226:第五次コボルド王国防衛戦
226:第五次コボルド王国防衛戦
【大森林】の猛者は蟲熊か、木喰い蜥蜴か、はたまた森クジラか
手玉烏賊あるいは森林竜と言われるやもしれぬ
しかし【大森林】の強大な魔獣であれど、比するものはない
コボルド魔杖兵に、比するものはない
森の魔獣たちは、魔杖を見たことはない
兵を薙ぎ倒す魔弾の恐ろしさを、威力を知りはしない
なれど我らが勇士は、それを知り立ち向かうのだ
恐れを払い、さあ吠えよ
ワウ、ワウワウワウワウワーワウ
コボルド魔杖兵
……村人たちの声や笛と太鼓の音に送られながら、コボルド兵の列が森へと入っていく。彼らが口ずさむのは、【コボルド魔杖兵】と呼ばれる歌だ。
少し前までは「ジム兄のかみさん」というノースプレイン地方の童謡が行軍時に歌われていたが、とうとう音楽好きのコボルドが曲を生み出すまでに至り、王国初の行進曲としても採用されたのである。コボルド族の文化的発展が窺える一幕と言えよう。
パァンパァン
時折響くのは、ガイウスのお尻を兵士が叩いていく音だ。王様は困り顔だが、実際この流行で軍の士気は何故か上がっているため文句も言えない。なお、よりにもよって「私のお尻で皆が喜ぶなら……」という発言が王国の公式記録に残され、後世歴史家の間で物議を醸すこととなる。
列のずっと向こうでは老馬サンディ号が泥ゴーレムのマイリー号相手に腰を振ろうとして転んでおり、まとめて冷静に眺めるとなかなか混沌とした光景であった。
「サリーちゃんもこの機会に、ガイウス殿の尻を叩いてみたら良いのでは? ケケケ」
「ううん、さっきドサクサで叩いてきたから大丈夫よ」
「この子不定期に、恐ろしい行動力を発揮するでありますな……」
兵を見送りながらお喋りしているのは、黒衣の剣士ダークと王国将軍サーシャリア=デナン。
「戦闘開始は、明日ですかなぁ」
「そうね、早くてね。まあ向こうも本陣を構えるのに時間がかかるから、もしかしたら明後日以降かもしれないけど」
街道から枯れ川入り口に至る経路。その近辺を哨戒していた偵察兵からの霊話通信が、中継を経て入ったのが今朝のことだ。
その後は敵軽騎兵による警戒が始まってしまったため、【大森林】外での索敵網は大幅な縮小を強いられている。
「おうサーシャリア、行ってくるぜ」
「行ってきますわ、お姉様!」
「行ってくるゾ」
『『『行ってくるねー! 将軍ー!』』』
ドワーフ少年に褐色令嬢、それにゴブリンやコボルド兵がぶんぶんとサーシャリアへ手を振り、前を横切っていく。将軍もそれに、掌を振って応えていた。
ダークも「では自分もここで」と列に加わっていく。
「がんばってねー!」
……今回の戦いに投入されるコボルド側の戦闘人員、二百四十六名。
着実に動員数は増えているものの、人界の大軍を相手取るにやはり数的不安は拭えない。初陣となる数十名の新兵も、心配だ。
「……何より私が、頑張らなくちゃね」
あどけなさの残る若いコボルド兵らが尻尾を振りつつ森へ入っていくのを、欠け耳のエルフは最後の一人まで見送っていた。
◆
コボルド王国軍戦闘人員二百四十六対、イスフォード軍戦闘人員一千三百名。
両者の激突である第五次コボルド王国防衛戦は、誰もが平凡と感じる形で開始された。
途中から敢えて枯れ川に執着しなかった第四次戦の敵将ローザ=ギャルヴィンと違い、イスフォード軍を指揮するオジー=キノンは砂の川底を主戦場と定め、戦争馬車など盾にしうるものを用いながら正面攻撃を挑んだのである。
「撃てっ!」
『撃てーっ!』
五分の一ほど川底を遡上したところで、接触する両軍。並行し、その両翼の森でも激しい射撃戦が繰り広げられていく。
ノースプレイン軍よりも大幅に近代化の進むイスフォード軍は、その魔杖・魔術兵の数と質による支援で歩兵が戦線を着実に押し上げていくが……対するコボルド側も【動く壁】を基点に、必要最小限の後退で効率的に時間を稼ぎ、わずかずつではあるがそれでも確実に相手へ損害と疲労を強いていた。
【動く壁】は随時任意距離を下げられるため、敵攻勢の限界点を見越して攻撃をいなし、疲労が見えたところで反攻に移ることもできる。それ故に戦争馬車を投入できる枯れ川でもイスフォード軍は一息に攻め上がることが叶わないため、第四次の戦いから見れば緩慢とも言える……ただし双方に叩き付けられる魔弾の嵐はこれまでで最も激しい……撃ち合いが続けられることとなった。
そして結果としてイスフォード軍は日中さほど進むこともできず、大きく兵を下げて防御を固め、日没を迎えることとなったのである。
コボルドはその隙に乗じ前進して防御線を日中の地点まで戻してしまったのだから、まるでヒューマン側からすれば三歩進んで二歩戻ったような状態と言えよう。昨年秋のノースプレイン軍が如何に緒戦で進軍距離を稼ぐかに腐心したことを考えると、真逆にも思える展開であった。
ただし双方共に制御可能な後退であったために戦死は現場での即死のみとなり、負傷者も遺体も後送されている。超近代軍と近代軍による苛烈な撃ち合いでありながらも、実際の犠牲はまだまだ少ない。
見ようによっては、その程度の損失で一応の前進を果たしているイスフォード軍が優勢とも言えるだろう。だがまた別の見方としては、遠征という厳しい状況下で日数を浪費したとも考えられる。
要はこの初日、戦闘の結果として大したものは双方にない。
後日を知らねば、「様子見」としか表現できぬ展開で終わったのだ。
◆
『来ないねえ』
大降りの雨の中、陣地防衛についていたフィッシュボーンが鼻をすすりながらぼやく。
簡素ながら屋根付き防塁という恵まれた環境下の彼ですらこの天気は憂鬱なのだから、即席陣地で滴に打たれるヒューマンの疲労と消耗は、より深刻で苦しいものだろう。これが戦争ではなく行楽ならば、万人が踵を返して帰宅しているはずだ。
『まあ俺が連中なら、今日はお休みといきたいところだな』
隣で動揺に雨を憂いているのは、フィッシュボーンの父親である農林大臣レッドアイ。
『五日も小競り合いと睨み合い、ってのは流石にこれまでの戦いにも無かった流れだ。指揮所もサーシャリアちゃんも、大分困惑しているようだしな』
そう、五日間もである。
イスフォード軍連日の用兵は、あまりにも積極性を欠くとしか言いようのないものであった。
しかし鈍い動きは布陣の重厚さにも繋がるため、コボルド側も反攻の隙を見出せずにいる。本陣を強襲するにも森の外は軽騎兵が偵察兵を狙って巡回しており、斥候もろくに送り込めぬ。
『連中、やる気、なくしたのかな』
まさかな、と言いかけたレッドアイが口籠もる。そう思うのも仕方ないのが、イスフォード軍の動静なのだ。
昨年のノースプレイン軍と違い今回のイスフォード軍は遠征軍である以上、無闇やたらに引き延ばしたがるとも思いがたい。援軍を待つにしても、それならそもそもライボローあたりで合流してから戦場へ向かうのが無難だろう。
『……あるいは本当にこのコボルド王国侵攻はノースプレイン統治への口実でしかなく、攻め上げた事実だけ得られれば十分と思っているのかもしれないが……』
『それなら、コボルド村を、諦めてくれるかもね』
『そういうこと。ミスリルのことが漏れていなければ、いくらもやりようがあるからな』
魚骨文様の毛皮をした息子を、横目に見る農林大臣。
かつてガイウスに二度命を救われた子犬はすっかり青年となり、縦でも横でも父を大きく上回る体躯に育っていた。感慨深げに、レッドアイは目を細める。
『なあフィッシュボーン、お前は平和になったら何をしたい?』
『んー、父さんを蹴落として、王国宰相でも、目指すかな』
『こいつ』
ゲラゲラと笑い合う父子。
『……本当は去年の和睦で、平和になると思ったんだがなあ』
『間に合わ、なかったね』
今回の戦いからは、フィッシュボーンの弟妹も兵士や霊話兵として戦場に立っているのだ。
レッドアイの妻は今また身籠もっているため、せめてその子らが大人になるまでに平和にしたいと思うのは、父や兄として当然の感情であった。
『そういえば、フラッフは、平和になったら、どう、したい?』
思い立ったようにフィッシュボーンが振り返り、親友へと声をかける。
綿毛の幼馴染みはまた何かやらかしたらしく、現在進行形で従姉のアンバーブロッサムから説教を受けていた。こちらのモフモフは、残念ながら子供の頃から内面的成長があまり見られない。
『えーとねー僕はねー!』
『ちょっとフィッシュボーン。助け船を出さないでちょうだい』
『あ……ごめんなさいブロッサムさん』
親友への偽装支援を容易く看破され、フィッシュボーンが耳を垂らす。
琥珀色をしたコボルド族きっての女戦士は、『まあいいわ』と溜め息をついて従弟を解放した。
『僕はねー、平和になったら、エモン兄ちゃんの旅に付いていってみたい。色んな街や色んな景色を見たいんだ。そして色んな種族のお姉さんに会って、色んなおっぱいを揉むんだぜ』
これがヒューマンであれば白眼視されるだろうが、コボルド族にとって乳房にやましい意味は無い。言うなれば、ヒトが犬猫の腹に顔を埋めるようなもの。彼は純粋に、おっぱいを揉みまくりたいだけなのだ。だから周囲の反応も、『そうか』という平凡なものであった。
『フィッシュボーンもその時は一緒に行こうよ』
『そうだね、それも、面白い、かもねえ』
『一緒におっぱい揉もうぜ!』
きゃいきゃいとはしゃぐ親友二人組。
緊張感の欠けたその様子に、ブロッサムが溜め息をついていた。
『まったく……シャンとしなさい二人とも! この膠着状態だって、相手がこちらの油断を誘うための計略という可能性もあるのよ!? 人界の戦史では、そういう例が沢山あるんだから! 今この瞬間にも、敵軍がなだれ込んでくるかもしれないって肝に銘じなさい!』
『『はーい』』
だがアンバーブロッサムのお説教とは裏腹に。
戦況の不可解な停滞は、その後さらに数日続くこととなったのである。
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