146:雪の思い出

146:雪の思い出


 やはり例年よりやや早い雪にて、王都【コボルド村】も一夜で銀世界と化した。

 幼子たちは競って新雪に飛び込み、駆け回り。年長の少年少女らも伯爵令嬢の主導で雪合戦をして遊んでいる。

 そんな様子を眺めているのは、サーシャリア、ガイウス、エモンの順で並んだ三人だ。


「食料も薪も春まで減る一方だと思うと背筋が冷たくなりますけど、これで冬の間は攻められる心配はありませんね」


 王国将軍が一安心したように語りかける。膝の雪を払いながら、「そうだね」と頷く主。


「へっ! 何度攻めてきたって追い払ってやるさ! 親方に打ってもらった俺の新しい剣で、バッタバッタと斬り捨ててやらぁ!」


 反対側に立つ少年は、勇ましい声を上げつつ剣を振る仕草を見せた。


「調子にのっちゃって、馬鹿。私たちは和平を目指すんだから、そんな機会無い方が良いのよ」


 弟を諭すように、サーシャリアが人差し指を振る。


「でも向こうから攻めて来たら、やり返すんだろ?」

「まあ、そりゃあね」

「だろだろ? そん時こそ大将首を挙げて、俺の華々しい武勇伝の一ページに書き加えてやるぜ。アンナさんにも、カッコイイ話ができるしな!」

「お馬鹿」


 ごつん、とサーシャリアの拳がエモンの頭を打つ。


「エモンよ。戦の話など、自慢にするものではない」

「けっ、オッサンはもう武勇伝沢山あるだろうからいいけどよ、大勇者を目指す俺はこれから作らなきゃいけねえんだぜ!?」


 少年は一気にそうまくし立てたが、やがて怪訝な表情でガイウスを見上げた。


「……ってオッサン何だか、元気ねえな?」

「そうかね」

「雪、嫌いなのか?」

「嫌いではないが、あまりいい記憶がない」

「ははーん。さては女に振られた話だな?」

「そうだな。確かに振られた話だな。置いていかれたよ」

「隠すなよ、話してみろって」

「!?」


 やりとりを聞いた赤毛の将軍が、物凄い形相でコボルド王を凝視している。

 ガイウスはそれには気付かず、考え込むような表情でしばらくエモンの顔を眺めていたが……やがて何かを決めたのだろう。一人頷いてから、少年の問いに答えたのであった。


「五年戦争の時、敵中に孤立した」

「お、何だ武勇伝じゃねえか! 面白そうだから教えろって」

「ちょっとエモン!」


 サーシャリアが少年を嗜めるが、ガイウスは雪野原に顔を向けたまま話を続ける。


「あれは四年目、秋の終わりだ。敵の後方撹乱の任を帯びた鉄鎖騎士団は、『慣れている』人員を選抜して三隊ほどゴルドチェスター中西部へ潜り込ませていてな。その内の一つに、私もいた」

「おおー、それっぽいな! で、で?」


 エモンが興奮した面持ちで、続きを促す。


「その頃の敵連合は……まあ、イグリス側もそうだったが……同時期に大きな衝突が幾つもあったため、それらに注力して各拠点の物資集積が滞っていたのだ」

「ほーん」

「エモン、貴方よく分かってないでしょ……」

「冬は荷馬の餌を用意するのも大変だし、道が泥濘むこともある。病も多い。まあ、様々な理由で交通が滞るのだ。大雪が降ればとどめだな。だから往来が困難になる前にと、両陣営は輸送に躍起だった」


 少年は腕を組みながら、相槌を打っている。


「だから、それを狙ったのだ。当時まだゴルドチェスターの半分は敵の支配下だったが、元々はイグリスの地方領。団内には土地勘のある者もいて、我々は森や山に潜んでは敵の輸送隊を襲い続けた」

「何だか騎士団っぽくねえなー」

「元々鉄鎖騎士団は、王直属の何でも屋という性質が強くてな。特に当時は、こういうのも領分だったのさ」

「ああ……それでオッサン、罠や仕掛けや不意打ちやらが得意なのか」


 凶相の男が頷く。


「まあ実際、効果は予想以上に大きかったよ。冬越えの物資を確保できず、その後敵が拠点を焼き捨てて後退した例まで出たのだが……私のいた隊は運悪く、予想外の戦果を挙げてしまった」

「……グランツの第一王子、ですよね」


 少年への語りを横で聞いていたサーシャリアが、言葉を添える。ガイウスは「うん」と穏やかにそれへ答えた。


「偶然、本当に偶然だ。うちの隊が敵圏内深くで奇襲した少数の敵集団……それがたまたま、移動中のグランツ第一王子ルーヴェ=グランツの一隊であったのだ。しかも我々は……私は、気付かずにそれを討ち取ってしまった」

「おー、いいじゃん。大将首だろ? 何の問題があんだよ」

「勿論、大局的にはイグリス側の好材料だ。【金獅子】は勇敢で有能な将であったし、王子の戦死が敵を動揺させたのは間違いない。結果的にそれは、味方の損害を抑えたのだろう」

「大手柄じゃねーか」

「私も資料の知識だけですが、そう思います。ルーヴェ=グランツの退場は、その後のスネーク・ブッシュの戦いにまで大きく影響を及ぼしたはずです」

「うん。だが、それが隊の首を絞めた」


 ガイウスの視線の先で、ナスタナーラが子コボルドらから雪玉の集中砲火を受けている。


「【金獅子】は長男だからではなく、グランツの家風で王位継承第一位と見做されていた程の男だ。それを守れなかったとして彼の部下は責を負わされ、戦略を度外視し戦線を縮小させてでも、私の隊を追ったのだ」


 吐息。白く染まった景色に聞こえる、子供たちの歓声。


「我々の撤退は間に合わなかった。折しも早雪かつ、その年一番となる大雪が重なってね。足止めを受けたのだよ」


 雪原では、伯爵令嬢が雪を掬い上げて周囲の毛玉へ振り撒いている。


「それでも隊は何度も追撃を退けつつ後退を続けたのだが、過程で部隊のほとんどは怪我や寒さ、病で戦闘不能となり……現地の人々がスノーケープと呼ぶ険しい山、その洞窟に十七名がやっと身を隠した翌朝には、まとも動ける者はもう、私を含めて三名しか残っていなかった」


 後頭部を掻く音。


「山は包囲されていたし、降伏しても嬲り殺しにあうのは目に見えている。かといって隊が冬を越せるほどの物資は、当然持っていなくてね」


 ガイウスはやはり、視線を動かさない。


「あれはスノーケープ山に入って四日目だったかな。我々三人が罠を仕掛け終えて洞窟に戻ると、中の戦友たちのほとんどが死体となっていた」

「敵が、隠れ家に攻め込んできたのか?」

「いや。まだ息のあった隊長は、我々に食糧を遺すための自裁だと言ったよ」


 言葉を失う、ドワーフと半エルフ。


「死にきれなかった者らは、おそらく怪我と寒さで力が足りなかったのだろう。しかし助かる状態でもなく、私が皆を介錯した。それから約一ヶ月後、味方の前線が進み包囲が崩れたことで、我々三人は脱出に成功したのだ」

「なあひょっとしてオッサン、【人食いガイウス】って……」

「ちょっとエモン!」


 叱りつけるように叫んだサーシャリアへ、僅かの間ガイウスが微笑みかける。


「私が戦友や敵兵の肉を食らって生き延びたのでは、という疑惑から発したものだな。仲間が遺した食糧や、敵の追撃隊から奪った物資で生き延びたのだから、同じことだ」

「私……王城の戦史資料室で記録は結構読んだはずなのですが……その山のことは、知りませんでした」

「王家直属の騎士団としては、あまり体裁が良い話ではないからね。当時の陛下や将軍閣下がスノーケープ山での戦闘記録を抹消なさったのだ。同時期に苔砦(フォート・モス)という遥かに凄惨な戦場が存在したこともあり、私がそういった意味で【人食いガイウス】と呼ばれることも、やがてなくなった」

「そうだったのですか……確かに。フォート・モスの記録も資料室にはありませんでしたが、あれはそれなりに知られていますものね」

「フォート・モスを陥落させたのは、先代のノースプレイン侯だからね。イグリス王城の資料室に、詳細な記録は無いと思うよ」


 ガイウスはもう一度「フォート・モス、か」と呟き、何かを思い出した表情を見せたが……すぐに平静の顔に戻り、視線を雪上の子どもたちへと向け直す。


「なあ、オッサンよ」


 すっかりと肩を落としたドワーフ少年が、おずおずと尋ねる。


「オッサンと一緒に生き残った奴らは、今はどうしてんだ?」

「山を降りた後、三月もしない内に二人とも自殺したよ」

「「えっ!?」」

「あの山で生き残ったことに、耐えられなかったのだろう。私たちを快く思わぬ者や、戦死者の遺族からも随分と責められた」

「で、でも! 隊の方々は自身を犠牲にしてでも、御三方に助かって欲しいと願ったのでしょう!? なのに、なのに……」

「どうだろう」

「どうだろうって……」

「洞窟の遺体の一部には、明らかに抵抗した跡があったからね」


 エモンとサーシャリアは、再び絶句した。


「エモンよ。戦は華々しい英雄譚の舞台というだけでは、決してない。それは覚えておきたまえ。そしてまあ、あれだ。そんな物を頼りに御婦人は口説けぬということさ。ははは」


 笑いながら腰を屈め、ガイウスが少年の頭をガシガシと揺さぶる。


「オッサンは……」

「うん?」

「オッサンも他の二人と、同じように思ったのか?」

「エモン! よしなさいッ!」


 少年を平手打つため踏み出したサーシャリアの頭を、もう片方の掌で優しく撫でるガイウス。


「うんまあ、私も彼女たちと同じ気持ちだったよ。ただ……」

「ただ?」

「その時ちょっと、人を待たせていたからね」


 首を傾げたエモンの頭をポンポンと強めに叩き尻餅をつかせると、ガイウスはもう一度笑い、雪原の子供らの方へ歩いていく。


「おーい、王様も混ぜてくれないかなー!」

『『『いいよー! 王様が鬼ね!』』』

「え?」


 よく分からないルールで雪礫の十字射撃を受けるコボルド王の背中を、赤毛の将軍と少年大臣は、無言のまま見つめ続けていた。

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