180:和平会談

180:和平会談


 四日ほどかけてフォートスタンズに到着した一行は、ランサー家の館内で会談及び祝賀会までの三日間を大人しく待つこととなる。

 三日籠もったのは重要交渉前に騒動を避ける意味もあるものの……到着日に屋敷前で、近所の子供らがガイウスを見て失禁の上泣き出した、という事件の影響も大きいだろう。コボルド王は激しく気落ちし、残り日数を下痢に苦しみつつ部屋隅で膝を抱え過ごしたという。

 サーシャリアはその傍らにちょこんと寄り添い、主君を甲斐甲斐しく励ましていた。もっとも彼女は彼女で眼鏡木箱を庭先に埋める例の奇癖を発動しており、家主了承とはいえ館の人間を著しく困惑させる事件を起こしていたが。

 そんな中でコボルド三人は読書や情報収集で時間を有意義に活用し、当初の心配とは真逆の状態になったと言えるだろう。


 兎にも角にも彼ら基準での大きな騒動は免れ、一同は王国の命運を決めるその日を迎えることとなったのだ。



 フォートスタンズ城は始めから、戦闘城塞ではなく地方政治の中枢として建設された城である。そのため窓は多く大きく、城内は明るくも機能的に作られ、保たれていた。宮殿と述べるほうが、その実に相応しいだろう。

 内紛に相当な金を費やしたとはいえ、その見事な姿は侯爵たるジガン家自体の基礎体力とノースプレイン領の地力を伺わせている。これらの全力が小さな村に向けられる恐怖を実感した、レッドアイの表情も硬い。


 そんな使節団が応接室へ招かれたのは、夜に祝賀会を控えた午前であった。


「久しいな、ベルダラス卿」

「ケイリー様もご健勝で何よりです」


 ごく常道として、社交辞令から始まる会談。政治社交の場は苦手なガイウスだが、それでも中央にいた年数は長いのでそのあたりの所作に問題は無い。


「ノースプレイン平定と家督の御相続、コボルド村を代表してお祝い申し上げます」


 当然だが、ガイウスらは【コボルド王国】として人界には主張しない。厳密な国家の名乗りに固執すれば、イグリス王国下たるノースプレイン侯爵の立場でその存在を認めることなど不可能だ。自然、交渉も頭から成り立たぬ。


「『お祝い申し上げます』」


 横に立つサーシャリアとレッドアイも、ガイウスに合わせて頭を下げる。若者二人は別室で待機中だ。三人の様子を見ながら、鷹揚に頷くケイリー。


「まあ、まず掛けよ……かれこれ二十年ぶりかの。確かあれは、父の誕生祝いの舞踏会か」

「はい。ルーラ姫のお供で、私も出席させていただきました」

「ホホホ。武人然としたそなたと相対し、まだ少女時分の妾は慄いたものよ」

「お戯れを」

「いや本当ぞ? 現に妾の息子とて、先程卿を盗み見て腰を抜かしたと侍女からも聞いた」

「えっ!?」

「ホホホ」


 面識があるとは言え、ガイウスと相対しても全く怯む様子が無い。ケイリーはこの兇人本来の性格を知らぬのだから、これは骨肉の争いを乗り越えた自負と勝ち取った地位が、彼女に自信や貫禄というものを育みつつあるのか。

 一方本題以外で衝撃を受けてしまったガイウスを、傍らの赤毛エルフが袖を引き励ましていた。


「そして、そちがコボルドか」

『コボルド族のレッドアイです』

「ほほう。初めて見たが、本当に犬の如き姿形をしておるのじゃな」


 ごく普通の感想を述べ、ふうむとケイリーは小さく唸る。が、それ以上は特に深く聞こうともしない。コボルド族自体に対する興味が、そもそも薄いのだろう。彼女の視線は、あくまで人界に向けられているのだ。

 それよりもむしろサーシャリアの方が、女侯爵の関心を惹いたらしい。


「おお。そなたがあの高名なデナン家の。ランサーからも話は聞いておる」

「お初にお目にかかります。サーシャリア=デナンと申します」

「半ハイエルフとは聞いていたが……若い、若いな。幾つになる?」

「秋で二十五になります」

「そうか、ヒューマンとは発育が異なるものな。としても、やはり若い……だが、流石は武門デナンの血筋よ。我が家中のマニオンも、そしてグリンウォリック伯までも、そなたの采配で見事にしてやられたのう」


 とうに家を捨てたサーシャリアとしては、その家門と扱われるのは面白くなかった。だがこの場でわざわざそれを主張する必要も無く、そのまま受け流す。


「とんでもありません。あれは、運が味方してくれただけです」

「恭謙よの」


 ホホホ、とまたも笑い声が室内に響く。


「さて、挨拶はここまでとして」


 侍女が茶を運んできたのを契機として、ケイリーが歓談から会談へ切り替える。やはり主導権は、彼女のものであった。


「武人たるベルダラス卿を相手どってのことじゃ。それに先の内紛で腹の探り合いは妾も飽いておる。ここからは、率直に話をさせて貰おう」

「私どもとしても、そのほうが助かります」


 掌を組み合わせながら、ガイウスも応じる。


「ベルダラス卿は、これからも妾と争う気か?」

「いいえ。これまでの戦闘はあくまで自衛のため。私が望むのは、コボルド族の存続と安寧です」


 ケイリーはガイウスとレッドアイを交互に眺めてしばらく黙った後、


「ベルダラス卿には二言無しと聞く。良かろう、妾も無益な争いは求めぬ。これにて両者の諍いは手打ちじゃ」


 一年に渡るコボルド王国最大の懸念を、一息に終わらせたのであった。

 流れるようなその展開に、目を丸くして顔を見合わすレッドアイとサーシャリア。


「ありがとうございます。コボルド族を代表して、お礼を申し上げます」

「今までの不幸な経緯は水に流し、共に建設的な関係を築こうではないか」


 微笑む女侯爵。


「村の扱いはそうさな、ベルダラス卿個人の【大森林】開拓村ということにしておこうかの。場所が場所だけにノースプレインの外じゃ、妾の庇護下には置けぬが……まあ、そのほうがコボルドらも気楽じゃろう?」


 寛大なようにも聞こえるが、その実は体の良い黙認と放置だ。何故なら傘下に置けば、ケイリーには面倒をみる義務も発生するのだから。

 政治に弱いガイウスや経験の浅いサーシャリアでも流石にそれは理解したが、一方で気楽というのも事実だった。その立ち位置なら今後、今回のような家中騒動には巻き込まれにくいだろう。かつケイリーが跡目争いで巡らせた陰謀を思い返せば、配下となるのも心理的抵抗がある。

 つまりこれは双方にとって都合が良く、納得のいく妥協点だったのだ。コボルド村側が異論を挟む必要も、挟める立場でもなかった。


「あと、ランサーからも頼まれておったな。ノースプレイン内の往来と通商許可も……そうじゃな、後ほど書面で出しておこう。それなら我が家中の跳ねっ返りから文句をつけられることもなかろうて」


 これでコボルド側が今回望んでいたものは、ほぼ全てが得られることになる。理想的に過ぎる結果であった。


「ふむ、話しておくことは概ね終わりかの」

「え、ええ。そうかと思います」


 頷くガイウスに、ケイリーが目を細める。


「さて。今宵の宴は、此度の戦勝と妾のジガン家相続を祝しての大々的なものじゃ。ベルダラス卿らも是非、楽しんでいってもらいたい。何よりそれは家臣団に対して、コボルド村とジガン家の関係が改善したことを示す意味もあるからの」

「はい。我々コボルド村の一行も、出席させていただきます」

「うむうむ」


 満足げに応じて、会談を締めくくる女侯爵。


 ……無論、これまでの戦いと折衝が既に実を結んでいたからでは、ある。

 だがコボルド王国が渇望した平和の訪れは、劇的でもなく、淡々としたものであった。



 使節団退出後の応接室。

 ケイリーが頬杖をついたまま一人、笑い声を漏らしている。


(何もかもが上手く転がっておるわ)


 政治に疎いガイウスらはそこまで察していないが、侯爵にとって今回最大の目的は【イグリスの黒薔薇】を祝賀会に出席させること自体であった。和平も会談の内容も、二の次なのだ。

 かつてケイリーがわざわざ喧伝した両者の交戦状態を経て、平定と継承の祝賀会に出席したのである。外部から見れば、ガイウス=ベルダラスが力と利害の関係からケイリーのノースプレイン継承に賛同したと思われるだろう。

 そこまで他者が思わずとも、単純に「ベルダラスが祝いに来た」という事実は有用だ。今後必要な政治工作を考えれば、ささやかだが有効な一手と言えた。


 そう。ケイリー=ジガンはここにきて、コボルド村という厄介ごとを有益な手札にまで化けさせたのである。


(それにしても……無様な家督争いで、ジガン家の対外評価は地に落ちた。諸侯からは当分侮られ、厳しい目が向けられるじゃろう)


 表向きではないが、今回の内紛についてケイリーにはイグリス王国(ミッドランド)宰相の後ろ盾があった。そもそも弟を討つ大義名分捏造策は、その筋で薦められたものなのだ。

 だがそれで得た誼も宰相とケイリー一代だけのものであり、息子スチュアートの安寧を保証するものでは、決してない。将来を見据えれば彼女は宰相だけでなく、諸侯の関係をしっかりと再構築せねばならないだろう。


(宰相閣下もベルダラスに関して何も仰らなかったしのう。まあ、些事じゃしな)


 亡父はともかく、同世代でも中央の人間でもないケイリーは、醜聞故に公とされぬ十五年以上昔の真実など知りもしない。せいぜいガイウスが「派閥外」ということ程度だ。しかし仔細を承知していれば別の手を採った可能性もあるので、これはコボルド側にとり幸運な追い風と言えた。


「ケイリー様、そろそろお時間が」


 女侯爵が思索から現実に引き戻される。可愛がっている、茶を淹れるのが上手い侍女の声だ。


「おうおう、次の面談じゃったな。書斎へ向かうかの」

「はい。祝賀会の前に、あと五件予定がありますので」

「やれやれ、忙しくて叶わん」


 ぼやきつつ立ち上がるケイリー。先回りした侍女が、静かにドアを開く。

 廊下の大きな窓から差す陽光はまるで、彼女と息子の未来を象徴するようでもあった。

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