203:緑の顎

203:緑の顎


 従来の野戦や攻城戦であれば、総司令官は両眼である程度戦場を把握していた。だが樹海の戦において、それは全く期待できない。かといって古代の司令官よろしく前線に乗り込めば、全体の連携と調整がとりえなくなるはずだ。

 ギャルヴィンはその不利を少しでも補うため……枯れ川という主要道路を中心にした連絡線を用い、本陣を心臓として伝令や早馬を血流の如く循環させたのである。これにより時間遅れとはいえ、全体の状況や要請を彼女は把握し得たのだった。

 戦闘員分の兵站を回してまで百名以上の連絡要員を用意したのだから、怪婆が見た目振る舞いと異なり【大森林】の戦いにどれほど苦慮していたかが窺えるだろう。


「森の中で敵陣地を発見、攻略中……森中に防塁有り、これを攻めんとす……北上を阻む小さな砦を攻撃するも、罠と阻材に苦戦……」


 ギャルヴィンが本陣司令部でぶつぶつと読み上げているのは、そのような背景で日中一刻(約二時間)おきに前線各所から送られてくる報告であった。


「ち、やっぱりだね」

「どうしたのじゃ、ギャルヴィン」


 さりさりと戦術地図へ状況を書き込んでいく老臣へ、説明を求める主君ケイリー。


「お館様も、先代の鹿狩りなんかへ付いて行ったことがあるだろう?」

「少女時分にな」


 領地を有する貴族にとって狩猟は一般的な娯楽であり、軍事訓練を兼ねた嗜みでもある。


「だったら『森』と一口に言っても、庭みたいに平らな地面へ綺麗に木が生えてるだけじゃない。起伏や高低、傾斜に谷、木々や藪の濃い薄いがあるのも分かるね?」


 記憶を辿りながら、頷く女侯爵。


「ましてやここは【大森林】。貴族の狩り場と違い、地図も無きゃ案内もいない面倒な森さ。森に慣れた狩人や採集人が個人でならともかく、兵集団として通行できる実領域は限られてくる。これも分かるね?」

「そうじゃな、そうよの」

「で、所々には領域が狭まるところも勿論存在する訳だ。連中はそんな要衝に防御陣地を作って、効率よく行く手を塞いでるんだよ。流石に壁を延々立てていくのは不可能だからね。で、丁度この辺りがそんな天然防壁帯を拵えるに都合が良かったんだろう」


 報告場所を記し終え、地図から手を離すギャルヴィン。

 図上では横並びのように、コボルド防御陣地が点々と描かれている。


「枯れ川多重防壁のことがあるから、もしやと思ってたんだが……実際やられれば厄介さ。連中はここで、侵攻を遅らせる気なんだ。うちらの歓迎に大支度をしてくれたもんよ。働きモンだねぇ、コボルドってのは」


 最後の一言は、率直な感想らしい。


「射界を確保された中、兵は撃ち合いながら罠や阻材を取り除き、じわじわ攻め上げていかなきゃならん。地の利は完全に向こうだからね、時間がかかるよコイツは。跳ね返される隊も出てくるだろうさ」


 ノースプレイン側の面攻勢とは広さで押し上げることにより、寡兵なコボルドの手が回らぬようにしているのだ。反面、一点一点における圧力はどうしても弱くなる。

 そこにコボルド側が人手の不足を防塞で埋めるのであれば、当然個別戦力は苦戦するであろう。領域の収束で多少の合流があったとしても、だ。


「じゃがギャルヴィン。そなた、ある程度見越しておったのじゃろう?」

「そうさね」


 でっぷりとした尻を上げ、隣の卓へ歩み寄る老騎士。

 卓上には、大小幾つもの砂時計が並べられていた。


「まあ、もう防御線を抜いている頃合いだろうよ」



 朝にノースプレイン軍の前線各部隊がコボルド防御線を攻撃し始めてから、二刻(約四時間)ほど経ったあたりだ。


「全隊、進め!」

「「「おおっ!」」」


 号令そして響く角笛の音を切っ掛けに、面攻勢左翼の一点、そのやや後方にて集結と編成を済ませた大集団が前進していく。前線各所から抜き取るように移していた、三百名ほどの主攻部隊である。

【欠け耳】は何かを用意している……そう見越したギャルヴィンは、各所の戦闘で防御側戦力を釘付けにした後、時間差をつけ一点突破の楔を打ち込んだのだ。

 すぐに交戦区域へ到達した彼らが、それまでコボルド防塁と射撃戦を繰り広げていた味方に代わり攻略を引き受ける。


「撃ち方用ー意ッ!」


 この主攻隊を率いるのは、かつてはコボルド村との使者を務めたこともある貴族マクイーワンであった。だがその役をランサーに譲って以降はトムキャットの【魅了】に強く影響され、今では対コボルド強硬派の一人となっている。


「てーっ!」


 号令一下、主攻隊の半数を占める魔杖・魔術兵から敵陣へ叩き付けられるマジック・ボルト。魔素の暴風が丸太防塁を滅多打ちにし、一部は射撃姿勢の妖精犬へ命中する。運良く兜で弾く者もいたが、面頬ごと頭部を撃ち抜かれた者もいた。毛皮の兵士たちは、猛烈な攻撃で応射の暇をろくに得られない。


「今だ! 歩兵進めっ!」


 前進する歩兵。罠を探り解除する者、木束で遮蔽を作る者、その後に続く者。コボルド側の阻止行動が圧殺されていることで彼らの動きは加速し、その群れは着々と距離を詰めていく。


『後退、後退ーっ!』


 たまらず妖精犬が尻尾を巻き逃げ出したため、直後に陣地はあえなくノースプレイン側の手に落ちた。木の葉を揺らすような、三百の勝ち鬨。


「よし! このまま進み戦線を押し上げる要となるぞ!」

「「「おおーぅ!」」」


 意気上がる主攻隊。

 コボルドからの戦利品を巡り兵同士が小さな諍いを起こす醜態はあったものの、全隊としてはすぐに前進を再開した。


「っぎゃああ! 足が! お、俺の足がっ」

「枯れ葉の下、落とし穴に気を付けろ! 杭や釘を踏み抜くぞ!」


 やはり張り巡らされていた罠を警戒・除去しながら北上する先頭部隊。

 深くなった森は集団行動の領域を確実に狭めており……この場も藪や倒木、起伏や黒茨による事実上の障壁が進路を限定していた。

 そして先頭の正面もやがて、その壁に塞がれる。しかし左右へは兵を進められそうなので、あるいはT字型分岐点と形容すべきなのだろうか。


「ここから先へは進めないな。急勾配に加え、倒木が多すぎる」

「工兵も呼んで作業しますか」

「そんな時間はないし、その先も進めるかは分からない。とすれば左か右……東西どちらかだな。北上が難しいなら、それしかないだろう」


 枯れ川に近い右が選ばれ、隊はそちらへと進む。だがしばらく後、行く手には既視感のあるものが立ち塞がっていたのだ。

 丸太で作られた防塁である。そこには先程退いたと思われるコボルド兵らも待ち構えていた。


「ならばこれも打ち破るだけだ!」

「「「おおう!」」」

「かかれ!」


 漠然とは予感していたのだろう。主攻隊は、怯まずこれへ攻撃をかける。

 先程も一息に下した敵だ。それが後退し立て直したとしても、突破できぬはずがない、と。

 魔杖兵の射撃支援を受け、攻略を開始する歩兵。


 ……ロウ……アア……イイ……


 その彼らの耳へ、幾重にも重なる詠唱音が届いたのだ。

 前方ではない。左右両脇からのもの……と気付いたヒューマンらが顔を向けると、傾斜の上や群生した黒い茨の向こうからコボルドたちが構えているではないか。

 およそ百に近い杖先が狙う標的は、無論彼らノースプレイン将兵である。


『撃てっ!』


 バシュウバシュウバシュウ!


 琥珀色の被毛をした女コボルドの指示で、一斉に放たれるマジック・ミサイル。

 十字射撃に晒されたノースプレイン兵がそれに穿たれ、ばたばたと倒れていく。運搬中の木束を即座に盾とする者も、背中を撃ち抜かれ枯れ葉の絨毯へ沈み込んでいた。


「撃ち返せ!」


 射的となった前衛を援護するため、中衛後衛の魔杖兵がコボルドらに射撃を加える。

 だが高低差や遮蔽物に阻まれ、ほとんどが有効打たり得ない。逆に毛皮の射手は有利な位置取りで次々とノースプレイン兵を傷つけ、絶命させていった。

 そしてその中には、主攻隊指揮官マクイーワンも含まれている。


 ……これは以前、第二次コボルド王国防衛戦でサーシャリアが北方諸国群の城塞防御機構「虎の顎」を真似て用いた戦術を、より原物に近い形で再び応用したものであった。寄せ手は誘い込まれた上で頭を押さえられ、地形という城壁越しに十字射撃へ晒されたのだ。


「ま、まずい! 退け! 先ほどの陣まで退けーっ!」


 指揮官と主導権さらには統制を失った混乱状況で、生き残りの騎士が総崩れ覚悟で撤退指示を飛ばす。その覚悟通り、兵は雪崩を打って我先にと駆け出していく。

 まさに潰走だが、この判断が無ければあの罠で前衛はおろか中衛後衛も壊滅していただろう。


 こうして主攻隊は三分の一の兵に、マクイーワンを始めとする数名の貴族を失いながら、先ほど奪った防塁よりもさらに後方へと敗走。一度奪った陣地にはその後コボルド側が悠々復帰し、防御線を再構築する。

 主攻隊は戦線を押し上げるどころか完全に弾き返された形となり、その日は混乱を収め再編成をするのがやっとの有様だったという。


 一方、戦力を主攻隊に回し圧力が弱いはずの面攻勢各所では、地道に防塁を攻め上げコボルド側を後退させる局面が多々見られ……本来の構想とは逆に、薄い面こそが戦線を牽引するという奇妙な逆転現象が起きていた。


 ……こうして。

 戦局全体としては僅かにコボルド側が後退した形で、三日目の戦闘は終了したのである。

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