204:緑の城
204:緑の城
四日目は、雨であった。
夜中より降り始めた冷たい滴は雪を予感させ、ノースプレイン軍諸将の胃を苛んだが……幸い、そこまでには至らなかったようだ。
「まったく。心臓に悪い天気だよ」
天幕を叩く雨音に舌打ちしながら、座り直すギャルヴィン。
老臣の尻で椅子が上げた悲鳴の深刻さに、女侯爵は驚いてティーカップを揺らす。
「ギャルヴィンよ。昨日は主攻隊が思わぬ反撃を被って損害を受けたが、あそこはどう攻略するのじゃ」
「は? 攻略なんかしないよ。放置さ、放置。そもそも他の場所で防壁帯は突破しているんだからね。そこから浸透して先へ進んじまえば、あんな厄介所はすぐ孤立して機能しなくなる。ワン公だって見切りを付けるさ」
司令部付きの騎士らは昨日の損害に驚き、侃々諤々【緑の顎】対策を議論していたが……老騎士は、一局面一カ所の防御機構に目を奪われてはいない。
「ただ向こうも、こういう殲滅圏(キルゾーン)はまだまだ用意しているだろうけどね。でもそれだって避けてやればいいさ。別にこれは城攻めじゃない、限られた門を通らなきゃ辿り着けない道理は無いんだよ」
難所を避けても最終的に戦線は進む。戦力優勢な面攻勢の利点であり、柔軟さであった。
「そうか。それで今日は主攻を定めなかったのじゃな」
「昨日は赤毛ちゃんにあたしの小細工を読まれて叩き返されちまったからね……きっとあの子はコボルド兵の大半をあの場所に集めておいて、主攻隊を迎え撃ったのさ。逆にこっちの戦力が少ないのに防壁帯を突破できちまった例は、コボルドが各防壁の人数を削り過ぎたせいなんだろうね」
可愛い顔に似合わず大博打を打つ子だよ、と言い添える。
「ま、何だかんだで向こうさんが頼りにしてる防壁帯は抜いたんだ。また要所要所で陣地はあるだろうが、排除してもいいし、難しいならその後方へ回って分断してもいい。何にせよ今日は昨日と違って、もっと村へ近づけるだろうよ」
怪婆のアヒルに似た笑いは、司令部天幕から入ってきた兵士の声で中断した。
「御領主様、ギャルヴィン卿、失礼致します! 前線からの定時報告が届きましたので!」
「ん、およこし。ご苦労だったね」
手渡される、紙の束。森を伝令が、枯れ川を早馬が駆けて届けた数刻遅れの最新情報だ。
受け取ったそれを一枚一枚読み捲っていくギャルヴィンだが……数枚目にして、その目つきが途端に険しくなる。
「濃い茨に阻まれ、北上は難しく道を探りつつ進軍中……新たな防壁を発見、攻撃を開始……進軍中他の隊と合流するも、進路上の防塞から激しい抵抗を受け後退中……地形と黒い茨にて進路限定され、狭隘。先を塞ぐ砦あり……北上を阻む茨の茂みあり、迂回する……前方に陣地あり、罠と阻材を除去しつつ攻略を始める」
呟きつつ全てに目を通し、そしてまたパラパラと慌ただしい音を立て読み直す。
「……あいつら、まさか」
「どういうことじゃ、ギャルヴィンよ」
苦々しい顔の老臣へ、問いかける主君。
「……防壁帯は結局、昨日の一列だけじゃなかったのさ。いや、あれはそもそも防壁『帯』じゃなくて、一番外の『門』だったんだよ」
「何じゃと?」
「コボルドはここらあたりから森が深く険しくなるのに合わせ、最初の防壁帯から北に防御陣地を作りまくっているのさ。きっとここから先は、枯れ川の多重防壁よろしく小さいが面倒な砦がわんさかあるに違いない」
皺だらけの指がペンを握り、ギャルヴィンが予測する当該領域をぐるりと地図へ書き込む。
その楕円はつまり、前線がコボルド村へ至るまでの全領域であった。
「いかにベルダラスとデナンに率いられたとはいえ、あの小さな蛮族風情が、枯れ川の多重防壁以外にもそれほどの工事をしているというのか!?」
「むしろ枯れ川にあれだけの多重防壁を作ったことが、今となっちゃあ根拠だよ」
そう言われ、腕を組み唸るケイリー。
「あたしらは勘違いさせられていたんだ。ここは……いや、ここからは野戦の場なんかじゃない。この森はね、緑色をした巨大な城なんだよ」
◆
『鶏頭隊第二班、陣地放棄し後退します』
『名人隊第三班も陣地放棄、一つ下がります』
「分かったわ」
『王様とダークさんの待機陣地に近付いた敵四十名は、指揮官と三分の一を失い潰走しました』
「まあガイウス様の奇襲を受けたら、そうなるわよね……」
『白霧隊第一班、陣地で敵の第二波を迎撃中』
「すぐに猟兵隊が応援に到着するから、もう少し保たせて。そこはまだ、今日は下げたくない陣地なの」
コボルド王国指揮所。各部署から寄せられる報告をサーシャリアが次々と受け、指示を下している。
これまでで最大のものとなる地図上では、敵味方を示す白黒石が主婦連合のやはりこれまでで最長のT字棒で盛んに動いており……そしてノースプレイン側でギャルヴィン老が洞察したように、大量の防御陣地を示す記号が書き込まれていた。その数、実に二百六十七箇所にも及ぶ。
「よし……よし。上手くいっているわね。今日の後退幅も僅かで済みそう」
『ですね!』
これらの防塞は全て、コボルドらが更に精度を向上させた地図を分析し、集団が通行可能な要所を塞いだものだ。
一つ一つは素朴で簡素だが……陣地からの射界は十分に確保され、一方で寄せ手側は大挙して攻めかかりにくい上に身を守り難いよう計算し、周囲も整えてある。罠や阻材も巧みに配され、見た目以上の防御力を備えていた。加えてその迎撃力は進入方向だけに向けられていて、コボルド王国軍が村側から奪還する際には防衛拠点として機能しない。
そして各陣地間の領域は線を引けば有機的な結合を描いており、その維持と後退を指揮所が操作することで前線部隊の分断や孤立を防ぎ、かつ援軍を送りやすい構造ともしている。
「ねえホッピンラビット。クロイバラはどう? 刈り取られたりしてない?」
『大丈夫ですね。今のところはそう考える敵部隊はいないようです』
「偵察兵にも注意させておいて。敵がそういう作業を始めたら、猟兵隊に樹上から狙撃させるから」
『はい!』
無論、これほどの数の陣地で行く手を都度阻めるほど、自然は都合良くできてはいない。どうしても地形による天然障壁や防塞で塞ぎきれぬ「穴」は出てきてしまう。
しかしコボルド側はそういった箇所を、大森林原産種の妖樹【クロイバラ】を大量に植樹することで埋めたのであった。クロイバラの繁殖を妨げる植生があれば伐採したり、茨には肥料を与えるなどし、棘の藪が育つ環境を整えたのだ。
妖樹が雑草の気分で育つ【大森林】である。コボルド側の目論見通り「穴」は塞がれ……ここには陣地という「門」と自然の「壁」で構成された幾つもの郭を持つ、広大な緑の城が出来上がったのであった。
ミスリル工具とゴーレムの存在もある。時間があれば、その範囲はさらに広げられていたことだろう。
『親衛隊第二班、敵を撃退!』
「これでその方面は敵がいなくなったわ。二班まるごと隣の援護に向かわせて」
霊話戦術と緑城の組み合わせにより、コボルド側は必要な場所に必要な人員を的確に配することができる。敵が向かってこない陣地は、大胆にも無人のまま空けておくことすらあるのだ。
「さあ、もう少しで相手は今日の進軍を止めるはず! それまでしっかり頑張りましょ!」
『『『はーい!』』』
第一次王国防衛戦以降、いつかは枯れ川を無視した大軍相手の戦いになると予想していたサーシャリアが構想を立て、そして一年かけて少しずつ作り上げた緑の城。
その外郭へ辿り着いたノースプレイン軍との戦いは、第二局面を迎えている。
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