51:警戒態勢
51:警戒態勢
あれからしばらく経ったある日の早朝。
「なーオッサン、早く今日の稽古つけてくれよ」
村の広場。胡座をかきながら木を削っていたガイウスの背中に、すっかり傷の癒えたエモンが声をかける。
「講習を終えた後でな。それに今、教材を作っておるのだ」
ガイウスは横顔を向けてそう答えると、作業に手を戻した。
「棒なんか削ってどうするんだ?オッサン」
「ああ、これは落とし穴に使うのだよ」
「落とし穴って。原始人や子供の悪戯じゃあるまいし」
「いやあ、そう馬鹿にしたもんじゃない。穴の中にこのような杭を何本も据え付けておくと、落ちた敵がその自重で突き刺さるのだ。足をやられた奴は、まずまともに動けなくなる」
「うへ……で、こっちのロープぐるぐる巻きのトゲトゲは何の玩具だ?」
「それは、縄をつけて木の上に置く罠だな。振り子の原理で相手にぶつけるものさ。木々が多い場所に打ってつけの罠だよ」
「じゃあこれは?」
「糸に触れると矢が発射される仕組み」
「その隣の棒は?」
「これはよくしなる木を使ったものだ。ヒモを踏んで固定が外れると、元に戻ろうとした木が相手を叩く。杭を何本か結びつけておくと、腹にズブリといくわけだ」
まるで日曜大工で作ったものか何かのように、説明するガイウス。
「……なあ、オッサンって元騎士なんだよな?」
「そうだよ?」
「騎士ってもっと、正面から堂々と戦うモンじゃあねーの?」
「はっはっは。それは軍記物のような昔の話……ああ、いや。確かに、そういう信じる騎士は今でも多いな。正面決戦、会戦、大合戦!それこそが騎士、武人の本懐、栄誉ある戦いだと」
「違うのか?」
「私はそうは思わん」
しゅりん、と音を立て。小刀が木片を弾き飛ばす。
「この身とて剣に生きてきたのだ。そういったものに対する憧れが理解出来ぬ訳では、ない」
「じゃあ、何で」
「好き者だけでなら、それも結構。気の済むまでやれば良い。だがな、エモンよ。戦に参加している者の大半は、そんな浪漫のためにその場に居る訳ではないのだ」
次の棒を拾い上げ、これにもまた刃を当てる。
「それ故、それを率いる騎士は……いや、【連れて来てしまった者】は。自身の名誉だの栄光だのという願望に酔って、その者達を無為に死なせてはならん。だから私は、騎士らしいとかそういうのはどうでも良いのだよ」
木片が、曲線を描いて飛んでいく。
「ま、戦争で正面からぶつかるのは、相手を上回る大軍をもって蹂躙する時か、選択肢が無い場合だけさ。一番良いのは戦わずに済むこと。無理なら接触する前に退けること、近付かれる前に倒すこと。それだと楽だし、味方に損害も出ない。だがどうしても斬り合いが避けられぬなら、可能な限り背後から、それも不意をついて仕掛けることだ。相手以上の人数で、な」
「元騎士団長の台詞でいいのかそれ……」
「ああ勿論、試合や決闘でやると怒られるからな?」
ガイウスは再び横顔を向けそう言うと、小さく笑うのであった。
◆
「……以上の罠なら、森で採れる材料だけで作ることが出来る」
ガイウスからの講習を終えて、村の男衆達が『なるほど』『わかった』等と口にしながら頷く。
『よっしゃ!早速仕掛けに行こうぜ!』
そう言って勢い良く立ち上がったのはレイングラスだ。
『まあ待て。仕掛ける場所も考えないといけないし、部品だって村で作って運んだ方が効率良い』
座ったままのレッドアイが、彼の尻尾を引っ張り窘める。
『ハ!ヒューマンの浅知恵でこさえたものなど、そうそうよくかかってくれるものか!』
長老はいつもの調子だ。
「ええ、そうですね。広い森の中でそうそう都合よく踏んでもらえる訳ではありま……」
『ジジイ!こないだからしつけーんだよ!何遍言ったら分かるんだコラ!』
先日の爆発を皆に押さえられて不完全燃焼のままだったレイングラスの怒りが、再点火した。
彼は周囲の者を押しのけて老コボルドに歩み寄ると、直ぐ様殴り掛かる。
そして長老にあっさりと躱され、キレのいい左ストレートによるカウンターを受けると、ゴロゴロとガイウスの方へ転がっていった。
この御老体。普段は杖つきのくせに、存外動きが良い。
『このウンコジジイが!ぶっ飛ばしてやる!』
『語彙が乏しいぞ小童め!お前なんぞに負けんわ!』
「はいはい」
怒気を噴出しながら立ち上がったレイングラスを、ガイウスが両手で掴み、抱え上げる。
そして胡座の上にポン、と載せると。
「ほーれほれほれ」
と口ずさみながら、彼の腹や首、顔を、わしわしと撫で始めた。
『離せよガイウス!こら!コラァ!離せってば!』
当初は目を白黒させ、牙を剥いて膝の上で暴れていたレイングラスであったが。30秒もしないうちに
『あへあへ』
と悶えながら、手足をぴくぴくさせて、されるがままに。
完全にガイウスの手を受けいれたレイングラスはそのまま揉みほぐされ。さらには頬の余った肉をびろーんと引っ張られたり、顔をマッサージされたりしている間にすっかりと蕩けてしまい、解放されたころには伸び切った軟体生物へと変態を遂げてしまったのだ。
村人達はそれを、生唾を飲みながら注視していた。
『うわーお』
『何かいいなぁ、俺もやってもらおうかなあ』
『俺も俺も』
『なあレイングラス、どうだった?』
『どうだったんだよ』
口々に言い合い、そして問いかける。
『……もうお嫁に行けない……』
『『『『『気持ち悪っ!』』』』』
油に押しのけられた水のように、一斉に後ずさるコボルド達。
……妙な流れになったが、取り敢えず場はおさまった。
ずっと傍らで成り行きを見ていたサーシャリアが、こほん、とわざとらしく咳払い。神妙な面持ちで口を開く。
「では、罠の設置について……」
『たいへんだああああああああ!』
彼女の発言を遮るように、一人の若いコボルドが広場へ駆け込んで来た。
本日昼の見張り番に行っている内の、一人だ。
場に一瞬にして緊張が走る。
溶けていたレイングラスですら起き上がり、険しい顔を見せ。若者の次の言葉を待った。
『ヒューマンだ!ヒューマンの群れが森に入ってきたんだ!』
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