267:特になんも無かったわい
267:特になんも無かったわい
だが魔弾の直撃を受けたはずのガイウスは動きを止めず、足元に転がるイグリス兵の腕を掴み大きく振り回したのだ。
そして【跳ね豚】のいる樹上めがけて、円運動で加速したそれを投げつけたのである。
「なんだと!?」
驚愕が、ピックルズの動きを鈍らせた。彼は投擲された死体を回避しきれず直撃を受けると、そのまま「ピギー!」という悲鳴と共に地面へ落下していく。
直後に黒猪戦士団から放たれた魔弾の暴風雨をまたも刃で弾きつつ、ガイウスは叫ぶ。
「ご老体ッ!」
それは彼の盾となってピックルズの【マジック・ボルト】を受けたミスリル背嚢、その中に座す長老へのへの問いかけだ。
『致命傷じゃ! 気にするなガイウス!』
「はい!」
老人の言葉を、王は瞬時に受け入れた。応じた時には既に、彼は黒猪戦士団の只中へと飛び込んでいる。
【跳ね豚】子飼いの精鋭戦士らは抜刀し即応するが、それでも三名が既に斬り伏せられていた。
『こいつらに今食い込まれれば、この方面はひっくり返される! まだしばらくは、ここを持たせるぞ!』
「かしこまりました!」
千載一遇の好機を絶対に逃せぬコボルド軍は極端なほどの追撃状態にあり、戦力配置もまばらなままイグリス兵への攻勢をかけている。故にこの戦線に至ってはガイウスが単独での掃討戦という異常な役目を請け負っているほどで……それだけに彼の後退は、この方面での味方の脇腹を敵へ晒すことと同義であった。
「『気合い』入れろやてめえらら!」
「「「ヘイ!」」」
流石は手練れの黒猪戦士らである。闇の中で振るわれる大鉈を懸命に躱し、防ぐ。
だがそれでも【イグリスの黒薔薇】を牽制するのがようやくであり、その間にもさらに二名の戦士が絶命、もう二名が重傷を負い倒れている。
がきん!
「離れろお前らっ! そいつぐらいになると、乱戦のほうがやりやすいんだ! 距離とって魔杖射撃に徹しろ!」
投石弾の如く背後からガイウスへ一撃したピックルズが、部下たちへ叫ぶ。打ち込んだ剣は、金属衝突音が語ったようにフォセが受け止めていた。
「足を挫いたようだな、動きが鈍いぞ【跳ね豚】殿」
「テメエ相手には十分なんだよハゲッ!」
がいん、がいん!
瞬く間に数合が打ち合わされるが、ガイウスはその間にも巧みに戦士たちの只中へ割り込み射撃を封じていく。【跳ね豚】の言葉通り、彼は乱戦へ持ち込むことで場を支配しようとしているのだ。
「イヤー! ベルダラス卿に殺されるー!」
「ああもう、お前は下がってろ! へティー!」
「おやっさんに言われなくてもー!」
戦士団の紅一点が、悲鳴を上げながら怪我人二人を引き摺って逃げていく。流石は小麦問屋の娘か、見た目に似合わぬ剛力である。
一方他の荒くれ男たちは、あの【イグリスの黒薔薇】相手にも怖じることなく立ち向かう。
「おぃてめえら! 『親父』の前で『無様』晒してんじゃねえぞ!?」
「「「ヘイ!」」」
態勢を整えようとする黒猪戦士団と、そうはさせまいとするコボルド王。両者はなお激しく刃を交差させ、火花を闇に散らし続ける。
だがやがてそこに流れ込んでくる、【緑の城】西部のイグリス兵たち。それは中央戦線に釣られ、西部も崩壊したことを告げていた。
それでもガイウスとピックルズは敗走兵の洪水の中でしばらく睨み合っていたものの……やがてどちらかともなく退いてゆく。
片やガイウスは西部イグリス前線の崩壊まで黒猪戦士団の突入を防いだこと、片や【跳ね豚】は西部の兵が脱出する誘導路を一つこじ開けることができたためである。
両者はそれぞれの戦術目標を達成したことで妥協し、剣を収めたのだった。
同じ頃東部【緑の城】戦線でもやはり、イグリス軍は伝染した恐慌から敗走を始めていたが……こちらも第一、二陣の一部が現場判断で援護に向かったことで全滅を逃れることができたという。
しかし最終的には朝が来る前に、【緑の城】内部のイグリス軍第三陣はほとんどが追い払われるか無力化されていった。討伐軍はようやく首に手を掛けた段階で、半死と思い込んでいた相手から手酷く蹴り倒されたのだ。
【緑の城】内部で展開していたイグリス軍第三陣約千五百名……当初は二千いた……は、この夜だけで六百名近い戦死及び行方不明者を数え、また同程度以上の負傷者をも出すという大敗北を喫した。怪我人の割合が死者に対し少なく感じられるのは、潰走で収容がままならなかったことが大きいだろう。それほどの惨状であった。
勿論これを追ったコボルド軍も疲弊し、翌日は著しい戦力低下が見られたものの……イグリス軍全体が再編と城外防御線固めに追われていたためにまるで身動きが取れず、再攻撃を断念した結果、前線はほぼ【緑の城】攻略開始前の位置へ押し戻されたまま固定した。
イグリス軍第三陣の壊滅、そして侵攻計画の大幅な遅延。
それはコボルド王国軍にとって、雪が降るまで持ちこたえられる見込みが高まったことを意味している。
◆
前線近くに急設された救護所。
戦闘が一段落し、後送されてきたコボルド兵らが筵の上に横たえられて医療班から治療を受けていた。
その中でも特に年老いた妖精犬の傍らで、ゴブリン医師……ゴブドクが首を振っている。
「傷が深過ぎル、痛み止めだけダ。すまんナ、爺さン」
『お前さんも大概ジジイじゃろ……いいから、とっとと次を診てやれぃ』
長老はゴブリン医師を追い払うと、溜め息をつきながら顔を歪めた。麻酔薬は投与されているが、それにも限界はあるのだ。
『ん、なんじゃ死人顔』
「御老体、孫を……ホッピンラビットを呼びまするか?」
『アホか。別れなんか一番最初に最優先で霊話しとるわ……いらんいらん』
隣で負傷治療中であったダークの心遣いを、鼻で嗤う老人。
彼の孫娘は祖父最後の言葉を受け取ってもなお、気丈に将軍の補佐を続けていたという。
「そうでありましたか、失礼致しました」
頭を垂れるダーク。
『いやに恭謙じゃの、気色悪い』
「御老体のおかげで、ガイウス殿は助かったのであります。しおらしくもなりましょう」
『おーぅそうじゃそうじゃ。感謝せいよ……感謝、ぐぐ』
カッカッカ、と笑った後に、呻く。
「サリーちゃんへは、何かありまするか? あの子はきっと……落ち込むであります」
『言ったじゃろ……嬢ちゃんは大丈夫じゃ。ただ……』
「ただ?」
『くすねた木偶の坊の靴下嗅ごうとするのは止めとけ……と伝えてくれい……あれは劇物じゃ……』
「……確かに。かしこまりました」
苦笑いしながら、頭を上下させる黒髪剣士。
『それよりもじゃ……おい、死人顔』
「はい」
『この間言うたこと……覚えておけよ』
「……」
目を逸らしつつ黙るダーク。老妖精犬はその横顔を見て、もう一度鼻で嗤っていた。
するとその頃になってようやく、血塗れのガイウス=ベルダラスが戻ってくる。彼は戦闘の合間で長老を後送すると、その後も前線に戻り戦っていたのだ。
「遅くなりました、御老体。やっと一段落つきまして」
『おう……やっと戻ったか我が王』
「はい」
『……相変わらず仕事が遅い男じゃのう』
「申し訳ありません」
すぐ脇で両膝をつき、謝罪するコボルド王。
『まったく……お前さんには色々言っておくこともあろうかと、今迄待っておったが……うむ』
長老は深く息を吐くと、
『……特になんも無かったわい! ブハハハー!』
誇らしげに言い放ったのである。
それこそがこの老コボルドから相棒への、最大級の讃辞と全幅の信頼の言葉であった。
老人は、このヒューマンがコボルドらを導く先を疑いはしない。いや、このヒューマンの背を追い、共に歩む者たちが作る未来を疑いはしないのだ。
たとえその行く手が、なんであろうとも。
「ありがとうございました」
恭しく頭を垂れるガイウス。
両者にはそれだけで十分であった。それ以上は不要であった。
『ハハ……』
……そしておそらくは、先の一言を言ってやるためだけにこれまで相棒を待っていたのだろう。
事切れた老コボルドの顔にはまだ、笑みが浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます