138:捕虜返還会談

138:捕虜返還会談


 今日明日中に行われるであろう引き渡しに備え、ショーン=ランサーは見納めとばかりに散歩をしていた。その背後では、今日の付き添い当番であるコボルド少年フィッシュボーンが、ぽてぽてと足音を立てながら付き従っている。

 畑の脇を通り、草の感触を楽しみながら歩く虜囚貴族。野良仕事に精を出すコボルドたちの牧歌的な光景に目を細めつつ、足を進めていく。


『おやランサーの旦那、今日で帰るんだって?』


 手の土をぱんぱんと払いながら、草むしりをしていたコボルド婦人が声を掛けてきた。


「ええ、マダムにも色々とお世話になりました」

『まぁ、平和になったらまた遊びにおいでよ。ウチの子たちも笛を作ってもらって喜んでたからね。旦那、保育所とかで働くのに向いてるよ』


 侵略者である以上流石に全員からとはいえぬが、王国民の彼に対する印象は悪くない。

 ヒューマン貴族らしからぬ物腰の柔らかさ、そしてランサーは知らぬ【魂の匂い】が彼の人となりを嗅ぎ取らせていたためである。


「ハハハ、真似事をしていたこともあったもので……上手くはいきませんでしたが」

『あら、そうなの?』


 軽い世間話。

 やがて一段落をついた頃合いで、彼は会釈をして再び歩き出す。

 そしてまたしばらく経ったころ、今度は石の入った籠を数人がかりで運ぶコボルドの子供らと遭遇したのであった。


『『『よいしょ、よいしょ』』』

「おや子供たち、何をしているのかね」


 ランサーが声を掛けると、幼児集団が尻尾を振りながらそれへ応じる。


『あ、ホリョだ』

『ホリョのおじちゃんだ』

『ホリョじちゃん』

『ランサーさん、こんにちは』


 へっへっへ、と舌を出して呼吸する顔が愛らしい。


『おにいちゃんたちがフタゴイワけずったいしを、ヌシにもっていくんだ』

「ヌシ? ……ああ、あの湖の……」


 ランサーの脳裏に『ウォッキュン!』と奇声を上げる巨大な人魚が浮かび上がった。

 初めてその姿を見た時は、【大森林】という領域の特異さを改めて思い知らされたものである。


『ヌシはいしころをバリバリたべるのがすきなんだけど、フタゴイワのはとくにすきなんだって!』

「……【大森林】の生き物の好みは、よく分からんな」


 双子岩は湖から村を挟んで草原の西側にある小さな岩山で、王国の象徴とも言えるような代物だ。行軍時は木々に阻まれてその偉容は分からなかったが、陽に照らされてそびえる姿は、なかなか趣があった。

【大森林】の中で軍が方位を見失った場合、あれは目印として使えるだろう……とランサーはふと考え、そしてそれを振り切るように頭を左右させる。

 あまり愉快な未来図とは言えないだろう。様々な意味で。


『いしころをもってくとねー。ヌシがおれーに、ふかいところのカイやカニやエビをくれるんだよ』

『さかなのときもある!』

『それをおかあさんやおねえさんのとこにもっていって、にたりやいたりしておやつにするのよ』

『なまでたべちゃだめなの』

『ぼくがおもいついたんだぜ』

「ほほう」


 自慢げに語る子供たちに、相槌を打つランサー。


『子供たちが採って来た、食べ物は、おやつに、していい。だから、食べ物を見つけるのが上手で、面倒見がいい子は、人気者、ガキ大将、モッテモテ、ハーレム』

「なるほどそういう風習か。面白い」


 フィッシュボーンが鼻水を啜りながら語る補足説明に、興味深げに頷いている。

 どうも本当に子供は好きな様子だ。


『だからホリョじちゃんにもいっこあげるね。ヌシにわたしてエビをもらうといいよ!』

「あ、ありがとう?」


 無邪気な毛玉から手渡された拳半分ほどの石を渡されランサーは困惑していたものの、しばらくしてそれをそのままポケットに入れる。

 上着に土汚れがついたが、目を輝かせる幼児の好意を無碍にはできなかったらしい。


『『『じゃあねー』』』


 よいしょ、よいしょと声を合わせて去りゆく一団に小さく手を振りながら、ランサーは深い溜息をつく。


「ああ……ケイリー様が再討伐を、思いとどまって下されば良いのだが」


 言葉を交わし、共感もできる相手と知れば「怪物」とは断じれぬ。それが人の情というものだ。かといってあの時に斃れた味方を忘れているわけでもない。

 期せずして妖精犬たちと交流を持ってしまったお人好しの中年貴族は、自分の立場を思い出し憂鬱な気分に陥るのであった。



 マクイーワンが心配していた魔獣との遭遇も無く、幾度か馬を休ませた後に彼らは王都【コボルド村】へと到着した。

 すぐに使節団は琥珀色のコボルド娘に案内され、広場に設けられた応接会場へと通される。そこには、立って客人を待つ【イグリスの黒薔薇】の姿があった。


「あれがベルダラス卿……」


 噂以上の凶相と威容に、マクイーワンは思わず唾を飲み込む。


「遠路はるばるこのような僻地へと足をお運びいただき、感謝致します。使者殿」


 ガイウス=ベルダラスは笑みを浮かべてそれを迎えていた。

 唇の合間から牙が覗いたように錯覚され、思わず一歩後ずさるマクイーワン。

 コボルド王の傍らに立つ赤髪の娘が慌てて主の袖をクイクイと引き、何事かを諌めていたが……それについて使者は気付かなかったようだ。


「どうぞ、おかけ下さい」


 白木を輪切りにしただけの簡素な椅子に、使節団が腰を下ろす。

 その護衛役と目を合わせたガイウスは一瞬片眉を微かに動かしたものの、マクイーワンが震える声で話し始めたため、すぐに視線を戻した。


「ジ、ジガン家当主ケイリー様の臣、ウィリアム=マクイーワンである」

「コボルド族の代表を務めております、ガイウス=ベルダラスです」


 鷹揚に頷き、穏やかに答えるガイウス。


「ランサーの身柄返還に応じていただき、主君ケイリーに代わって礼を申し上げる」

「南方協定に基づき、ランサー卿は客人としてお迎えしております。ご安心を」


 ……南方協定遵守の宣言は同時に使者の安全保障も意味する。

 消去法とはいえ使者を命じられただけあり、マクイーワンもその意図を理解できぬ男ではない。


「……流石は五年戦争の英雄。戦の作法は十分に心得ておられるようだ」


 彼はやや落ち着きを取り戻した様子で、それに応じていた。


「不幸なすれ違いから自衛のためやむを得ず剣を取りましたが、元よりケイリー様と争うつもりは無いのです。御家中の方を手荒に扱う理由などありましょうか」


 ガイウス=ベルダラスは政治に疎い。疎いが、それでもイグリス王室の側で三十年以上仕えてきた男である。その応対は礼節に則っており、かつ外見に反し丁重なものであった。

 戦場以外での駆け引きはからっきしなので逆に言えばそれだけなのだが、「話し合える相手」という印象をマクイーワンに与えるには、十分だったようだ。


「コボルド族は森の中で慎ましく暮らすのをお許しいただきたいだけなのです。マクイーワン卿がフォートスタンズにお戻りになられた際、その旨を主殿にお伝えいただければ、幸いです」

「相分かった。お伝えしよう」


 要件はそれで済まされた。

 その後ごく当たり障りのない会話が何往復かしたものの、大した時間ではない。

 そもそも話術の苦手なガイウスと、早々に話を終わらせたいマクイーワンである。

 じきにランサーが指揮所へと案内されてきたこともあり、会談はそれで終了となった。


 ……使者は捕虜の身柄引取りという主命を果たし、コボルド側もそれに乗じて要件を伝え書簡も預けたのだ。双方が双方、今回の目的を達したと言える。現時点で、これ以上詰められるものも無い。


「ははは、マクイーワン卿、貴方が迎えに来て下さったのか、ありがとうございます」

「ご無事で何よりですぞ、ランサー卿、ははは」


 宿舎へと案内されるケイリー臣下たち。

 解放された喜びの笑みと、主君への面目を立てたことに安堵する笑い声。

 二つの違う笑顔の後ろに従う美しい男もまた、彼らとは異なる微笑みを浮かべていた。

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