149:グリンウォリックから来た男たち

149:グリンウォリックから来た男たち


「ベルギロス家の恥を雪ぐためにご協力いただき、感謝に堪えません」


 ケイリー=ジガンに対座し微笑んだのは、雪解けも早々にフォートスタンドへ訪れた招かれざる客。ノースプレイン侯領の東隣であるグリンウォリック伯領を治めるベルギロス家当主、ザカライア=ベルギロスだ。

 ガイウス=ベルダラスと姓が紛らわしいが、そこには多少面倒な事情がある。


 ガイウスはザカライアの伯父……先々代当主ドレルが半トロルの女戦士に生ませた私生児だ。母親は貴族社会を嫌って息子と共に失踪していたが、その死と共に所在が発覚。ガイウスは、当時当主に連なる唯一の子として家に連れ戻された。

 だがそれを良しとしなかったのは、ドレルの弟マルコムである。彼は重病の床にあった兄の逝去を待つと、母親の身分が低いことを口実にガイウスを家から放逐し、自らが伯爵位と門地を継いだのだ。

 その後ガイウスが亡母の縁で当時のイグリス王妃に拾われ、小間使いの身から姫の警護役、そして騎士にまで立身し、さらには戦場で名を馳せるまでに成長したことは……ベルギロス家にとっては皮肉な話とも言える。

 ガイウスのベルダラスという姓は当時の王から下賜されたもので、元々は大昔に断絶したベルギロスの本家筋だ。そもそも似せて作られた家名だけに、響きが紛らわしいのも道理だろう。


 彼はそんな経緯のあるベルギロス家で、老境のマルコムから家督を継いだ現グリンウォリック伯であり、先々代の息子ガイウス=ベルダラスの従兄弟にあたる人物なのである。


「ノースプレインにて我が軍の行動をお認め下さるという、無礼極まる申し出をお許しいただけるとは」


 芝居がかった身振りで、言葉を連ねるザカライア。

 馬上槍試合の名手という評判を納得させる体躯。その太い腕が動く度に、きつい香水の匂いが周囲に振りまかれていた。


「生前、妾の父も先代グリンウォリック伯とは懇意にさせていただいておりました。代が移ったとてそれは同じ。お力になれるのは、光栄です」

「おお、流石はイグリス貴族の名門ジガン家の御当主。寛容なお心に、小生、感謝の極みです」


 仰々しく礼を述べるグリンウォリック伯。

 ケイリーより十以上年長の彼であるが、ベルギロス家よりもジガン家の方がずっと家格が上であるためか、その態度は必要以上に恭しい。


(ドゥーガルドにも同じことを言うておるくせに)


 ケイリーは内心で舌打ちする。

 来るなとただ突っぱねるのであれば、誰にでもできる。だが「許す」という墨付きを与えられるのは「領主」にしか叶わぬ権能だ。そして内外にその意図と実績を示し、恩を売る機会を弟が見送るはずもない。そもそもどう転んでも、ドゥーガルドの腹は痛まないのだから。


(だが事情は妾も同じ、か)


 ティーカップに口をつけながら、ケイリーは内心で舌打ちする。

 彼女が完全に弟一派を駆逐し正式にノースプレイン侯爵となっていたならば、間違いなくこんな要求は拒否しただろう。面子よりは利に重きを置くケイリーとはいえ、その許容を超える干渉だ。

 しかし弟が認めた以上、対抗せざるを得ないのが彼女の現状でもあるし、隣国領主がドゥーガルドを支援する事態など招きたくもない。

 無論それは常識ではあり得ぬ展開だ。だが感情だけでそういった暴挙を取りかねない危うさが、このザカライアという貴族にはある。ケイリーはそう見做していた。


(くだらぬ。銅貨一枚の利にもならぬ行為に、ここまで入れ込むとは)


 要するにザカライア=ベルギロスは、【イグリスの黒薔薇】の存在自体が厭わしいのである。

 グリンウォリックでは彼が爵位を継いだ現在でも、隠居した先代が領政の実権を握り続けるという、言わば二元政治の状況が続いていた。

 あるいはそれは、ザカライアにはまだ領地を取り回す経験が足りぬ、という親心から来る体制であったやも知れぬ。だが家来や民からすれば、今代の力量不足を疑う材料としては十分であろう。


 ……【イグリスの黒薔薇】が、グリンウォリックを継ぐべきだったのではないか?


領主に未だ迷子紐が付いている一方、追放された「本来の跡継ぎ」が南方諸国群に名を馳せた英雄となっているのである。それは臣下領民にとり、必然の疑問であった。彼らがそう考えるのだ。無論他の大貴族も、思うことである。そして当然、その空気がザカライア当人に伝わらぬはずがあるまい。

 認めるわけにはいかぬ劣弱意識と積もり重なった鬱屈が、【イグリスの黒薔薇】による辺境占拠という奇貨をもって暴発したのだ。イグリス王国鉄鎖騎士団団長ガイウス=ベルダラスを殺すのは到底許されることではないが、賊徒の首魁となれば話は別である。


(それ故に、他領に討伐軍を乗り入れるという無理を押し通したのだ、この俗物は。そしてベルダラスの首級をもって、グリンウォリック当代としての実力を父親と世間に誇示するつもりなのだ)


 ケイリーはそう見ていたし、そこまで難しい推理問題でもない。実際それは、正鵠を射ていた。


(しかし面倒以上に不穏なのは、あの女……いや、男か?)


 そう思わせたのは伯の後ろで壁際に控える、鉛色の長い髪を垂らした人物だ。歳は二十代の半ばといったところか。軍装だが、男女どちらにもとれる中性的な美しい顔立ちをしている。

 ザカライアが彼の食客「アッシュ二世」と短く紹介したのみで、満足に言葉も交わしていないものの……ケイリーは同じ空気を吸っただけで、この麗人がザカライアを唆し、扇動したのだと直感的に嗅ぎ取ったのであった。


(トムキャットと、同じ気配がする)


 あの雄猫が古代彫像の乾いた美しさであるなら、この鉛髪は夜雨に濡れた花の如き妖しさと言えよう。しかし対極ながらも滲み出る共通の違和感に、ケイリー自身も知らぬ彼女の魔法素養が反応したのだ。


(奴がこの鉛色を使って、事態をここまで拡大させたに違いない。妾がベルダラス討伐を渋ると知った上で、このような策を弄しおったのだ)


 ザカライアの黒薔薇嫌いは有名である。グランツ人のトムキャットであろうと、少し探れば容易に知れる話だろう。

 予想以上の面倒を引き起こす拾い猫に、思わず奥歯を食いしばるケイリー。目の前に誰もいなければ、卓上のティーカップを壁面へ投げつけていたやもしれぬ。

 なれどここで彼女は昨年同様、逆境を逆用する考えに至ったのである。


(……いいだろう。妾を自分の都合で動かすというなら、それをこちらも利用するだけのこと。最終的に妾の益に沿うよう、猫自身も、猫の思惑も御してみせようぞ)


 思索にふける彼女の前で、怪訝な表情を浮かべているザカライア。


「いやこれは申し訳ない。多少疲れが出ておりましてな」


 ケイリーは自失を謝罪しつつ、頭の中では次に打つ手を既に定めていた。


(……そうだな、ランサーがいい。あのお人好しに、一役買わせるとしよう)

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