227:海を越えて来る者たち

227:海を越えて来る者たち


 その夜。ビクトリア=ギナとチャスは、【剥製屋】オジー=キノンの夕食に招かれていた。


「どうよビクトリア、チャス。なかなかいけてるオニクだろう?」


 そう言いながらイスフォード伯爵が口にしたのは、上部腰肉を用いたビーフシチュー。下拵えから手間暇かけさせた、柔らかい……柔らか過ぎとも言える、溶けるような食感の一品である。


「いやあ美味い。こいつぁ庶民には毒だなあ」

「そうかそうか! チャスに喜んでもらえるのは率直に嬉しいぜ。オッレはよ、お前さんみてえに血の臭いが染みついた男は結構好きなんだ」

「あれま。どうして伯爵閣下は、俺が切れ痔だってご存じなんですかね」


 流石に踏んだ場数が物を言うのか。この元冒険者は、【剥製屋】相手でも動じない。


「よ、よさんかチャス!」

「おいビクトリア。冗談ってことくらい察しろよ」

「冗談の使い時を窘めているのだ!」

「ダーハハハ! やっぱ楽しいなお前ら! さ、ビクトリアも食え食え!」

「は、はあ……」


 この【剥製屋】は毎日毎食柔らかな品を求めるため、わざわざ料理人たちをも自領から連れてきているのだ。戦に備え、幼少期より粗食に慣らしもした武門のヴィクトリアからすれば、少々眉を顰めたくもなるのも無理はない。

 いや……実際に顰めてしまったあたり、やはりこの女騎士は不器用なのだろう。


「んっんー? どうしたビクトリア、浮かない顔をして。前線の兵は冷たいパンを囓っているのに、主君がこれか……とでも言いたげだなぁ?」

「い、いえ!? そんなことは! そんなことはありません」


 この馬鹿めと言わんばかりに、横のチャスがビクトリアを肘で突く。

 だがそんな様子すら、キノンには愉快だったようだ。


「これはなぁ、仕方ねえ理由があるんだよ……昔オッレはベルダラスに殴られて、左の奥歯を上下合わせて五本も折られちまったのよ。お陰で今じゃあ、大好きなオニクはみーんなこんな風に柔らかくして貰わねえと、食うのがしんどいのさ。乱暴者に虐められたオッレって、可哀想だろぉん?」


 しくしくしく、と泣き真似。

 気の利いた言葉も返せず、愛想笑いしかできぬビクトリア。


「どうせ伯爵が、【イグリスの黒薔薇】を怒らせたんでしょ」


 注意を雇い主から自分に向けようと、チャスが挑戦的な物言いで割って入った。

 しかし配慮に気付かぬ女騎士が今度は元冒険者の脛を蹴っており……その寸劇もまた、伯爵の機嫌を良くしたようだ。


「ダーッハッハ! ばれたか! 戦時中、珍しい髪色の難民母子を剥製にしたのがバレたもんで、ちょっとな!」


 怯んだビクトリアがスプーンを派手に落とす。またまたキノンは大喜び。

 ……まあそんなこんなで一同はデザートまで食べ終え、食後の珈琲を飲みながらの一方的な歓談時間へと移行したのであった。


「ほぅ、すげえスッキリした飲み心地だ」

「良い香りです……!」


 何気なく出されたこれも、夕餉に負けぬ逸品。


「ダハハ! そりゃ良かった良かった! こいつは猫のクソから取り出した豆を使った、希少品なんだぜ」

「ブフー!?」


 噴き出す女騎士。どれだけ剥製伯爵を喜ばせるつもりやら。


「ま、知っての通りイスフォードはミッドランドの東浜(イーストフォード)が訛って名付いただけあってな、昔から海運が盛んなのよ。だから我が家は、他の大陸の上物やら色んなモノを仕入れるツテにも困らねえのさ」


 逆に王領西側の西浜(ウェストフォード)伯爵領が訛らなかった歴史的経緯は、不明とされている。


「……つまりはそういう背景があるもんでな。オッレには今回の遠征のため、他所の大陸から城攻め専門の傭兵を雇うツテもあったって、ワ・ケ」


 にわかに場に漂う緊迫感。

 今夜の会食自体が勿体ぶり続けたこの話を告げるためなのだと、女騎士らは理解したからだ。


「城攻め傭兵……ですか」


 ノースプレイン軍の残した資料の断片から、森の一部が【緑の城】と呼ばれていたことは、ビクトリアも知っている。その返事がぎこちないのは、人界の城相手の戦術がそのまま流用できる代物ではないからだろう。

 しかしここはとりあえず伯爵の目論見を聞くべき場面であり、女騎士も頷いただけだ。


「そう。向こうの大陸じゃあ、そいつが請け負い落ちなかった城は一つたりとも存在しねえっていう、圧倒的な強者さ。ただその分恨みも相応以上に買い過ぎたらしく、落ち着ける先も欲しがっててな。それを知っていたオッレが冬の荒海を越えてわざわざ出向き、領内の島を一つ住民ごとくれてやるって話で交渉をまとめてきたのよ」


 居住可能な島を丸々譲渡とは。随分な大盤振る舞いである。


「そ、それはまた破格過ぎる待遇ではありませんか?」

「いやあとびきり安い買い物だね。実質うちの領内へ囲い込むようなものだしな」


 一時、鮫人間が真顔をのぞかせる。どうも本当にそう考えているらしい。

 普段とは違う凄みが、ビクトリアの身を小さく震わせた。


「なるほどその傭兵団の到着を待ってから本格攻勢へ移るために、開戦以降戦線を停滞させ続けていたのですね」


 幾らかの納得を得て、頷きながら問うビクトリア。


「お!? やっぱりお前、オッレの用兵がチンタラしてると思ってたんだなぁ~?」

「い、いえ! そそそんな! 滅相もありません!」


 慌てふためく彼女の様子を見て、上体を反らすほど大笑いする鮫伯爵。

 そうして一頻り腹の筋肉を痛めた後。


「予定としてはよ。先方は海を越えた後、イスフォードで一休みしてから来るはずなんだよ。だからまあ、夜でも大丈夫なようにお迎えの準備をしておこうと思ってな」

「と仰いますと、既に領地から早馬で知らせがあったのですか。傭兵団が港に着いたと」

「早馬……?」


 キノンが怪訝な顔で、目をぱちくりさせる。


「ダハハハ、違うな! そもそも馬のほうが遅いんだから、早馬も何もあるもんか」


 席を立つ【剥製屋】。

 そしてそのまま大天幕の出口へ向かうと、掌を動かし二人を招く。


「これが迎えの準備さ。あっちを見てみな」


 外へ出たビクトリアとチャスが、目を丸くする。

 彼らが夕食をとっている間に、本陣内の一角……これまで不自然に広く空けられていた場所で、多数の篝火が煌々と焚かれていたのだ。近付いてみたところ、それらは円周状に配されていることも判明する。


「これが、迎えなのですか」

「おうそうよ。これなら遠目からでも気付きやすいだろ?」

「でもどうして円で……?」

「ここの地面は空けてあるから大丈夫! って教える合図さ。聞いた話によると、夜の地表は全然分からんらしいからな」

「は、はあ……? しかしこれを遠目に見たところで、松明の列にしか見えないのではありませんか」

「上から見るに決まってんだろ、上からに」


 ……びゅおっ。


 一陣の強い風が、ビクトリアのおかっぱ髪を掻き乱す。

 しかし彼女は顔にかかった暗金髪を直そうともせず、唖然として夜空を見上げていたのだ。そしてそれはチャスも、本陣の兵らも同様であった。

 全てを知る【剥製屋】ただ一人だけが、愉しげに唇を歪めている。


「オウ、何だ! 思ったより全然早かったじゃねえか!」

「馬鹿な……そんな……!?」


 上空通過後にゆっくりと旋回を始めた、巨大な影。

 それはビクトリアもチャスも、実物を見たことなど一度もない輪郭であった。

 ただしそれが何かは、絵巻物や寓話にて子供の頃から知っている。紋章や装飾の題材として扱われることも、ごくごく一般的な対象だ。


「そうさ。あれがオッレの呼んだ、凄腕の傭兵様よ」


 ……ずしん!


 地響きと揺れ。幾度かの旋回による減速を経て、小型帆船のごときその巨影が地面へと降り立ったのである。

 円は少々小さかったらしく、翼と尻尾が一部の篝火を盛大に薙ぎ倒していた。


「おいおいおいおい、嘘だろコイツぁ……」


 確かにそれは実在する生物・種族だと、皆は知っている。分かってはいるのだ。

 だがここ数百年、南方大帝国崩壊後は歴史に登場した例も無く……南方諸国群では遠く伝承、伝説上の存在になり果てていたのである。


 ぎろり。


「「「おおおぅ!?」」」


 巨体がくれた一瞥に、兵たちが慄く。

 理解したのだろう……これは違うのだ。便宜上同属で呼ばれもする巨大爬虫類どもとは、全くの別物なのだと。


 全身を覆う鉄板の如き赤鱗は、剣槍はおろか攻撃魔術をも意に介すまい。

 鋭く巨大な爪と牙は、馬ごと鎧武者を引き裂くだろう。

 そして何よりその瞳は、高い知性を湛えている。


 ……これは違う。

 名前だけの大蜥蜴や大蛇とはまるで違う、【本物】なのだ。


「竜(ドラゴン)……!」


 そう呟いた女騎士の視界で、竜がぐぐぐと身を伏せた。顎を地につけるほどに、だ。

 周囲で見守る者らからすれば、絶対強者の思いも寄らぬ姿勢である。


「とーうっ!」


 場面に似合わぬ、溌剌とした声。

 竜の背から何かが跳ね空中で一回転した後、軽快に着地する。


「ねー、そこのお姉さーん! ここってイスフォード伯爵って人の陣で合ってるかなー?」

「え!? そ、そうだが。その通りだが」


 突然のご指名。狼狽えながら、辛うじて答えるビクトリア。


「あ、そう? 良かったー! ねえ妈妈(マーマ)、合ってるってさ!」

『聞こえてる。みっともないから、あまりはしゃぐんじゃないよ』


 竜が喋った……と兵たちがどよめく。

 だが小言を言われた当の本人は全く意に介さず、もぞもぞと防寒具や防護眼鏡を取り外し、素顔と波打つ長髪を解放している。


「あー窮屈だった! 長旅は疲れるよね、マーマ!」


 それは少女であった。それもあまりにも真っ白な少女だ。年の頃は、十四、五あたりか。

 ヒューマンにおける、所謂白色人種という分類ではない。染めたように白い肌と髪を持つ、希有な先天性白皮症(アルビノ)の個体だ。

 火に照らされた彼女の顔は、闇の中で一際鮮やかに浮かびあがっている。


「あ、伯爵じゃん! 久しぶりぶり! いえーい!」

「いえーい久しブリブリ! ダハハ! いやあよく来てくれたな二人とも、待ってたぜ!」


 歓迎の声を上げつつ横を通った【剥製屋】が喉を鳴らすのを、ビクトリアは聞いたような気がした。だが幸いかそれとも錯覚だったのか。他に聞いた者はいなかったらしい。


「よっし! じゃあ他の皆さんにも、ご挨拶しないとね!」


 ばっばっばばっ!


 白い少女は両腕を振り回し大見得を切ると、元気いっぱいに口上を述べ始める。

 赤い鱗の竜は、諦めたように大きな溜め息をついていた。


「見知りおけ(リメンバー)! 大空を舞う、紅蓮の翼! ドラゴンライダー猫白龍(マオパイラン)と爆竜ドーラドーラ! 依頼に応じ、ただいま参戦ッ!」

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