪くしたか」
「いや逆さ、良い。実に良いね」
ウキウキとした顔で腕を組み、顎をさするトムキャット。
「……嬉しそうだな」
「いやあ、そりゃあ嬉しいさ。変態って言われれば普通、見識のある者なら誰だって喜ぶよ」
「……分からない」
「分からないのかい?」
再び頭を振ったアッシュに、金髪猫がしたり顔で説明する。
「……だってそうだろ? 『変態』っていうのは、ヒトである証左だからね!」
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