137:使者

137:使者


 薄明かりに大地が照らされ始めた頃。

【大森林】の縁にぽっかりと空いた穴のような景色を前に、その貴族は家来衆へ火の準備を促していた。


「おや、マクイーワン君。何をさせているんだーい?」


 そんな彼の肩に腕を回し問いかけたのは、ケイリー家臣団新参の自称【雄猫】である。

 マクイーワンは彼の気安い態度に困惑しつつも、抗議はしない。ケイリー臣下としてはこの使節役がずっと先達であるものの、美丈夫の方が遥かに貴族として格上なのだ。また、外見はともかくトムキャットはマクイーワンより二十歳以上確実に年長であるため、そういった点からも苦言が躊躇われていた。

 そして何よりこの隣国の元大公に、マクイーワンは不思議と反感を抱けずにいたのである。いやむしろ、言葉を交わしていると好意すら感じられたのだ。。


「前回書簡を届けた際、次回からはここで煙を立てて知らせるよう頼まれたのですよ」

「ふーん、狼煙かぁ」

「未開の蛮族らしく、流石に原始的ですな」


 マクイーワンは焚き火を指して嗤う。

 煙が立ちやすいように、従士らは生木を火の中に投げ込んでいた。


「とは言え、納得の合図でもあります。終始見張りを立てておくのも難しいのでしょう」

「そうでもないと思うよ。さっきから熱い視線をビンビン感じるからね」


 トムキャットが指摘したように、無論これはコボルド王国側の思考誘導である。警戒監視体制の精度と反応速度を外敵に悟らせぬためのものだ。

 しかし、マクイーワンにはそれが分からなかったらしい。


「はっはっは。まさか。でしたら、もうこちらに声を掛けている筈でしょう」

「ま、そうだね。大人しく待つとしよう」


 金髪の美男は使節の肩をバンバンと叩くと「アハハ」と愉しげに笑った。


 ……結局、件の【犬】が姿を現したのは、狼煙を上げてから四半刻(約三十分)ほども経った頃だ。

 木々の間から歩み出る六名のコボルド。その先頭を進む赤胡麻の個体は片手を上げ会釈に代えると、使節団を見回して口を開いた。


『俺はコボルド王国のレイングラスだ。用事かな……お、アンタこの間も来た人だな』

「如何にも。ノースプレイン侯たるケイリー=ジガン様の臣、ウィリアム=マクイーワンであ……」

「うっわー! カワイイなあー! 昔飼っていた犬を思い出すよ!」


 歓声を上げたトムキャットがずかずかと歩み寄り、レイングラスの前に跪く。そして彼は掌と指を使って、そのコボルドを撫で回し始めたのである。


「おーしおしおし、おしおしおしー」

『おま、なに、やめ、うへへ』

「ちょ、トムキャット殿!?」

「おしおしおしおーしおしおしおしー」

『うふふふへほほほあふーん』


 手慣れた様子で手をわしわし動かす雄猫。

 べふべふ声を上げながらも、されるがままにしているレイングラス。周囲のコボルドも使節団も、戸惑った様子でそれを眺めていた。

 しばらく美丈夫はコボルドの頬を引っ張ったり両掌で揉んだりして楽しんでいたが……やがて気も済んだのか、


「やあよろしく! 僕はトムキャット。彼と同じくケイリーちゃんの家来さ!」


 と白い歯を輝かせながらコボルド戦士に握手を求めた。すっかり勢いに飲まれたレイングラスは『お、おう』とぎこちなく頷きながらそれに応じる。

 そんな二人の傍らに立つマクイーワンが、咳払いをして話を再開させた。


「先日お伝えしたように、ランサー卿の身柄を返還してもらうために訪れた。指定の身代金もこちらに用意してあるので……」


 使節は視線を後方の部下へ一瞬投げると、やや躊躇した後に言葉を繋げ直す。


「ガイウス=ベルダラス卿に、面会を願いたい」

『こっちも上から、アンタらが来たら案内するよう言われてる。でも、全員は駄目だ。来る奴は、武器も置いていってもらう』


 マクイーワンが苦い顔を見せたものの、横のトムキャットは「いいよー」と快諾。何の躊躇も無く剣と短剣を無造作に放り捨ててしまった。近くの従士たちが、慌ててそれを拾いに走っている。


「じゃあマクイーワン君と、オマケで僕が行くからヨロシク! 他の面々はこの辺でお留守番だね」


 先日「自分が守る」と言っておきながら率先して武装解除する護衛役に使節は目を剥くが、嘆息を漏らした後に諦めたのだろう。彼は腰に吊られた細剣を外すと、家来を呼んでそれを受け取らせた。


『もう武器は持ってないな?』

「無いよー」

「ああ、持っていない」


 レイングラスは鼻を一回鳴らして首を縦に振り、『よし、じゃあ案内する』と後を向いた。

 その背中から回り込むように、にゅっ、とトムキャットの腕が伸びる。


『うお!? 何すんだよお前!?』


 そのまま赤胡麻のコボルド戦士を抱きかかえた美男子が「アハハ」と笑う。


「折角だから一緒に馬に乗っていきなよ!」

『俺たちは歩いていくから乗せなくていいよああっ、首を揉むなウフフ』

「結構距離があるんだろう? 遠慮しなくていいからさ」

「ですがトムキャット殿、護衛の者たちがそれでは付いて来られないのでは」


 獣の存在を懸念した使節の声である。


「アハハ。大丈夫、木々の間を行くわけじゃないからね。魔獣が出たら馬を走らせれば振り切れるさ。マクイーワン君は獣よりも【人食いガイウス】の方を心配したほうがいいよ」


 貴族使者は深く溜息をつくと、観念したように首を上下させた。

 そんな彼の苦悩を知ってか知らでか、剣を持たぬ護衛役は手前に乗せたコボルドをご機嫌で撫で回している。


『おうふ耳の付け根を押すなっ、この技巧派め! はーなーせーよーウヒヒヒ』

「アハハ。心配しなくても、人質になんかしやしないよ。誓ってもいい、僕たちは危害を加える気はないんだ。お話をしにきただけなんだから」


 トムキャットはレイングラスを抱えたまま馬に乗り、自分の前にちょこんと座らせた。

 そしてその背中を軽くポンポンと指で叩くと、


「今回はね!」


 愉しげな声で、短く付け加えるのであった。

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