147:さらなる波紋

147:さらなる波紋


 ぎぃ、と。

 主に深く背を預けられ、華やかながらも古いその座椅子は小さな声を上げた。


(あの男は一体何を考えているのか)


 白く染まった窓の外へ目を向けつつ、息をつくケイリー=ジガン。傍らの侍女がそれを、心配そうに眺めている。


 ……後継争いの戦況は優勢だ。勝ちつつあると言っても良い。

 駒の動かし方さえ間違えねば、後は時間と損失の問題だけだろう。事実ケイリーの思考は既に、戦後処理問題へと移りつつある。


 指し手の彼女が持つ最も強力な駒が、トムキャットであることは疑いない。枝から果実をもぎ取る気安さで首級を持ち帰るあの雄猫は、最早ケイリー陣営には欠かせぬ存在となっていた。グランツ人に対し遺恨薄き世代には、彼の武勇へ憧れを抱く者も少なくない。

 地位を欲さず、頑なに前線の一騎たることを望む姿勢も古参家臣の警戒を解いた。自分たちの立場を侵さぬのなら、腕の立つ戦士は大歓迎というわけだ。まあ、理屈は合っている。


 無論それらは、トムキャットの強力な【魅了の呪い】に依るところが大きい。あれは失われて久しい神秘であり、一般の魔法技術者ではその深刻さを見抜ける代物ではないのだ。

 それでもケイリーが彼を訝しんでいられるのは、立場と性格に加え本人も知らぬ高い魔法の素養、そして直感的な警戒で距離を置いているのが幸いしたのだろう。家来ほど、彼女はその影響を受けていない。


(心配していた、家臣らとの軋轢が無かったのは良いのだが)


 ……ケイリーが懸念しているのは、内戦の勝利が見えた家中で高まる「ジガン家の名に泥を塗ったコボルドを討つべし」という機運である。

 その発信源がトムキャットであることを、流石に分からぬケイリーではなかった。


(そもそも妾の下に来たのが、ベルダラスへの恨みを晴らすためだったか)


 戦時中、二人の間に何があったかなど彼女は知らぬ。しかし彼らの立場と経歴、そして状況を鑑みれば、それが最も自然かつ当然の推理であった。ケイリーがガイウスとの争いを公表したことによって、積年の復讐を果たす場を得たのではないか、と。

 それならまだ、雄猫の奇行に説明がつく。たとえ、ケイリーの価値観では理解しがたいものだったとしても。


(面倒なことをしてくれる)


 割に、合わないのだ。

 ケイリーは既にあの件に対し「辺境を占拠したベルダラスと武力抗争中である」と知らしめることで手を打った。打ったと思っている。

 それ故、もし【イグリスの黒薔薇】が陰謀を告発したとしても、今の彼女ならば宣伝戦と強気に跳ね除けることができるだろう。それはつまり、ケイリーにとってコボルド王国の危険性と討伐の必要性が著しく低下したことを意味している。

 加えて、先の捕虜返還会談と示された和平の意思。

 ケイリーはあれで判断した。数度の攻撃を受けた結果、ガイウス=ベルダラスは例の秘密を攻撃ではなく保身の材料と見做しているのである、と。諸侯に未だいかなる動きも、宰相より何らの勧告もないこともその裏付けと解釈された。

 だから現在のケイリーは、コボルド王国などむしろ放置しておきたいのだ。


 あんな【大森林】の中にある獣人の原始集落など、何の価値も無い。それでいて三百人以上の冒険者、百を越す貴族常備の精兵を投入しても落とせぬ難攻の地なのである。割に合わぬ以外の言葉で、彼女はそれを表す術を持たなかった。


(あんなもの、適当な監視と窓口を設けて森中に閉じ込めておけばよいのだ)


 かと言って、トムキャットの目論見を現時点で潰すわけにもいかぬ。彼の目的が【イグリスの黒薔薇】への復讐なのだとしたら、それが果たせぬと悟れば容易くケイリーの下を離れることだろう。そもそもあの家出猫は、大公位と領地を未練無く捨てているのである。


(だが、今は困る)


 トムキャットは、盤面遊戯を詰めるための大事な駒だ。少なくとも跡目争いが終わるまでは、絶対に手放せない。

 いや、出て行くだけならまだいい。最悪かつ可能性が高いのは、雄猫が次男派に付く場合である。ケイリーの下でベルダラス討ちが叶わぬなら、ドゥーガルドにノースプレインを獲らせて唆すのが、最も現実的かつ唯一の選択なのだから。

 あの異様な男を止められる人材は、彼女の下には存在しない。戦局が覆される恐れも大いにあるだろう。それは絶対に、避けねばならぬ事態であった。


(内紛が終わるまでは、奴の好きにさせておこう。私はベルダラス討伐の意向を匂わせておくだけでよいのだ。ドゥーガルドが片付いた後、あの金髪猫が出て行こうと私に一切損は無いのだからな。むしろいなくなってくれた方が、厄介がない)


 先程と変わり微かな笑みを浮かべた主君に、侍女は困惑した眼差しを向けている。

 それに気付いたケイリーは「何でもない」と軽く右掌を振ると、熱い茶を持ってくるよう彼女に申しつけた。この侍女、不器用なくせに何故か茶を淹れるのだけは抜群に上手い。

 上質葉の香りを最大限に引き出したそれを女主人が堪能し終え、空いたカップを下げさせた時である。


「ケイリー様。今し方、このような書状を携えた使者の方が……お目通りを願っております」

「ほう?」


 緊張した面持ちで側近が歩み寄り、手渡した手紙。そこに記された差出人の名と封蝋の印璽を見て、ケイリーは目を剥いた。


「……グリンウォリックの俗物か」


 苦し紛れに自身が打ったあの一手は、予想以上の波紋を生んだのではないか。

 言い知れぬ不安が、再びケイリーの胃を苛んでいた。

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